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御伽噺のような世界に来てどれくらいの月日が過ぎたのだろう。
悠然と、しかし確実に時計の針は進んでいる。
元の世界に戻るため図書館で資料の束を読み漁っても帰る術は一向に見つからない。
そもそも魔法の使えないただの凡人がこの学校に招かれる事例がないのだから、帰る方法など見つかる筈がない。
必死にもがいても帰路は閉ざされるばかり。

「・・・いたい」

近頃は頭痛が酷くて体調もすぐれない。
保健室を利用する回数も明らかに増えていき、日々の生活もままならない。
それに加えて元の世界の記憶が虚ろになりつつある。
どこから来てどこへ帰るのか。自分自身のことでさえ見失っている気がしてならない。症状は重くなっていくばかりだった。

今日もまたずきずきと頭の奥が脈を打つ。
グリムをエースに預けて保健室に向かう途中、意識が朦朧としてきた。
立っていられなくなりその場に座り込むと、身体の奥底からこみ上げる感覚に吐き気を覚える。

「おやおや」

静まり返った廊下に響くひとつの声。振り返ると黒い翼を纏った影が立っていた。
身寄りのない私に居場所を与えてくれた恩人。
いつも世話を焼いてくれた、優しい影。

「痛みますか?」

のばされた腕に必死に縋る。鋭い爪が何度か頬を撫でて、影はにこやかに微笑んだ。
それから漆黒の大翼で私を包み込む。息を深く吸い込むと懐かしいにおいがした。

「せんせい、わたし、もう」
「ええ、わかっています」

わかっていますとも。
こつり、と。尖った靴を響かせて影は歩みを進める。
いつの間にか辺りは真っ暗で光ひとつ見えない。
しばらくすると一枚の鏡が見えてきた。
鈍く反射したそれの中にうごめく何か。目にした瞬間、背筋が凍りつく。
黒い手がこちらにむかって手招きしている。明らかに誘っている。
いやだ。そう発したつもりなのに声が出ない。体も指一本動かない。

まるで人形になったかのよう。

「愛しいプリンセス。私と帰りましょう」

私と貴方の素敵な孤城に。影の口角があがると同時、鏡の中から腕が伸びた。
奪われた。視界も嗅覚もなにもかも。

そのまま記憶は深い深い暗闇の中へ飲み込まれて。

ちがう、私の帰る場所は、此処ではない。私の故郷は。

ーーーあれ、私の故郷って、どこだっけ。

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