表の看板を“CLOSE”に張り替える頃、彼は決まってやって来る。それはすっかり週間となっているため、私も彼が愛飲している酒をグラスに注ぎ、カウンターの上に置くのが日課となった。彼は決まって微笑み、「ありがとう」と短い言葉を紡いで茶褐色のそれを飲み干す。
その仕草を目にするだけで体に甘い痺れが走り、目眩を覚えてしまう。
「どうしたのかね」
ああ、その声と言ったら。
脳を麻痺させ思考をひどく鈍らせてしまう。
それを誤魔化すのに必死な私はなんでもないと首を横に振って店内の掃除をはじめた。
彼と同じ空間にいることを忘れるように、黙々と床を磨く。
「年頃の娘が危なくないかね」
でもそれは無意味な行動にすぎなかった。
彼自身がその強い存在を知らしめているのだから。
「ひとりで酒場を営むなど」
からん、とグラスの氷が崩れる音がやけに店内に響くのは気のせいだろうか。
鼓動を増していく心臓に紅潮していく肌。
返す言葉が見つからない。
「大丈夫かね?」
その低音はすぐ近くに迫っていたのに気づかなかった。
彼は私の手からモップを遠ざけ椅子に座らせる。
顔なんか上げられるはずもなく俯いていると、長い指に顎をすくい上げられてしまう。
「顔が赤いが?」
きれいに絡み合う視線。逸らせることもできるのに体が動かない。
心なしか震える唇。そなぞる親指がとても愛しい。
「好きです」
やっと紡いだ言葉はひどく掠れていた。
それでも彼には届いたらしく、眼鏡の奥に潜む眼が大きく見開かれた。滅多に見ない表情に少し優越感。
「あまり年寄りを煽らないでくれ」
彼はそう言ってばつが悪そうに眉間に皺を寄せる。
その皺さえも愛しく感じてしまう。
もう彼のことしか考えられない。はじめて店を訪れたあの日から、私の脳内はすっかり彼一色に染まってしまった。
ゆるゆると迫り来るは情熱の塊。私が望んでやまないもの。
はやく中まで穢してほしい。
夜が明けたら彼はまた行ってしまうだろう。
僅かな熱をからだに残して。
どうか夜が明けませんようにと、深く願った。