Lost memory | ナノ



「え、やだ」
「即答!?そんな事言わずに!ねっ?お願い!」
「嫌」
「怖いの?」
「ヒトだけのお化け屋敷なら余裕ですけど。ねえ、私の嫌いなものが何かは知ってるよね?」
「知ってる知ってる。でも大丈夫だよココは」
「何を以て大丈夫とか言うの…見てあの看板、あの端にツーって垂れてるアレは何」
「どれどれ?…あらやだ、蜘蛛だ」
「あらやだ、じゃないよね?知ってるって言ったよね?私が嫌いなもの」


昔から虫の類いが大嫌いだった。
苦手だとか、女子によくある『キャー気持ち悪い、こわーい』みたいな生温いものじゃない。
そんな可愛い声なんか出るわけない。
それは高校生になった今でも変わることはなく、ゾンビや妖怪やヒトの形を成すものの「恐怖」には耐えられるのに、虫だけはダメなのだ。
例えばホラー映画のドロドロぐちゃぐちゃのゾンビは平気なのに虫と合成した何かや大中小問わずとにかく虫の形をしたものを目にするだけで全神経が硬直する。
自分の体の何処かに触れようものならこの世の終わりかというくらいの発狂、下手すれば意識を飛ばしかける。
それは触れたものが『虫』だとしっかり目で確認してから起こる現象なのだけど。
まあだいたい嫌いなものの感触なんてものは一度触れれば忘れるわけはないので見なくても即判断できるという場合が多い。
どういうわけか何故虫を嫌いにになったのか、だいたい昔っていつからなのか…それが思い出せない。
つまり原因も分からないから克服のしようがないのだ。
とはいえ虫嫌いなんて克服しなくたって人間生きては行ける。
克服しようとして虫を触ろうとする自分を想像するだけで目眩がした。
というわけで私の虫嫌いは現在進行形で、夏から秋のこの季節がとにかく早く過ぎてくれと願う日々が続いている。
8月…学生なら誰もが浮かれる夏休みのこの時期も、一歩家の外に足を踏み出せば私にとっては戦場だ。

なんて真面目に自分の虫嫌いについて今更考えても仕方ない。
嫌いなものは嫌いなのだ。
今はとにかく、小学校からの友人である親友がこの『虫屋敷』に入ろうとするのを全力で阻止しなければ。
夏休みなんだし1回くらい名前と出掛けたい、遊園地に行きたいと泣きつかれてやって来たはいいけどまさかこんな虫屋敷があったなんて(注:ただのお化け屋敷)。
虫屋敷の奥にある林からは耳を塞ぎたくなる程の音量でジージーと蝉の声が響いている。
大合唱…否、蝉たちと風で揺れる木々の不協和音…私にとってはお化けよりその林の方がホラーだ。

「名前お願い!せっかく来たんだし!ここのお化け屋敷超有名なんだよ!お化け屋敷の為にこの遊園地に来る人だっているんだから!」
「嫌だってば!見てあの蜘蛛!あんなの居たら救急車出動するからね!?」
「大丈夫!名前は私が守る!」
「や、ちょっとカッコイイけど無理!親友はお化けが怖くて私の事置いて逃げるでしょ絶対!」
「……そんな事ない!」
「…何その間!」
ギャーギャーと騒いでいるうちになんという事か私たちの後ろに列が形成され始めていて、スタッフさんによっていつの間にか整列用のポールとロープに包囲されていた。
親友は胸の前で手を組み合わせて祈るポーズ。
か、可愛いけどそんな事したって…
「…私は抜けるよ」
「名前!」
「…こ、この列抜けるから」
「名前ー」
「…そんな顔したって」
「…」
「…?」
「帰りにトリプル奢る!名前の大好きなストロベリー系トリプル!どうだ!」
「なっ!いる!!!」
「よっし!」
「え!…あ」
…なんて容易い。
大好きなアイスクリームの誘惑にまんまと嵌まり、大嫌いな虫屋敷に入る羽目になった。
虫は大嫌いだ。
けどそれに匹敵する勢いでアイスクリームが大好きだ。
ん、だんだんわけ分からなくなってきたけどとにかく年がら年中、雪の日にだって食べていたいくらいアイスクリームが大好きだ。
トリプルの為なら!!
もうこうなったらお化けがヒトだけである事を祈るのみ。



「っぎゃあああああ!!!」
「親友」
「う、あ、ひぃぃぃぃ!!!!」
「親友」
「ちょっとおおおおお!!!」
「親友、落ち着いて」
「名前馬鹿なの!?それお化け!!私こっち!」
「あ、すいません」
「私とお化け間違えるとかどういう事!?」
「冗談だよ」
「っていうか!ああああんな怖いの見て全然びびらないとかっ」
「や、少しは驚くよ?けど皆さん勤労者だから。お疲れ様です」
「お化け泣かせか!」
案の定入って早々叫びまくる親友の手を引いてずんずん歩く。
遠く前後の人たちからの叫び声も僅かに聞こえてきて、ここで異質なのは自分かと静かに納得した。
怖くないかと聞かれたら怖いのかな。
音とか急な登場にはビックリする。
ここのお化けもまあまあ怖く作られてるけど、ホラーに耐性のある私からしたら可愛いげのある作り物って感覚。
1つ上の兄の影響で数々のホラー映画を観てきた私の強みとも言うべきか、とにかく私の敵は虫のみ、揺るぎない。
『親友の顔がホラーだから』という言葉は飲み込んで歩き続けると少し開けた場所に辿り着いた。
暗いのであくまで感覚的に、だけど。
多分結構広い。


シ…ン
一瞬耳がキンとする程の静けさを感じて思わず親友の手をぎゅっと握ってしまった。
自然と歩みが止まる。
もっと怖がらせてしまっただろうかと隣に意識を向けると、さっきまで騒ぎ立てていた親友も異変を感じたのか黙りこくっている。
そういえば、僅かながら聞こえていた他の客の声もいつの間にか聞こえなくなってるし物音すらしていない。
ただの暗闇だ。
前を行ったカップルはどこへ行ってしまったのだろうか。
とりあえず前進しなければと私はゆっくり歩き始めた。
手を繋ぎ着いてくる親友は顔は見えないけれど明らかに不安げだ。
「…名前」
「うん」
「道、逸れたのかな」
「道なりに来たからそれはないと思う」
「だよね」
「…あ、…行き止まり」
「え、嘘」
「なら来た道戻って、…」
「!」
壁伝いに行った先はいつからか道幅も無くなり閉鎖的な空間になっていてその先は行き止まり。
ならば一旦戻るしかないと体の向きを変えて親友の手を握り直した時…
室内の空調にしては生温く、この夏場の外からにしては冷ややかな…なんとも言えない異様な風が私たちを吹き付けた。
二人同時にぶるりと体を震わせ、握った手からはじわりと嫌な汗が吹き出す。
明らかにおかしいのに、そっちへ行ったら絶対にヤバいやつなはずなのに…体が自然と風の吹く方に向かって動き出す。
声は出なかった。
僅かな風の音以外は何も聞こえなかった。
ただ繋がったこの手だけは絶対に放してはいけないと全力でそこへ意識を集中させる。
彼女も同じ気持ちだったのか、震える手で痛い程に強く握り返してくれた。

それから間もなく、
「「!?」」
何の前触れもなく突然ビュウッというまるでビル風が吹き抜ける様な音が響いた瞬間、その風は私たちを巻き込んだ。
と同時に目が眩みそうな程の眩しさが襲い目を閉じる。
「名前っ」
「っ、親友、絶対離れないで!」
「うん!」
そのままゆっくりと意識が遠退く。
遠く、ずっと遠くから聞こえて来たのはジージーという蝉の声。
耳障りだと思わなかったのは多分これが初めてだった。

prev / next

[ back to top ]

×
「#ファンタジー」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -