私にとってあの頃の彼はあまりに眩しくてあまりに尊い、言葉にするならそれは憧れ。
そんな彼が近くにいた高校時代は、今思えば夢のような時間だったのかもしれない。
その「夢」をどんなに月日が経とうとも忘れることが出来ない私は、今もその夢の続きを追いかけているのだと思う。
「苗字さん!おはよッス!」
「おはよう!黄瀬くん」
「こないだ取材受けた記事、読んだッスよ」
「わ!ほんと!?」
「うん!他のメンバーにも好評だったッス!勿論俺も!取材楽しかったしね」
「良かった!ありがとう」
大学1年の頃からアルバイトをしていた編集社に就職してもうすぐ1年。
編集アシスタントの仕事もなんとか干されずに続けることが出来ている。
たまに振って貰える仕事の中に黄瀬くんのチームの取材が増えてきて、今ではこんな風に話せるくらいには打ち解けられていると思う。
暫く前の取材の記事が載った雑誌を黄瀬くんに送っていたのだけど、彼はこうやっていつも読んだ報告をしてくれる。
とてもありがたい。
今日みたいに朝会える日が週1くらいであって、その度に気さくに声を掛けてくれる黄瀬くんはさすがというべきか。
愛嬌が良くて、取材がしやすいという意味でも編集の中で大人気の選手だ。
女性からの人気は最早言うまでもない。
「青峰っちとの試合、もうすぐなんスよ」
「そっか。楽しみだね」
「うん!今度は絶対止めて見せるッス」
目を輝かせながら拳をぐっと握り締めて、黄瀬くんは笑っていた。
黄瀬くんと青峰くんは、同じ高卒でプロ入りした同期であり仲間であり、ライバルだ。
彼の事を語る黄瀬くんの目はいつもキラキラしている。
お互いがきっと、力をぶつけ合える場所を楽しみにしているんだ。
そんな二人を思うと自分まで気持ちが昂ってしまうのが最近の癖。
「そうだね!期待してる。試合、見に行きたかったなあ」
「あー、それ俺じゃなくて青峰っちでしょ?」
「え」
「またまた〜、隠そうとしても無駄ッスよ?」
「隠すって何を?」
「何って…青峰っちの事を見てる時の苗字さん、なんていうか、分かりやすいんスよね〜」
「分かりやすい?」
「そことぼけるとこ!?好きなんじゃないの!?」
「…好き?」
「あ!ストレートに聞きすぎたッス!」
額に手を当ててなんだか悔しがる黄瀬くん。
思った通りに事が運ばなかったのだろうか。
好き…ね。
そうか、そう見えてしまうのか…と暫し考える。
考えたけれど結果出てきたのは、多分黄瀬くんが期待している答えではない。
「憧れだよ」
「へ?」
「私のは憧れとか、尊敬の類い」
「え、そうなんスか?」
「うん」
「…うーん」
「…」
「…はぐらかしてるわけでもなさそッスね」
「うん」
「なーんだ」
「なんだとはなんですか、黄瀬くん」
「間違いないと思ったんスけど」
「えー、何が?」
「好きな人追い掛けて今の仕事してるのかなーって」
ふと考える。
今日はなんだか黄瀬くんには色々な事を考えさせられる日だ。
…好きな人っていう括りが私独自の括りで良いのであれば、「追い掛けて今の仕事をしている」というのは間違いではないのかもしれない。
まあ、また誤解を生むからちゃんと言葉にしておこう。
「追い掛けて今の仕事をしてるってのは、正解かな」
「やっぱり!」
「ただ、青峰選手を追い掛けてって意味だけどね」
「うん?」
「青峰、選手」
「…選手」
「そう」
「うー、青峰っちの春を期待してたのに!」
「春って、黄瀬くん」
口を尖らせてがっかりする黄瀬くんを横目に、心の中で小さく息を吐く。
過去、そういう気持ちがなかったわけじゃなかった。
今、昔の事を回想する気はない。
楽しかった事も勿論あるけど、あまり思い出したくない事もあるのだ。
最寄り駅に着き、改札を抜ければ黄瀬くんとはここでお別れ。
笑顔で手を振る黄瀬くんに手を振り返して、いつもの電車に乗り込んだ。
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