Never ever | ナノ

4

『いってきます』
そう口にしたのは何年ぶりだろう。
小さく呟く程度の声で発したその言葉には返事があった。
『いってらっしゃい、苗字さん』
ニコッと笑った彼はすっかり熱も下がり昨日より大分顔色も良くなっていた。
だから気晴らしにどこかへ出掛けてもいい様にと鍵を預けようとしたけれど、そんな気は全くないらしく家で大人しくしているという。
まあ暑いし無理に外へ繰り出す必要もないからその時は特に何も考えなかったけれど、後々考えてみたら『異世界?』とやらに放り出されて一人で町を彷徨くなんて…もし自分が黄瀬さんの立場だったら無理だ。
安易に物事を提案するべきじゃないなと少し反省した。

仕事を終えて帰宅すると自宅前の通路に弟の服を着た黄瀬さんが立っていた。
弟が丈を余らせて穿いていたカーゴパンツがクロップドパンツになっている。
なのにウエストは丁度いいなんて…弟を哀れむ前に黄瀬さんが規格外だ。
それはさて置き、黄瀬さんは私が初めて彼を見つけた時と同じ様に夕日を見つめボーッとしている。
夕方とはいえ残暑厳しいこんな時期に一体いつからこうしているのだろうか。
額や首筋にいくつもの汗が伝っていた。
「黄瀬さん」
「!あ、おかえりなさいッス」
「ただいまです。汗、凄いですよ?」
「…あ、ほんとッスね」
「そろそろ家に入りますか?」
「そうスね」
黄瀬さんは顎に伝う汗を拭って力なく微笑んでから家のドアを開けた。
そして着いてきた私を振り返り二度目のお出迎えをしてくれた。
「おかえりなさいッス」
「…ただいまです」
「あれ」
「?」
「苗字さんの方が年上なのに」
「え?」
「敬語は変じゃないッスか?」
「…んー、そうですか?」
「そうッス」
「そう、かな」
そんな覚束ない私の返事でも納得したのか黄瀬さんは少し微笑んだ。
敬語がなくなった所で急に人との距離が縮まるとは思わないけど少しだけ気が楽になった気がした。


「黄瀬さん」
「なんスか?」
「退屈じゃないですか?」
「あ、敬語」
「あー、うん。あの…日中、つまらなくない?」
「大丈夫ッスよ。本読んだり適当に寛がせて貰ってるし」
「…ならいいんだけど」
金髪の青年が現れて3日目。
私は仕事があるし朝の少しの時間と夜しか顔を合わせない私たちは当然会話の量も少ない。
別に沢山話したい事があるとかいった願望はないからいいのだけど、昼間の長い時間をもて余しているのではないかと心配になったのだ。
夕飯を突きながら黄瀬さんはヘラリと笑って見せた。
それから『あ』と思い出した様に呟くとちょっと真剣な表情になって…
「やっぱり1つ、我儘言っていいスか?」
「うん…どうぞ?」
「この近所にバスケット出来る場所、ある?」
「バスケット」
「ゴール1つでいいんス。あー、あとボールか」
「バスケット、バスケット…んー…、あ!」
「?」
「ちょっと歩くけど確かあの公園にあったような…」
「地図書いて貰えれば明日行ってみるッスよ」
記憶が曖昧だけど多分バスケットコートがあった気がする。
けれど黄瀬さんに場所を説明するのもまして地図を書くのも私が間違えそうで心配だ。
幸い今は夜とはいえまだそんなに遅い時間ではない。
「今、ちょっと行ってみようか」
「え!今?」
「面倒?」
「全然!!そんな事ないッス!行く!」
「…」
「?」
「…ふ、っはは!」
「え?なんで笑ってんスか!」
「ご、ごめんなさい。凄い食い付きだったから」
何に対しても反応が薄かった黄瀬さんが初めて大きく反応を示した事に驚きつつ、私は少し安心していた。
バスケットが好きなのだろう。
それを表すかの様にさっきの一瞬だけだったけれど彼の瞳は輝いていた。


「良かった!あった!」
「結構しっかりしたゴールッスね!」
「お金預けるからボールは明日買って」
「え?」
「私は仕事だから行けないけど駅ビルのスポーツショップにバスケットコーナーあるから」
「ちょ、そうじゃなくて!お金って」
「…失礼な。バスケットボール買うお金くらいあります」
「そうじゃないんス!お金とか出させるわけにはいかないッスよ!」
「せっかくコートがあるんだしそんな事に遠慮しないでいいから」
「いや、でも」
私にお金を出させる事を嫌がる黄瀬さん。
まあ普通に考えたら遠慮するかなとは思うけど、あんな嬉しそうな顔を見てしまったらなんとかしてバスケットをやらせてあげたいと思ってしまう。
もう一人弟が出来た様な気にもなった。
どうしても遠慮してしまうのならちょっと強引な打開策だ。
「黄瀬さん」
「うん?」
「黄瀬さんがバスケットしてる所、見てみたい」
「…え」
「というわけで、これは私の我儘だから黄瀬さんが遠慮する事は全くないです」
「…苗字さん」
「ね?」
驚いた顔のまま私を凝視する黄瀬さんの瞳の奥がキラキラ輝いている様に見えて、強引策も間違っていなかったと内心ホッとする。
瞬間、黄瀬さんが笑った。
「ありがとッス!苗字さん!」
「っ、ど、どういたしまして!」
え、ちょっと何これ眩しい。
心の底から嬉しそうな表情でお礼を言われた。
表情が乏しいのかななんて思っていたけれど、これが元来の黄瀬さんなのだろうか。
あまりに自然でいてストレートな感情表現に戸惑いつつもまた新たな黄瀬さんの一面を見られた気がした。

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