Never ever | ナノ

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「それじゃあ。ありがとうございました、案内して貰っちゃって」
「気にすんな。とりあえず気が向いたらベンチ裏の席も行ってみろよ?」
「や、1階でいいです」
「そうか?まあ、チケットは渡しとくから好きにやれ」
「…ありがとうございます」
1階と2階それぞれに向かう分かれ道で笠松さんに手を振り別れる。
私の手には2枚のチケットがあって、それをポケットに押し込んで自分の席に向かった。


観客の応援が振動となって私の体を揺らして、こんなに騒がしい場内だというのにボールやシューズの音が鮮明に聞こえたりして、選手たちの息遣いやパスを呼ぶ声なんかも聞こえて…やっぱりこの空間は心地よいと改めて実感しつつボールの行く先を目で追い掛ける。
始めこそ黄瀬さんの姿に釘付けになって彼ばかりを追っていたけど、試合の流れを理解出来るようになってきた事でバスケットという競技自体が私にとって魅力的なものになっていった。
どんどん面白い。
どんどん楽しい。
ずっと観ていたい。
いつの間にか前のめりになって応援していて周りの観客とも打ち解けたような気持ちになって、なんとも言えない心地よい一体感に身を任せていた。


試合は黄瀬さんのチームが圧倒的な大差で勝利。
結局私は青峰彼女さんからのチケットの座席で観戦して、笠松さんから貰った方のベンチ裏席には行かなかった。
後方席で十分というかとても楽しめたし、あんなに選手に近い席に行けるわけもなかった。
遠くから見ているだけで良かった。
試合後のファンサービスで選手たちは観客席に向かって手を振ったり拍手をしたりしている。
サインに写真撮影と大奮発な目立つ選手に気を取られていると、少し場内がざわついた気がしてなんとなく辺りを見渡した。

「!」
声も出ず喉がごくりと鳴った。
さっきまで手を振り笑顔で声援に答えていたはずの黄瀬さんが完全に動きを止めて立ち尽くしている。
それに気付いていない人の方が多いけど、何事だと不思議に思う人たちがざわざわし始めていた。
比例するように私の心もざわざわと音を立てる。
だって、まずい、
その視線が向けられているのは…

「っ名前さん!!!!」

周囲の人に悟られないようになるべく自然に席を発った。
遠目でしっかりとは分からなかったけどきっと目が合った。
そして間違いなく彼は私を見て
『名前さん』
そう呼んだ。


平静を装って体育館の扉を抜けた私はついに走り出した。
色々な事が頭を巡ってパンクしそうだ。
黄瀬さんが私を見ていた、覚えていた、名前で呼んだ。
大観衆の前で、あんな大きな声で、ファンサービスさえもそっちのけで。
信じられない、嬉しい、嘘、夢?、現実?、大丈夫?、メディアは?、黄瀬さんの立場は?
頭も心もおかしくなってしまったみたいに暴走してるのに考える内容はだんだんと冷静になっていく。
どうか黄瀬さんのマイナスになるような事態になりませんようにと思った。
なのに彼が私を覚えていて、名前を呼んでくれた事が嬉しくて仕方ないと息が出来なくなりそうになる。
でも結局私はその場から逃げてしまった。
自らこんなに近くまで来ておいて何の心の準備も出来ていなかったのだと愕然とした。


「苗字!」
「っ、あ、笠松さん!」
遅いけどほぼ自分の全速で走っていた私は、通過した階段から響いた声に急停止した。
危ない…無我夢中で走ってた。
「何してんだ、走ると危ねえ」
「!そ、そうですよね…すみません、」
「いや、大丈夫か?顔色悪いけど」
「平気です。ちょっと急いでて」
「ならいいけど。まっすぐ帰るなら一緒に帰るか?」
「いえ、あの、寄り道するのでこれで」
「そうか。気を付けて行けよ?」
「はい、ありがとうございます」
目の前に来てくれた笠松さんはいつものように私を心配してくれていた。
お礼を伝えた私の脳天に優しいチョップが落とされた。
「因みに俺はお前の『平気』は信用してねえから、まあ何かあったら言えよ?」
「!」
「近所のよしみだ。ちょっとくらい面倒みてやる」
「笠松さん…面倒見良過ぎですよ」
「ま、相当癖のあるヤツらと付き合ってきてるからな」
「…」
「あ、俺ちょっと黄瀬んとこ行って来るわ。引き留めて悪かったな」
「っいえ!」
「じゃあ、また」
「はい」
…これから笠松さん、黄瀬さんに会うのか。
笠松さんと別れ少し早歩きで会場を去る。
さっきは自分から逃げ出してきたくせに今は笠松さんが羨ましいと思う私はなんて勝手な人間なのだろうか。
こんな自分が嫌だ。

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