Never ever | ナノ

22

凄い…
場内に入った瞬間からその空気に圧倒されて立ち尽くした。

観客の騒めき、選手たちの靴の擦れる音、バウンドするボールの音、場内の凄まじい熱気、息の詰まる接戦…
そのどれもが初めて感じるもので、その全てが私を惹き付けて夢中にさせた。
バスケットってこんなに熱いスポーツなんだ…
『絶対感動するし行って良かったって思いますよ!』
このチケットをくれた彼女が言っていた意味が分かった気がした。
そして、
そこで誰よりも輝いていたのが、プロバスケ選手『黄瀬涼太』だった。


こんなにあっさり彼を見付けてしまった。
あの彼が私の知っている黄瀬さんかどうかなんて分からないけど、見る限りでは彼の『形』をしている。
とにかく動く彼の姿を目で追った。
黄瀬さんのチームが5点を追う展開。
応援の仕方も分からない私はただ必死に見ている事しか出来ず、息をする事すら忘れてしまいそうな程見入っていた。
そのままどちらも譲らぬ接戦の中、黄瀬さんが放ったボールがリングやボードに当たることなくパスッと爽快な音を立てて2点を決める。
瞬間、場内がどよめいて歓喜と悔恨の声とで埋め尽くされた。
「っ黄瀬さん、」
ストバスコートで眩しい朝日を浴びてシュートを決めた黄瀬さんのキラキラした笑顔が呼び起こされる。
チームメイトに背中や頭を叩かれながら嬉しそうに笑うその表情に釘付けになった。
この得点を機に相手チームのタイムアウトで試合が止まって、コート上の全員がぞろぞろとベンチに戻り始める。
その中に当然彼も居るわけで。
観客の声援に両手を挙げて応える黄瀬さんの視線がアリーナから1階上がったこのスタンドにも向けられた。
律儀に端から順々に笑顔を向けている。
もう少しでこっちに…そう思った瞬間、キャプテンらしき人の怒声が飛んだ。
「黄瀬!もうその辺にしとけ!」
「すんません!」
黄瀬さんがこちらに背を向けた事にホッとしたようなちょっと残念なような妙な気持ち。
下を向き小さく息を吐いて、気合いを入れ直して顔を上げた。
その時、
「っ、あ」
遠く離れたこの距離で目が合ったなんて、よくあるライブで好きなミュージシャンと絶対目が合ったとか勘違いしてるような感覚だ。
振り返った黄瀬さんの顔はこっちに向いてたって目が合ってるとかどんな表情してるかなんてそんな事はこの距離じゃ分からない。
だけどなかなか戻ろうとしない彼の行動に少しだけどやっぱり期待してしまうのだ。
私の事が見えてる?
私が、分かる?

「おい黄瀬!」
「っはい!」
二度目のお怒りに今度こそベンチに戻った彼の背中を見つめる。
彼を見てしまった事で、私の中で彼に会いたい、話したいという気持ちが大きくなったのは予定外だった。
プロのバスケ選手だ。
きっと私なんかが普通に話していい相手じゃなかった。
こうやって試合を観に来て、彼を見ているだけで十分じゃないか、そう言い聞かせた。





2点差で敗れてしまった試合を選手が退場するまで見届けた。
選手たちは応援してくれたファンに手を振り一礼をして感謝の意を伝える。
退場する通路では1階席のファンたちがサインや写真撮影を求めて群がっていた。
疲労困憊な上に負けて悔しい思いを抱えながらも選手たちはそれに快く応じている。
そこには当然黄瀬さんの姿もあって、チームの誰よりもファンを集めていた。
どうせなら私もあそこに居るファンの一人で良かったな…そうすればこんな風に隠れるように彼を見つめる事もない。
あー、悲観的な自分が嫌だ。


「…え、あれ」
未だ熱気の残る体育館を出てトイレに向かった私は、手を洗い視線を自分の手に移した事で違和感に気付いた。
…腕時計だ。
「っ、動いてる」
黄瀬さんが居なくなってからずっと止まったままだった腕時計が時を刻んでいた。
アクセサリー感覚で着けていたので最早時間を見る仕草をしなくなっていたから、いつから動いていたのかなんて分からない。
でも今朝見た時は確か変わらず止まったままだったはず。
スマホで確認するとちゃんと時間が合っている。
トイレを出て自販機の脇にあるベンチに腰掛け、一度深呼吸をしてみる。
もう一度確認してみたけど、やっぱり時間通りに時計は動いていた。
わけが分からない。

「あ?…お前」
「え?」
突然響いた低い声にハッとして顔を上げると、通路の角に見覚えのある巨体。
私の顔を見て目を細め、ぞろぞろと歩く背の高い集団から抜けてこちらに向かって来るのは…
「青峰さん」
「やっぱあん時の女か」
「お、お疲れ様でした」
「残念だったな、オレの勝ちで」
「っ、いえ!あの、おめでとうございます」
「まあトーゼンの結果だけど」

ちょっとムッとした事はひた隠しにして作り笑いを浮かべる。
他人に興味無さそうな感じなのに一応私を覚えていたらしい。
挨拶を済ませて退散しようと立ち上がり、少し頭を下げた。
「あの、ありがとうございました」
「あ?」
「試合観戦、楽しかったです」
「…あっそ」
「彼女さんに、よろしくお伝えください」
「あー、そういや」
「はい?」
「青峰彼女がお前の連絡先知りたいってよ」
「…え、青峰彼女、さん?」
「だからなんかに書いて寄越せ」
「え」
そう言って青峰さんは壁に背を預けて完全に待つ体勢になった。
怠そうにしてそっぽを向いている。
聞いておいて勝手に用意しろとは横暴な!と一言言ってやりたくなったけれど、この人の横暴さと彼女からのお願いは別問題だと言い聞かせてバッグを漁る。
手帳を千切って壁を下敷きに文字を書き始めた。
「あー、言っとくけどオレに黄瀬の連絡先とか聞くなよ?」
「…聞きませんよ」
「は?お前アイツのファンだろ?大抵の女は、」
「ファン…ですけど、そういうのは」
「ふーん」
「はい、書けました」
「おう…って、おい。名前も書けよ」
「…」
名前…ちょっと気が引けてしまった。
連絡先のみで名前を名乗らないなんて失礼だとは思ってる。
けれど青峰さんの彼女さんって事はきっと黄瀬さんとも親しいはずだと踏んだ私は、なんとなく人伝てで自分の事がバレるのが嫌だったのだ。
「オレが文句言われんだろ、書け」
凄い形相で紙を突っ返されてしまい、仕方なくアドレスの下に名前を書いた。
これで文句はないはずだ。
「書けたかよ…ふーん、名前な」
「です」
「じゃーな」
「あ、はい。お疲れ様でした」
一気に気が抜けて元のベンチに逆戻りする。
時計は変わらず時を刻んでいた。

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