Hold me more! | ナノ

7

あの日から1週間。
大輝の指示で私の仕事はほぼ裏方になって、お客さんと直接関わるホールやカウンターに顔を出す事はなくなった。
あとは事務関係の仕事をちょっとお手伝いしたり。
そうやって身を隠していたけれど結局あの人は今のところ店には来ていない。
仕事の行き返りでも遭遇する事はなかった。
あの日、私は気が動転して二人の話を聞いていなかったから知らなかったのだけれど、大輝は『そんな名前の女はいない。人違いじゃないか』と伝えたらしい。
勿論納得はしていなかったらしいけれど、とりあえず彼の機転に感謝だ。
なので今私のネームプレートには『鈴木』と書かれている。
所謂、偽名だ。
直接鉢合わせてしまえば多分すぐにバレてしまうのだけれど。
それから…
『ラストまで待ってろ』
『人足りない?手伝おうか?』
『そうじゃねえよ…ただ事務所で待ってりゃいい』
『?』
『1人で帰るなって事だ』
『え、大丈夫だよ』
『どこが大丈夫なんだよ』
『待ってるだけなんて、』
『うるせえ、いいから言う事聞け』
早番でも遅番でも、私は必ず大輝と一緒に帰る事になった。
心配してくれるのは有り難いけど、日を追う毎に大輝の顔が疲れてきている気がして申し訳なくなってくる。
ほら、現に今も…
「くぁあ…」
大きな欠伸をして伸びをしている。
お客さんが途切れるこの時間、ホールに出てテーブルを拭きながらそれを見ているとバイトの子に冷やかされた。
「なまえさん、オーナーの事見過ぎですよ」
「っえ!そんな事ないから」
「そうですか?めっちゃ見てたじゃないですか」
「気のせい!」
「仲良くて羨ましいなあ。あ、そろそろ結婚とかしないんですか?」
「結婚!?」
「え、なんですかその反応」
「急にそんな事言うから」
「なまえさん赤くなってる!可愛い!」
「っ冷やかさないの!」

チリンチリン…
賑やかになった店内にお客さんの入店を知らせるベルが響いた。
「いらっしゃいませ!2名様ご来店です」
「いらっしゃいま、せ、っ」
バイトくんに続いた私の言葉は最後まで上手く声にならない。
その原因は来店したお客にあった。
気付かれない様に事務所に行こうとしたけれど時既に遅し。
「あ、やっぱり居た…なまえ」
「!」
「あれ…何?鈴木って、偽名?」
「っ」
その人とは数メートルの距離があるのに、バイトくんを通り越してまっすぐ私に向かって話し掛けて来る。
私は何も答える事が出来ない。
なんとか動揺を隠して声を出そうとした時、私の前に静かに大輝が立ち塞がった。
「…席は、どちらに?」
「なまえに案内して貰うからいいよ」
「なまえ?誰かと間違えてんじゃねえの?」
「何言ってんの、間違えるわけないから」
「おい鈴木、裏の仕事片付けて来い」
「っはい!」
「あ、こら!なまえ!」
自分の名前に反応しない様に背を向けてホールを後にする。
上擦った返事が私を別人だと思ってくれればいいと考えたけれど、この距離で目が合えば向こうも間違いなく私だと分かっているだろう。
何故今更会いに来るのか。
聞かなければ分からないけれどそれは聞いたらいけない気がする。
暫くモヤモヤしながら材料の在庫チェックをしていると、エプロンを外しながら大輝が戻って来た。
「…大輝」
「お前」
「?」
「暫く店休め」
「…え!?」
当たり前の様に言われた言葉に驚いて目を丸くすると大きく溜息を吐かれた。
「あんなのがちょくちょく来てたら仕事にならねえ」
「っ、ごめん」
「は?なんでお前が謝んだよ」
「だって」
「そりゃあの男がする事だろ」
「…、え、いった!!」
強めのデコピンがヒットして声を上げると鼻で笑われた。
見上げた先にあった勝ち気なニヤリ顔に目を奪われる。
「とりあえず今日はもう上がりだ」
問答無用で腕を引かれて、残るスタッフに後の事をお願いして店を出る。
あの人に会った事で動揺していた私の心はいつの間にか落ち着いて、彼の隣に居るという事の温かさに安堵の息が漏れた。



「ただいま」
「おかえり〜…ん?え?なまえ!?」
「あー…はは。ただいま」
「ちょっと!今どこで何してるの!」
「ご、ごめんごめん!これから話すから!」
久々に帰った実家で母の罵声に迎えられた。
当然の事だし分かってはいたけれど、割と放任主義の母の激怒ぶりにちょっとたじろいだ。

「ふうん、じゃあ長く付き合ってた相手とは終わっちゃったわけね」
「…うん」
「その子かと思ってたけど、まだ付き合いたてって事か」
「え?」
「お兄ちゃんから聞いたよ?イケメンと同棲してるって」
「!っそ、それは」
「何て言ったっけ…あー、かがみくんだ!」
「お母さん!それ違うの!」
「え?違うの?だいぶ前にお兄ちゃん画像送って来たよ?」
「…お兄ちゃん」
見せられたスマホの画面には仕事中の火神さんの横顔が写っている。
お兄ちゃん、いつの間に盗撮してたの…
目の保養だとニヤける母からスマホを取り上げて勝手にその画像を消去した。
「あ!消した!」
「これ盗撮なんだから駄目!」
「残念」
「もう!お母さん…すっごく色々あって、その人の家には少し居候させて貰ってたんだよ」
「そうなの?」
「今はその…ちゃんと…彼が居てですね」
「やだ、乗り換え早い」
「そうじゃなくて!や、何とも言えないんだけど、違う!大輝はすっごく優しくてっ」
「大輝くんって言うの?」
「う、ん…青峰、大輝」
「ふうん」
「…なんでニヤニヤしてるの」
「だって、顔赤いし嬉しそうな顔してるし」
「っ」
母に指摘されるまで自分がニヤついている事に気付かなかった。
彼の事を考えるだけで頬が上がってしまうなんて初恋か何かかと突っ込みたくなる勢いだ。
そんな私を見る母の顔は穏やかで優しくて…私の背中を押してくれている気がして勝手に嬉しくなった。
「今度連れてらっしゃい」
「っうん」
母の優しい笑顔につられて顔を綻ばせた。

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