Hold me more! | ナノ

20

8月も後半、ジージーと鳴き続ける蝉の大音量にこれでもかと暑さを感じさせられながらいつも通りの出勤。
容赦なく照り付ける太陽の光に体が溶けてしまいそうだ。
夏はあまり好きじゃない。
暑いのは苦手でどちらかと言えばまだ冬の寒さの方が我慢出来る。
だけどそんな私も今は少しだけ夏も悪くないかなと思うようになっていた。
もうすぐ、今週中に大輝が帰って来ると聞いた時から…残り少ない夏、初めて大輝と過ごす夏が楽しみで仕方ないから。
それから初めて彼の誕生日を祝う事が出来る。
出会ったのが冬だったから去年の誕生日は過ぎてしまっていたし。
これからの生活がかなり自分ののモチベーションになっていて多分、いや確実に私は浮き足立っていたんだと思う。





「なまえさん、気を付けて〜」
「ありがとう火神の彼女ちゃん、また来るね!」
「はいっ、私もまた遊び行きますね!」
「送れなくて悪いな。気を付けてけよ?」
「うん、ありがとう。火神さん、ごちそうさま」
夕方までの勤務を終えて火神さんのお店で夕食を済ませた私は、二人とスタッフの皆さんにお礼を言ってお店を後にした。
二人の満開の笑顔に見送られて帰路につく。
結婚が決まった二人はもう夫婦みたいに見えて本当に幸せそうだ。
身内だけの式は急遽11月に決まって、今は招待状作りやプランナーさんとの相談で休みの日は二人で式場に通っているらしい。
笑顔で話してくれる火神の彼女ちゃんは眩しかった。
火神さんもそんな火神の彼女ちゃんを優しい表情で見ていて、二人を取り巻く空気は暖かくて幸せに溢れていた。




帰宅していつものようにエアコンをつけてソファに腰を下ろした。
バッグから取り出したスマホはなんの通知も受け取っていなくて少し気分が落ち込む。
『来週帰る』と連絡をくれて以来、大輝から何の音沙汰もない。
その『来週』にはもう既になっていて、今日はもう金曜日。
もうすぐ今週が終わってしまう。
もしかしたら仕事が思ったより長引いてしまったのかもしれないしそれなら仕方のない事だ。
最悪今月中には必ず帰って来てくれると分かっているのだから何も落ち込むことなんてないのに。
頭では理解しているのだけれど『待つ』ってすごく大変な事だって改めて実感していた。
2ヶ月以上も待てたのに残り数日が驚くほどに遠い。
ぎゅーっと強く目を閉じて暫く瞑想。
一つ息を吐いて立ち上がりバスルームへ向かった。
今日はまた特別暑い日で全身汗だくだ。
ベタベタを早く洗い流してさっぱりしたいし、ついでにマイナスな頭もスッキリさせたい。
シャワーでも浴びて全部全部洗い流してしまおう。
シャツを脱ごうと袖を掴み引き上げようとした所で、私はちょっとの違和感を感じて動きを止めた。
…。
違和感から嫌な予感、そして衝撃に変わるのにそう時間は掛からなかった。
正面の鏡に写った自分を見て愕然とする。
「ブレスレット、っ」
左手に常にあったはずの濃紺のブレスレットがない!!
バタバタとリビングに駆け戻って部屋の中を探し回る。
テーブル、ソファ、床、バッグ、リビングから玄関までの廊下、玄関、バスルームも勿論探した。
けれど見つからない。
仕事中はしていた、仕事上がりにも確認していた。
家にもないって事は火神さんのお店からの帰り道で落としたか火神さんのお店か。
そういえば最近革紐の結んである細い部分が大分劣化して来たなとは思っていた。
きっと何かの拍子に千切れてしまったのだ。
彼に貰った唯一の身に着けるもので、今では彼が居ない間のお守りみたいなものになっている大切な大切なものだ。
なのになんで気付けなかったのか。
もし見付からなかったらと焦りに焦って、私は何も持たずに勢いよく家を飛び出していた。



どうしようどうしようどうしよう!
とても大切なものなのに最近意識が欠けてた。
彼がもうすぐ帰って来るという嬉しい気持ちとまだかないつかなという焦燥ばかりに気を取られていたからに違いない。
火神さんのお店から通って来た道を同じように戻りながら目を凝らす。
街灯のない場所は見えにくくて姿勢を低くしたり物の影を覗き込んだり、下手したら不審者に見えるかもしれない行動だって関係なかった。
汗が額を伝ってダラダラと流れ落ちる。
それを汚れているのも気にせず手や腕で拭った。
顔が汚れたってなんだって変に見られたって、それでブレスレットが見つかるならどうでもいい。
形振り構わず探し続ける私を、たまに通り掛かる人は少し避けながら足早に去って行った。
暫く探し続けて火神さんのお店までやっと半分くらいまで来たところで、とうとうクタクタになった私は地面にお尻を着いて座り込んだ。
暑くて喉が渇いて汗だくで気持ち悪くて心はマイナス思考の塊になっていて、こうやって一度座り込んでしまったらなかなか立ち上がる力が出ない。
顔を両手で覆って座り込んでいる事しか出来なかった。
「大輝、っ」
自然と出てきたのは彼の名前。
いつも苦しむ私を救い出してくれるのは彼だけ。
呼んだって今は会えないと分かっていても、私の口は勝手に彼の名前を紡いでいた。


「何やってんだ、お前はまた」


なんて言ってまた私を迎えに来てくれないかな。
それから力一杯抱き締めて貰ってそれで、


「おい、…なまえ」

「…え、」


顔を隠したまま時間が止まったみたいに動けなくなる。
今のは私の妄想であって願望であって、こんなところに彼がいるわけがないのに。
ゆっくりゆっくり顔を上げたその先には、

「え、じゃねえよ」
「…」
「…ただいま」
「っ、」
「ただいま」
「嘘っ」
「おい、何回言わせんだ」
「お、おかえり、っう」
「おう」
「っうぇ」
「泣くなブス。…ほら、来いよ」
「っ」

さっきまで脱力していたのが嘘みたいに力が湧いて、吸い込まれるみたいにして彼に向かって飛び込んだ。
よろけもせず私を受け止めた大輝は身を屈め耳元に顔を寄せて囁いた。
『いい子に待ってたかよ』
ぶるりと体が反応して自分が今本当に彼の腕の中にいるのだと実感する。
言葉も返せず広い背中に手を回してぎゅうぎゅうとしがみつくとおデコでおデコをグイと押し退けられて、鼻先が触れ合う距離で視線が絡んだ。
「きったねー顔」
「う」
「何してんだよ。いっつもボロボロだな、お前は」
「こ、これは」
「まあいーわ別に、なんだって」
「え」
「お前に変わりねーだろ」
「っ」
「とりあえずチューさせろ」
「!」
言いながら唇は既に触れ合って、驚く間もなく噛みつくようなキスに見舞われる。
突然のただいまに久しぶりの抱擁に久しぶりの彼の低い生声に脳も体も追い付けていないのに、彼は変わらない横暴っぷりで私を震わせた。


ああ、本物の大輝だ。

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