「若松さん!もう!若松さん!!」
「なんだ?そんな嬉しかったか?」
「わあ!そんな風に見えるなんて幸せな目ですね!」
「あ?何怒ってんだよ苗字」
「怒ってないです。あー若松さん太っ腹」
「棒読みだぞ」
仕事後、若松さんが連れて来てくれたのは私も知る料理屋さんだった。
暖簾を見てガックリ項垂れる。
『飲み食い処 今吉』
さっさと暖簾を潜ってしまった若松さんに遅れる様にして私もお店に足を踏み入れた。
案の定、驚いた顔の今吉さんが出迎えてくれた。
「今吉さん。どーも、お疲れっす」
「おお、よう来たな若松…なんや、名前ちゃんと知り合いやったん?」
「は?名前、ちゃん?」
「こないだ来てくれたんやで?」
「は!?苗字、お前今吉さんと知り合いなのか?」
「この間1回だけ食べに来ただけですよ。それだけで知り合いっていうのかは分かりませんけど、顔と名前は知ってます」
「相変わらず釣れへんなぁ」
ニヤニヤと笑いながら調理している今吉さんが私たちをカウンター席に促した。
私は出来れば向こうのお座敷が良かったんだけど。
若松さんはまだ驚いている様子で、私と今吉さんを交互に見遣っていた。
「若松が言うとった後輩の女の子いうんは名前ちゃんの事やったんか」
「え、ちょっと若松さん。今吉さんに何言ったんですか」
「べ、別になんだっていいだろ」
「良くありませんよ。人の評価下げる様な事言ってませんよね?」
「忘れた!そんな事は!」
「えー」
「名前ちゃん、ワシが教えたろか?」
「はい、是非」
「あんなぁ、」
「今吉さん!!お客さん向こうで呼んでますよ!」
「おお、すんませーん。今行きます〜」
隣に座る若松さんにジト目を向ける。
わざとらしく逸らされた所を見ると、大方私に対する愚痴や不満を漏らしていたのだろう。
ふぅと息を吐いてお茶を啜ればホッとしたのか話題転換して身を乗り出して来た。
「お前、うなぎ好きなのか?」
「いいえ?得意じゃないです」
「は?じゃあなんでうなぎ料理の店に来たんだよ」
「…はぁ」
「なんか理由でもあるのか?」
「あの大ちゃんヤロウのせいですよ」
「ッブ!!!」
「ちょ、若松さん汚い!何吹き出してるんですか!」
「げっほ、わ、悪い!」
突然盛大に咽てお茶を吹き出した若松さんにハンカチを渡す。
気管にでも入ってしまったのか彼の色白の肌は真っ赤になってしまった。
「おまっ、青ッ…いや、アイツとも知り合いなのかよ!」
「…あお?」
「その…だ、大ちゃんヤロウだよ!」
「えー、ちょっと待って下さい。若松さんまで知ってるのに名前教えてくれないとか」
「どうせ今吉さんから聞いて教えて貰えないの分かってんだろ?だ、大ちゃんって呼んどけよ、俺はぜってぇお断りだけどなッ」
「嫌ですよ…ていうか若松さんもアイツの事嫌いなんですね」
「んな!なんで分かるんだ!?」
「若松さんが分かりやす過ぎなんですよ」
「相変わらずやなぁ、若松は」
私と若松さんの間に間延びした声が割って入る。
座敷席から戻って来た今吉さんが若松さんの頭をポンポン叩いて笑った。
そして調理場に戻ると手元を休める事無く淡々と昔話をしてくれた。
あの失礼男は今吉さんと若松さんの高校時代の部活の後輩で、昔からあんな感じの自分勝手なヤツだったらしい。
真っ直ぐで真面目気質な若松さんとはやはり高校の時も反りが合わなかった様で、2人は度々いがみ合っていたのだとか。
部活はバスケ部。
若松さん然り、彼らが皆高身長なのが頷けた。
今吉さんは昔話のついでに私とあの男の最悪な出会いを説明して、私の不幸を笑った。
あの失礼男が腹黒と言っていたのが分かる気がする。
「名前ちゃんもお人好しやね。大チャン強いから一晩外で寝たとこで死なへんよ?」
「過去最大の後悔ですよ」
「アイツを家に入れたのかよッ」
「だってあの時は良心が働いたんです!あんなヤツって知ってたら蹴飛ばして帰りますよ!」
「っはは!名前ちゃんその意気や!」
「同じ布団で寝てたとか…あのクソガキ」
今吉さんは絶対私の事を面白がってる。
反対に若松さんは私の間違った選択を全力で咎めた。
自分が一番後悔してるんだからこれ以上傷を抉らないで欲しい。
「んで?あれ以来大チャンには会うたんか?」
「さすがにそんな頻繁に会わねえだろ」
「居ましたよ…今朝ね」
「は!?…だからお前朝から疲れた顔してたのか」
「いちいち人の神経を逆撫でするほんとに失礼な男ですよ」
「大チャンも嫌われたもんやなぁ」
「当然っすよ!アイツは人を馬鹿にし過ぎなんすよ」
「そうです!若松さんたまにはいい事言うじゃないですか!」
「お前なんかそれも失礼だぞ俺に!」
「そんな事ないです!」
「お前らいいコンビやな」
アイツの事については意気投合した私と若松さんは愚痴をこぼし合った。
それを愉快そうに見ている今吉さんは宛らお兄さんの様だ。
実際こんな腹黒お兄さん欲しくないけど。
始めはお茶だけだった飲み物がいつの間にかアルコールに代わり、気付けば私と若松さんはお店の閉店時間まで語り合っていた。
止めて欲しかったです、今吉さん。
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