TORAMARU | ナノ



あの男のせいで台無しになった昨日。
今日はそれを挽回すべく外に繰り出した。
所謂気分転換というやつ。
近くにある大きな公園を訪れ、最近ちょっとした趣味になったランニングだ。
顔見知りになったおじいさんやこの辺の事を色々教えてくれるおば様ランナーと挨拶を交わしつつ、公園の中心にある大きな池を周回する。
いつもの様に走っているとふと後方から聞き覚えのある怒声が聞こえ始めた。
ああ、私の気分転換が…
「どっせぇええええい!!」
気のせいだと思いたいけれどこれは気のせいに出来そうにない。
物凄い迫力とスピードで私の横を通り過ぎて行ったのは予想通り私がよく知る人物だった。
突然の急ブレーキと共に振り向いたその暑苦しい人物に思わず顔を顰める。
「お前!苗字じゃねえか!」
「はい、苗字です…こんにちは、若松さん」
「お、おう」
会社で私の1つ先輩に当たる若松孝輔さんだった。
挨拶をそこそこに軽いランニングで若松さんを通過すると、彼は当たり前の様に着いて来る。
お願いだから1人にしてくれ…そんな思いを飲み込んで愛想笑いを浮かべれば、それをプラスに受け取ってしまったのか横に並んで走り始めた。
「お前、いつもここで走ってんのか?」
「はぁ…まだ始めたばかりですけど大抵は」
「なんだよ!知らなかった!俺も休みん時はここで走り込みしてんだよ」
「そうですか」
「ちょっと一緒に走ろうぜ!」
「えー、無理ですよ。私が若松さんに着いて行けるわけないじゃないですか」
「俺もう10周済ませてっからよ。そろそろ流そうと思ってたとこだから丁度いい」
「じゅ、10周…」
「ほら、行こうぜ」
この広い池の周りを10周だと…。
眩暈すら覚えるその数字に、やっぱり若松さんは体を動かす事が好きなんだなと再確認。
会社でもデスクワークよりも現場にいる彼の方が輝いているように見えるのはそういう事なんだろう。

半周回った所で、少し離れた所にある雑木林の辺りに人だかりを見つける。
ここからじゃよく見えないしこのまま走ってもあの辺りを通らないけど、なんだか物々しい雰囲気が気になる。
首を傾げているとそれに気付いた若松さんが話し出した。
「気になんのか?アレ」
「あー、はい。何してるんでしょう?」
「多分ホームレスの取り締まりとか、変質者に関する聴取みたいなヤツじゃねえか?」
「え!変質者とかいるんですか?」
「いや、この公園じゃ出てねえけど、先週辺りから近場の公園に出るらしい」
「うわ…じゃあ予防策みたいな感じですかね」
「そんなとこだろうな」
「そういえばあの雑木林なんてホームレスの恰好の住まいですね」
「だな。実際テントとかあるし」
雑木林の奥にチラチラと見えるブルーシートを見て、きっとあそこに住む人が居るのだろうと予想がつく。
けれどこの様子じゃ近々撤去されるのだろう。
「ホームレスより変質者だろ。お前も気を付けろよ?」
「こんなの襲う物好きなんていませんよ」
「お前なぁ…女だって事自覚しろよ」
「やだ先輩!私の事女だって思ってくれてたんですね!」
「なッ!ど、どういう意味だそれ!お前女だろうが!俺をおちょくってんのか!?」
「もう、すぐカッカしないで下さいよ暑苦しい」
「あ、あつ…」
「じゃ!また会社で!」
立ち止まり呆然と立ち尽くす若松さんを放置して、少しスピードを上げて走り去る。
チラッと振り返れば頭に手をやって座り込む姿。
若松さんはからかうと面白い。
そういえば彼との出会いもなかなか衝撃的だったなと2年程前を思い出す。


「今日からこちらの部署でお世話になります、苗字名前です。よろしくお願いします」
「そういう事だ。苗字にはこれから若松に着いて動いて貰う」
「え!ちょッ!俺ッスか!?」
「なんだ?何か問題でもあるのか?」
「いや、別に…ないッス…」
「若松の下のヤツが今休職中でな。やる事は山積みだ。苗字、頼んだぞ?」
「はい。若松さん、よろしくお願いします」
「お、おう」
若松さんと言う人はとても背が高かった。
目測で多分私より30センチは高い。
見上げる程に高い圧迫感のあるその身長と好戦的な顔つき。
けれど深々と頭を下げてお辞儀をすれば戸惑う様な返事が返って来た。
一瞬合った目はすぐに逸らされた。
自分があまり歓迎されていないというのは始めの挨拶の時点で分かっていた。
やりにくいな、と思ったのは事実だ。
でもそれから数日の付き合いを経て、私の考えは思い違いだったと知る。
「若松さん、コレどうしましょう?」
「ぬあっ!か、顔!顔が近え!」
「え?」
「近いんだよ!」
「…」
書類を確認して貰おうと隣に立っただけでコレだ。
更に、
「!?」
「あ、すいません」
「うあッ!あっつ!」
「え!だ、大丈夫ですか!?拭くもの今」
「いいいいいいッ!自分でやる!触んな!」
隣同士のデスクで手がぶつかってしまっただけでこの反応。
勢いよく手を振り上げるものだから彼は入れたばかりのコーヒーを思いっ切り零してしまった。
服に浸み込む前にと自分のハンカチを取り出して近寄れば全力で拒絶された。
ここまで拒絶されると怒りすら覚え始める。
いくらなんでもその反応はないだろうと顔を上げた所で、若松さんの顔が尋常じゃないくらい赤い事に気付いた。
そして
「ぶっははは!もう駄目だ!苗字、黙ってて悪かった!」
「はい?」
「若松な、女が苦手なんだよ」
「なッ、ぶ、部長!?」
「…は」
「苗字が嫌いなわけじゃないから安心しろ」
「…」
「お前肝が据わってそうだったからな。若松に女の免疫付けて貰おうって思ってだんだよ」
「部長…そんな任務を私に…」
「悪い悪い。だってしっかりしてそうだから」
「はぁ…いいですよ、別に」
笑いながら謝罪されても謝られた気にはならないけど、そんな事だったのかとホッとした。
単に私が嫌いなのだとしたら、これから一緒に仕事をする上でそれはかなりの障害になる。
でも女性自体が苦手なだけなら上手くやれば歩み寄れるではないか。
私は仕事大好き人間というわけではないけれど、どうせやるならば楽しくやりやすくやるに越した事はない。
少しだけこれからに希望が見出せた。
ティッシュでシャツに着いたコーヒーを拭きながら項垂れている若松さんに向き合う。
座った状態の彼とは高さにそんな差はなかった。
…私の座高が高いとかそういう事じゃない、と思いたい。
「若松さん」
「な、なんだよ」
「私は男です、若松さん」
「…はぁ!?どう見たって女」
「男と思いましょう」
「否やっぱどう見たって女だろ」
「若松さんって体育会系っぽいから仕事には熱心なのかなって思ってたけど、そんな事に振り回されちゃう人なんですね」
「な、んだと?」
「めんどくさ」
「あァ!?てめえ今なんつった!」
「だから、『めんどくさい』って言ったんです」
「てめ、コラアァッ!!」
単純な挑発に乗りやすいのはこの人の性分だろうか。
これから取引に行く時は私がストッパーにならねばと思いつつ、自分の立場の確立に成功した私はほくそ笑んだ。
掴まれたほっぺがちょっと痛いけどそれは良しとする。
「…ひひゃひへふ…」
「っわ、悪い!!」
「いいですよ、別に。私にはそんな感じでいいです」
「…苗字」
「って事で改めて、これからよろしくお願いします」
「…おう!よろしく頼む!」
がっちりと交わした握手が猛烈に痛かったのは今でもよく覚えている。


あれ以来、私と若松さんはずっとコンビを組んで上手く仕事をこなしている。
あの出来事で私が彼からの信頼を得られたは分からないけれど、今こうやって男女の隔たり無く接して来る若松さんは私にとって信頼できる先輩だ。
『遅い時間には走るなよ!』
帰宅後メールを確認すれば若松さんらしい端的なメールが1通。
『はーい』と間延びした返事を返して、本日の思わぬ遭遇を笑った。

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