TORAMARU | ナノ



「じゃーな」
「は?え?…はぁ!?」
男はあっさり家を出て行った。
ちゃっかりお風呂も食事も済ませて更にはソファで昼寝までしてから。
バタンと閉まった玄関を見つめながら私は立ち尽くした。
「ちょっと…なんなのあの人」
もう二度と人助けなんかするもんか!


私は男が一時的に寝ていた客用の布団を片付け、掃除洗濯全ての家事を無心でやっつけた。
独身女の休日なんてこんなものだ。
しかもアイツのせいで半日潰してしまった。
ボーっとしていたら名前すら知らないあの失礼な男の事を思い出しそうで嫌だったからとにかく動き回った。
…べ、別にあの男の裸体を思い出してしまうわけではない、断じて。
最後にお風呂掃除をしようと脱衣所に行くと、洗濯機と壁の隙間に何かキラリと光る物が。
手に取ってみるとそれはライターだった。
「飲み食い処、今吉?」
きっとあの男が落としていったものだ。
店名を検索にかけて場所を確認。
ここからそんなに遠くない場所にあった。
行き付けのお店?
昨日もあんな所に転がっていたし、もしかしたらこの辺に住んでいるのだろうか。
でもあんなデカイ男、その辺を歩いていれば目立ちそうなものだけれど見た事がない。
ちょっとした好奇心から私はその居酒屋に行ってみる事にした。
ライターに書かれた店名の隣にはにょろっとウナギが描かれている。
うなぎ料理のお店なのだろう…どうでもいい事だけど、私うなぎはちょっと苦手だ。


そのお店は家から徒歩で20分程の所にあった。
駅と逆側にある為普段絶対に通らない場所だ。
道理で見た事も聞いた事もないわけだ。
「いらっしゃーい。ん?お嬢さん、お一人?」
「あ、はい…そうです」
「どうぞどうぞ。中空いとるで?」
「…どうも」
藍地に白でうなぎが描かれた暖簾を潜ると関西弁の男の人がいた。
あの男とまではいかないけどこの人も背が高い。
この辺りは巨人の巣窟らしい。
角張った眼鏡をかけ目を細め微笑んで奥の席に促してくれた。
と思ったら元々目が細いのか目の形が変わる事はなかった。
なんだろう、なんか怖い。
店内には家族連れ1組と仕事帰りらしきスーツ男性が1組、それと私だ。
カウンターの一番奥に通された私はメニューを見ながらも、背を向けて調理している糸目の関西弁眼鏡さんの様子を窺った。
「ん?お嬢さん、注文決まったか?」
「えッ!す、すいません!まだ」
「ああ、ゆっくり決めてな?」
急に振り向かれたからびっくりした。
私が見てるの気付いてたんだろうか。
やっぱなんか怖い!
結局私は眼鏡さんお勧めのうな重レディースセットとやらを注文して、あまり眼鏡さんを見ない様に店内を見渡しながら料理を待った。
うな重が目の前に置かれる頃には気付けばお客は私だけになっていて、洗い物を終えた眼鏡さんがニコニコと貼り付けた様な笑みを浮かべながら私を見て来た。
食べにくいし反応に困る。
「あの…何か?」
「ん?いやぁ…若い女の子が一人でよくこないな店に来たな思てな?」
「…」
「会うた覚えないし…初めてやろ?」
「は、はい」
「味はどうや?」
「っ美味しい、です」
「そら良かった。んならこれからもご贔屓に、な」
「あ、あはは」
笑顔が怖いって接客業じゃ致命的なんじゃないだろうか。
怖いと思うのは私だけ?
否そんな事ない。
何でも見透かされているみたいな嫌な感じの笑顔だ。
と思った矢先…
「で?ワシに何か聞きたい事でもあるん?」
「え!」
「なんや聞きたそうな顔しとるから。ワシに惚れとるわけでもないやろ?」
「あ、当たり前です」
「っはは!ええよ?答えられる事なら答えたる」
「…」
やっぱり食えない感じの人だ。
嘘っぽい笑顔を浮かべながら首を傾げられても全然可愛くない。
とはいえ聞きたい事はあった。
ここは遠慮なんかしても仕方ないと、私はあのふざけた男の事を聞いてみる事にした。

「…ああ、知っとるよ?よ〜く知っとる」
「…」
「で、何が知りたいんや?」
「何が?…うーん、何がと言われると…とりあえず名前?」
「わっはは!なんや、大して興味ないんか」
「興味はありません。ただ腹が立つってだけです」
「まあそらなぁ。自由なヤツやからしゃーないわ」
「しょうがなくないですよ。もうホント最悪!」
「名前なぁ…ワシから教えられんのは『大ちゃん』くらいやろか」
「…だ、大ちゃん?」
「そ」
「あの…大ちゃんって、ダイスケ?ていうかせめて苗字とか」
「そらアカン。ええやん、大ちゃんで」
「名前聞いて何がいけないんですか」
「人に名前知られるん嫌がるんや」
「…」
何かマズイ事にでも手を出してるんじゃない?
あの顔だし、あんなんだし。
こんな考えに至るのは仕方ない事だと思う。
どうでもいいけど『大ちゃん』って…
子供のあだ名みたいな可愛い愛称、似合わな過ぎる。
結局それしか教えてくれなかった『今吉翔一さん』というこの店の店主にジト目を向ける。
今吉さんは相変わらずにんまりと笑いながら私を見ていた。
…もういいや。
「ご馳走様でした」
「ん?もう帰るん?」
「はい。食事終わりましたから」
「長居オーケーやで?」
「遠慮しときます」
「なかなか釣れへんなぁ。あ、そうや。自分、名前教えてえな」
「…嫌です」
「っはは!断られたわ!でもワシ名乗ったんやけど?」
「…」
「ん?」
「…苗字、名前です」
「ん、名前ちゃんな。またおいで。いつでも待っとるで」
「気が向いたらお邪魔します」
「おもろい子ぉやな」
「さよなら」
店を出て深く深く息を吐いた。
物凄く疲れた。
やっぱり今吉さんって人、食えない人だ。
大した情報もなかったし…大ちゃんてなんだ、大ちゃんて。
得意じゃなかったうな重が、ここのは今まで食べた中で一番食べやすかったって事だけが収穫。

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