「やっぱ神様なんていない」
「ん?どうしたんスか?」
「黄瀬さんってキラキラしてますよね神様か何かですか?なら私の願い叶えて下さい」
「…名前ちゃん、顔怖いッス」
「失礼ですよ黄瀬さん」
「あ、ごめん」
私の特大の独り言が拾われた。
隣でコーヒーを飲みながらわけが分からないという顔をしている黄瀬さん。
カウンターに肘を着いて深く溜息を吐くと、彼は私の頭をポンポンと叩いて微笑んだ。
うん、後光が差している気がする。
「何かあったんスか?」
「何もないですよ」
「えー、そういう顔じゃないんスけど」
「何もないからこういう顔なんです」
「何もない?」
そう、何もない。
『休み取って出掛けようぜ』
大我さんにそう言われてから2週間が経とうとしていた。
たった2週間と思われるかもしれないけど、『楽しみ』が出来てしまった私にしてみれば長い長い期間だ。
あれからお店が忙しくなったり大我さんが赤司さんに連れ出されたり色々な事が重なって、一緒に休みを取れる状況じゃなくなってしまった。
頻繁に赤司さんに連れ出されるのは、青峰さんが行くはずなのを上手く逃げているからだと聞いた時は青峰さんを恨んだ。
やっぱり彼女さんがあの人を好きだって事が信じられない。
それはさて置き…
こういう状況がずっと続くわけではないからいつかはその日が来ると分かってはいる。
でもそのいつかは一体いつになるのだろう、そんな事ばかりを考えてしまうのだ。
大我さんと上がりが同じ時は一緒に帰っている。
それだけでも本当は十分なはずなのに…欲は恐ろしい。
「黄瀬さん、手が重いです」
「いや〜、名前ちゃんの頭ってなんかこうポンポンしたり乗っけときたくなるんスよね」
「なんですかそれ」
「あれ、駄目ッスか?」
「うーん」
「駄目だ」
「え?」
「ん?火神っち?」
「…大我さん?」
ホールからカウンターへ戻って来た大我さんが私と黄瀬さんを見て眉間に皺を寄せた。
そしてその目は私の頭上、黄瀬さんの手に向けられる。
ポンポンとまたリズムが刻まれると大我さんの眉が吊り上がった。
「黄瀬」
「なんスか?」
「手、退けろ」
「いいじゃないッスか別に」
「駄目だ」
「なんで火神っちにそんな事言う権利があるんスか?」
「駄目なものは駄目だ」
「…駄々捏ねてる子供みたいッスよ」
「なんか言ったか!」
「べっつにー」
頭上の重みがなくなった。
黄瀬さんが大袈裟に両手を上げて肩を竦める。
そして私の事を見ると不意に顔を近付け、耳元で小さく囁いた。
「あれ、嫉妬ッスね」
「…え?」
「火神っちって結構分かりやすい」
「黄瀬さん、何言ってるんです?」
「なんか安心したッス」
「え?」
「名前ちゃんは救いの神様ッスね」
「益々意味が分からないんですけど」
「黄瀬」
「ハイハイ、俺はそろそろお暇するッスよ。ご馳走様」
「青峰に次は赤司に着いて行けって言っとけよ」
「了解ッス。じゃあね、名前ちゃん」
「はい」
なんとなく黄瀬さんを店の前まで送った。
去り際ににっこり笑ってまたポンと頭を撫でるものだから首を傾げる。
そんなに私の頭ポンポンは楽しいのだろうか。
いまいち腑に落ちないままカウンターに戻ると、いつの間に作ったのか大我さんが目の前にカップを差し出した。
「?…あ」
「それ、サービスな」
「え」
出されたカフェラテに描かれていたのは歪だけどなんだか可愛らしいハート。
驚いた。
お店ではこんなサービスはやっていないし、第一大我さんがラテアート出来るなんて知らなかった。
「可愛い」
「まだ練習中だ」
「でも上手です」
「いいよ、慰めてくれなくて」
「いや、ホントに…でも、なんで」
「なんとなく、な」
「はあ」
「熱いうち飲めよ」
「はい、って言いたい所ですけど…勿体なくて飲めない」
「…」
「です」
「…」
「?」
「…っちょっとホール見て来るわ」
「はい」
目が合った瞬間、大我さんはビクリと体を揺らしてホールに向かった。
置いて行かれた私は大我さんを見送った後目の前のカフェラテに視線を落とす。
体の大きな大我さんが背を丸めて集中する姿を想像して、なんだかこのハートみたいに可愛いと笑いを零した。
「うー…暇」
1週間ぶりの休日。
忙しいのは商売繁盛で有り難い事だけどそろそろスタッフを増やそうかという話が出る程お店は忙しくなっていた。
それもこれも大我さんの人当たりの良さとその人柄、リーダーシップのおかげ…すべてが彼のおかげで成り立っていると言っても過言ではない程大我さんの存在は大きかった。
私も少しは役に立てているといい、そう思いながら日々の仕事を頑張っている。
今日は大我さんはまた赤司さんに着いて他店舗を回ったりお得意先との接待に駆り出されていた。
青峰さんの馬鹿、と心の中で悪態を吐いて顔を歪めた。
せっかくの休みもする事もなければ1人で出掛ける気にもなれず、結局こんな時間まで家でダラダラと過ごしてしまった。
時計はもうすぐ20時になる所。
まあ時計を見た所で今更出掛ける気も無い。
見もせずつけていたテレビを消してソファで大きく伸びをした。
ピンポン
「ん?」
鳴り響いたインターホンに伸びが途中で止まる。
起き上がりモニターを確認して、私は思わず背筋を伸ばした。
『今平気かい?』
「は、はい。どうしたんですか?赤司さん」
『ちょっとキミの助けが必要でね』
「え?」
『とりあえず開けてくれないか』
「え」
社長様の登場だ。
しかしお願いというかこれはもう命令だ。
モニター越しの彼の目が『今すぐ開けろ』と言っている気がして私は慌てて玄関に向かった。
ドアを開け赤い髪が視界に入った瞬間聞こえた声に私は目を丸くした。
「もう、勘弁してくれぇ」
「え」
「名前、これの事を頼んだよ」
「え」
「用件はそれだけだ」
「えっ」
赤頭が2つ。
1人は私に命令を下すと、いつから抱えていたのかもう1人を荷物の様に玄関に放り投げた。
ドサッと音がして玄関に突っ伏したのは大我さん。
その上に彼の上着も放られた。
ちょっと!?扱いが酷くないですか!
そんな事を言えるはずもなく黙って赤司さんの動向を窺う。
赤司さんは私と一度目を合わせると『行くぞ』と言って颯爽と去ってしまった。
彼の後に続くのはSPらしい屈強そうな男性。
あの人が大我さんを運んで来たようだ。
ってそんな事言ってる場合じゃない!
「大我さん!」
「ん」
「起き上がれますか!」
「おやすみ」
「ええ!ちょっと、ここ玄関です!」
「んん」
「ど、どうしよう」
突然の出来事に、私は暫く大我さんを見下ろしたまま玄関で立ち竦んでしまった。
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