青峰さんのお店での研修はあっという間に最終日を迎えた。
始めは肩肘張ってやっていた私も今は妙な力も抜けて上手く接客も出来る様になっていた。
というのも彼女…彼女さんのおかげなのだろう。
断言出来ないのはやっぱりまだ胸の何処かにつっかえがあるからだ。
大我さんの事がなければ本当に心から慕える先輩になっていたと思う。
あと黄瀬さんもほぼ毎日一緒で、優しく仕事を教えてくれた。
いい人の周りには自然と同種の人たちが集まって行くものなのかもしれない。
1人、彼女の一番近しい所にいる例外は在るけれど。
怖いし面倒なのでそこにはもう触れないでおく。
それから…
私が何処となく距離を置いている事を多分彼女は分かっていた。
大我さんの事について私は彼女を問い質す権利もなければ聞く勇気もない。
けれど完全に隠し切れない嫉妬心がきっと私から沸々と溢れ出ていたに違いない。
たまに青峰さんが私を咎める様な視線を送って来る事にも気付いていた。
その事にもきっと彼女は気付いていた。
それでも彼女さんはあくまで普通に私に接して来てくれたのだ。
『普通』という印象しかなかった彼女は、とても強くそして優しい人だった。
でもきっと人は『普通』である事が一番難しい。
だからこそそう在れる彼女は皆を惹き付けるのだろう。
「名前ちゃん!お疲れ様!」
「お疲れ様ッス!」
「まあ…ちったぁ使える様になったんじゃねえの?」
「大輝、そういう言い方はないよ」
「ッチ…お疲れ」
「お、お疲れ様です」
閉店後の店内でテーブルを囲んでいるのは青峰さん、彼女さん、黄瀬さん、そして私。
今日で私が最後だという事で彼女さんが企画してくれたのだと黄瀬さんが言っていた。
本当に最後まで『いい人』だ。
彼女は私の隣に腰掛け、労いの言葉を掛けない青峰さんを咎めた。
嫌々ながらも素直に従う青峰さんを見て、彼女はまさに猛獣使いだと思ってしまったという事は言わないでおこう。
暫くして黄瀬さんと青峰さんがお酒を作りにカウンターに向かい、そのまま向こうで駄弁っている姿をぼんやりと見ていた。
「名前ちゃん?」
「!」
不意に隣から聞こえた声に意識を向ければ、今自分が彼女と2人きりだという事にやっと気付く。
思わず肩が跳ねてしまったのに気付かれただろうか。
そっと視線を隣に向けると優しく微笑む彼女と目が合った。
「名前ちゃんは私が嫌いだよね」
「えッ!?」
先程の笑みを哀しげなものに変えながら彼女は言った。
彼女は驚いて固まる私をそのままに話し始める。
私の手は微かに震えていた。
「…火神さんが、好きなんだよね?」
「え!なんで、」
「昨日ね、大輝から聞かされて」
「!」
そう言われて勢いよく青峰さんの方を向くと、ギロリと睨み返されて話を聞いてろとばかりに顎であしらわれた。
本当に…あんな人の何処がいいのだろうこの人は。
「だから私は嫌われても仕方ないと思ってるからそれはいいんだ」
「え?」
「いや、嫌われるのはやっぱりちょっと寂しいけど…うん、仕方ない」
「彼女さん?」
彼女の意図が読めずに困惑する。
そんな私に彼女はもう一度優しい微笑みを向け、今度は力強く言った。
「でも火神さんの事はずっと好きでいてあげて」
「!?」
敵と見做していた人物からのこんな言葉に私はどんな顔をしたらいいのだろうか。
私の中で色々な感情がひしめき合った。
勝者の余裕?
敗者への同情?
慈愛からの慈悲?
それとも…心からの、本心?
「私なんかの話だもん…名前ちゃんがどう捉えてくれてもいい。ただ、火神さんの事を嫌いにはならないであげて欲しい」
「な、何、言ってるんですか」
「そうだよね。そう言われても仕方ない」
「だって!」
「うん」
「だって貴方が振ったから大我さんはあんな風に落ち込んでッ!」
「…」
思わず声を張り上げてしまった。
ハッとして彼女の顔を見ると、動揺しているかと思ったけれど表情は変わらない。
真っ直ぐな瞳に私の方が目を逸らす羽目になってしまった。
駄目だ、こういう人は苦手。
「都合のいい事、言わないで下さい」
「…そうだね。都合がいい」
「ならどうして」
都合がいいと自分で分かっていてそんな事を言った癖に、どうやらこの人は謝る気も無いらしい。
心が冷えて行くのを感じ始めた時、鎮まった店内に凛とした声が響いた。
「名前ちゃん」
「…何ですか」
「ちゃんと分かってるよ。都合がいいって分かってるけど…でもね、私にはどうしようもなかった」
「…え?」
「だって私は大輝が好きで、それは例え他の誰からどれだけ思われたとしても変えられない事実だから」
「ッ!」
「だから私は謝る事を止めたし、火神さんにはちゃんとありがとうって言った」
「!」
「だから、名前ちゃんにも謝らないよ」
「な、」
「代わりに…頑張って」
「なん、で…」
「火神さんしか見えないくらい真っ直ぐに恋してる名前ちゃんなら、同じ様に想ってる人が居る私の事、分かってくれるかなって」
「ッ、彼女さん」
彼女は照れた様に笑ってそう言った。
その奥のカウンターでは黄瀬さんが『このぉ!』とか言いながら青峰さんの首を絞めてガクガク揺さぶっている。
青峰さんの顔は見えないもののその耳が赤いのが見えてしまった私は完全に面喰ってしまった。
大我さんが好きになった女性は
クソが付く程真面目で真っ直ぐで優しくて、芯の通った強い女性だった。
『名前ちゃんらしく、頑張って』
そう言って微笑んでくれた彼女の顔をもう二度と怨めしい等と思う事はないだろう。
彼女は私に光をくれた。
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