いるから。 | ナノ

20

「柊さん!おはようございます」
「苗字!おはよ!悪かったな、休みに呼び出して」
「大丈夫ですよ、気にしないで下さい」
「お前、どっか行きたいとこあるか?」
「いえ、私はどこでも。ただ、帰りがあまり遅くならないようになるべく近場でお願いします」
「じゃぁ、とりあえずその辺ふらふらすっか。…体調良くないのか?」
「あ、悪くは無いんですけど、昨日テニス頑張り過ぎちゃいまして」
私たちは他愛もない話をしながら歩いた。
うん、特にいつもと変わらない。
色々考えてしまった自分が恥ずかしい。

柊さんは私の希望通り、近場コースにしてくれた。
無難に映画を見て遅めのランチ。
食事をしながら私は、跡部の事を考えていた。
朝食べなかったからきっと昼は家に戻って食べているかもしれない。
冷蔵庫のサンドイッチに気付いただろうか。
コーヒーや紅茶は煎れられるだろうか。
食後は何をするのだろうか。
…1人で寂しくないだろうか。
そこまで考えて私はハッとした。
今は柊さんと一緒に居るのに…
ランチの間だけでなく、ふとした瞬間に跡部の事を考えてしまっていたのだ。

気付けば、時刻は18時過ぎ…
そろそろお暇しようかと考えていた。
1日楽しかったけど結構体が疲れていた。
というよりちょっと気分が優れない。
朝から感じていた倦怠感は更に酷くなっていた。
「苗字、大丈夫か?ちょっと顔色悪いんじゃねぇか?」
「えっ!あ、柊さん、大丈夫ですよ」
「いや、ちょっと待て」
「はい?て、わ」
ふと顔を上げた瞬間、柊さんの大きな手が私のおデコに触れた。
そして急に視線を上げたせいか軽い眩暈を起こしてふらついた私を、しっかりと受け止めてくれた。
「やっぱ具合悪いんじゃねえか。熱も有りそうだぞ」
「す、すいません。ただの体力不足かと…」
「お前は相変わらずだな。仕事でもプライベートでも」
「ええ!?なんですかそれ」
「他人の事気にし過ぎて自分には無頓着って事だよ。帰るぞ、ほら」
「え」
『ほら』と言った柊さんは、私に背を向けてしゃがんでいた。
これはまさか…
「乗れ」
「…やっぱり。歩けますから大丈夫ですよ」
「ふらふらしてるヤツが何言ってるんだよ。ほら早く」
「…」
彼の言う通りだった。
一度具合が悪いと認識してしまったせいか、どんどん体がだるくなってきた。
『病は気から』とは本当によく出来た言葉だと思う。
いや、感心している場合ではない。
「すいません、柊さん」
「謝るなよ。急に誘った俺も悪かった」
お言葉に甘えておんぶして貰う事にした。
大きな背中に体を預けると、更に倦怠感が襲ってきた。
「ちゃんと家まで送るから、寝てていいぞ」
「いえ、そんな…」
「いいから寝てろ」
おんぶでユラユラと揺れているのが妙に心地好い。
柊さんにおぶられているというのに、ここでも思い浮かべるのは跡部の事だった。
また練習に行ってしまっただろうか。
遅いと怒られるだろうか。
昼食は作っておいたが、夕食はどうしているだろうか。
体力もそろそろ限界だったらしい。
申し訳ないと思いながらも気付いたら私は寝落ちていた。

バタンッ
「っ!?」
車のドアの閉まる音で目が覚めた。
どうやらタクシーを降りたらしい。
目は覚めたのだが…これは酷い。
世界がぐわんぐわん揺れるほど体調が悪化していた。
意識を飛ばさないよう手にぐっと力を入れると、思いの外近くで柊さんの声がした。
またおんぶして貰っているようだ。
迷惑掛けっぱなしだ。
「お?起きたのか?」
「え…ぁ、ひいら、ぎ…さん?」
なんて事だ。
思うように声も出なくなってしまった。
「酷くなってるな。今もうお前の家すぐそこだから」
「すいま、せ…」
「いいいい、もう喋るな」
力尽きてくたっと柊さんの肩に顔を乗せた。
ぼんやりと見えるのは横顔。
滴る汗にまた申し訳ない気持ちになった。
夜はいくらか涼しいとは言え、今は8月。
熱のある人間を背負って歩いているのだから相当暑いはずだ。
ぼぅっとしているとふいに歩みが止まった。
そして、柊さんがゆっくりとこちらに顔を向ける。
ああ、イケメンだ。
優しい顔でこちらを見つめている。
けど、あれ…だんだん顔が、近付いて来てるような
え、これは本気でマズイんでは…
と思いながら全く動けない熱を持った体。
朦朧としながらも抵抗を試みようとしたその時、
「すみません!!」
夜の住宅街に、低くて色気のある聞き慣れた声が響いた。
その瞬間、ふっと顔を離して柊さんが振り返る。
「…何か?」
「…すみません。貴方が背負っているヤツ、俺が連れ帰ります。ご迷惑お掛けしたようですみません」
「連れ帰る?君は?」
「…俺は、…」
「気にしなくていいよ。すぐそこだし、俺が送り届けるから」
「いえ、いつもお世話になっている名前の上司の方にそこまでご迷惑をお掛けする事は出来ませんので」
「……名前?」
「連れて来ていただいてありがとうございました」
「悪いけど、見知らぬ男に彼女を任せるわけにはいかないな。あいにく彼女は今具合が悪くて寝ているんだ」
柊さんと跡部のやり取りが遠く聞こえる。
何か、言わなきゃ…
「あと、べ…」
「…名前。ったく情けねえな。ほら、帰るぞ」
「ん…」
「苗字!?帰るぞって…彼は…」

「名前は俺の恋人です」
朦朧としながらも確かに聞こえた『恋人』という言葉に、不謹慎にも熱が更に上がった気がした。

(その言葉が)
(夢だったとしても私は…)

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