昨日のレコーディングは思いの外上手くいって、今日の放課後は更に上を目指すべく調整する事になった。
神宮寺レンは今日の自分の歌に納得がいかないらしく、1人唸りながら暫く楽譜と睨めっこをしていた。
そして私はピアノに向かいながらアレンジを考えている。
「神宮寺さん」
「…」
「神宮寺さん!」
「え、ああ…なんだい?レディ」
「あまり根を詰め過ぎない方がいいですよ」
「心配してくれるのかい?」
「…そういうわけじゃ、ないですけど」
「大丈夫さ」
そう言いながらまた音の確認をし始めた。
けれど残念ながら今日はもうすっかり日も落ちて、そろそろタイムリミットだ。
「神宮寺さん」
「…ん?」
「そろそろ片付けましょう」
「んー…そうだね、そうしようか。ねえ、レディ」
「はい?」
返事をして彼に視線を向けるとバチリと目が合った。
凄く何かを言いたそうだけどなかなか言葉を発しない。
いい案が浮かんだけど言いにくいとか?
何か気に入らない所があるとか?
色々試行錯誤するけれど、彼が何を言いたいかなんてサッパリ分からない。
「神宮寺さん?」
「…レディ」
「はい」
「その言い方…」
「え?」
「その、神宮寺さんっていう呼び方…もう止めないかい?」
「え」
何を言い出すのかと思ったら、彼の呼び名の事だった。
曲に対する事だろうと身構えていたので気が抜けた。
対する彼は真面目な表情だ。
「こうやって一緒に物作りをするペアなんだし、もう少し親近感のある呼び方になってもいいと思わない?」
「はぁ…そう、なのかな」
「それから話し方も。今みたいな感じがいいと思う」
「今みたいな?」
「そう。俺に敬語は要らないって事さ」
「…善処、します」
「敬語になっているよ?」
「…頑張る」
「うん、いいね。で、名前は?」
「名前は別に今のままでも」
「俺は嫌だな」
「!」
嫌だと言った神宮寺レンは、こちらが戸惑う程に酷く困った顔をしていた。
今までずっと『神宮寺さん』と呼び続けて来た上に、心の中ではずっとフルネームを呼び捨てだ。
今更呼び名を変えるなんて難しい。
「レンって、呼び捨てで構わないよ?」
「!名前を呼び捨て!?」
「あれ、そんなに驚く所?」
「それはちょっと、無理かも…」
「んー、困ったね」
「…私も困る」
「一度言ってごらん?」
「!」
「言って見たら案外平気かもしれないよ?」
何故そんなに名前を呼ばせたいのだろうか。
引き下がってくれる様子も無いので、私は覚悟を決めた。
「じゃあ…」
「じゃあ?」
「呼び捨てはやっぱり気が引けるから…」
「うん?」
「レン…くん?」
「!」
「え、あ、駄目?」
「っ否。ははっ、いいね。凄く新鮮な響きだ」
「そ、そう?」
「ああ。ありがとう……名前」
「っ」
『ありがとう』と微笑んだ神宮寺レン…否、レンくんのその表情にドキリとした。
なんて嬉しそうな顔をするのだろう。
そして『レンくん』と呼んだ時、私の中で不思議な何かが生まれた気がする。
それが何なのかは分からないけれど。
ただ『レンくん』という呼び方に違和感があるのは事実。
でもそれは今まで苗字に『さん』付けだったのだからきっと仕方のない事だ。
そう思う。
(名を紡ぐ)
(戸惑う程の笑顔が溢れた)
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