キミのトナリ | ナノ

名前

何をするでもなく3日が過ぎた。
一般の会社員はランチの時間だろう。
私もそろそろお腹が空いて来た。
テーブルに置いた携帯をチラリと見遣って、また目を逸らした。
携帯は未だ、充電をしていない。
つまり携帯の役割を果たしていない。
RRRRR…RRRRR…
「!!」
突然の電子音に異常なまでに驚く。
携帯ではなく実家の電話だった。
電池切れの携帯が鳴るわけがないのだから当たり前だ。
「お母さーん!居ないのー?」
鳴り続ける電話にお母さんを呼ぶけれど反応は無い。
リビングに行けば書置きがあった。
『お友達と出掛けて来ます。夕飯前には帰ります』
それを確認して未だ鳴り続ける電話の受話器を取った。
「はい、苗字です」
『私、株式会社○○の△△と申します。苗字名前さんはご在宅でしょうか?』
聞き慣れた女性の声に『しまった』と焦った。
私が勤める会社の受付の美人さんだ。
仕事の事か、と今更携帯を復活させなかった事を後悔した。
「△△さん、お疲れ様です。苗字です」
『あ、お疲れ様です。お休みの所すみません』
「いえ。もしかして携帯の方に掛けて下さいましたか?」
『はい。あ、でも仕事の事ではないんです』
「そうなんですか?」
『はい…今朝から苗字さん宛てにお電話がありまして』
「私に?…今朝…から?」
『ええ。何度か掛かってきているんですが提携会社でもアポ取りでも無く…苗字さんが出社していないかとか、実家は何処なのかとか…苗字さん、ストーカー被害に遭われてるんですか?』
「え!そんなの無いですよ!あの…お名前とかは?」
『あ、はい。跡部と名乗る男性から…』
「!あ、あ、跡部!?」
『はい』
聞こえて来た名前にドキリとした。
跡部さんが、なんで私の会社に…
っていうか会社…ああ、前に会社の事も話した事があったっけ。
電話番号、調べて掛けたって事…
思わぬ事態に手足が痺れる感覚さえして来た。
少し息を吐いて電話の相手に問い掛ける。
「…それで、何か他には?」
『いえ、とにかく苗字さんの安否を気遣っていらっしゃるだけでしたので。有給を取っていますとしかお伝えしてません』
「すみません、ご迷惑お掛けして」
『大丈夫ですよ。もしかして彼氏さんですか?』
「!?ち、違いますよ!あ、あ、あのッ…更にご迷惑お掛けして申し訳ないんですけど、次また電話があったら『休んだら自宅に帰ります』とだけ伝えて貰ってもいいですか?」
『ふふ、分かりました。伝えますね』
「…お願いします」
電話を終えて脱力した。
まさか跡部さんが会社に電話してたなんて…。
つい数日前の忍足さんからの電話を思い出す。
それで思い出されるのは跡部さんのあの一言だけだった。
『苗字が何処で何していようが俺には関係ねえだろうが!』
また訪れた胸を抉られる様な感覚にソファに力なく凭れた。

水曜日。
暗くなる前に実家を出た。
明日からまたいつもの毎日だ。
去り際お母さんに『名前、有給取って本当に休めたの?顔疲れてるけど』なんて言われたけれど、正直自分でも休めたかどうかなんて分からない。
充電を終えてやっとさっき電源を入れた私の携帯。
忍足さんからの申し訳ないけれど開く気にも数える気にもなれない無数のメールと…跡部さんからの1通のメールが未読で残されていた。

「ただいま」
しんと静まり返った部屋に自分の声が響いた。
テーブルの上には紙袋に入れられたお弁当箱やタッパーの数々。
跡部さんの物だ。
家を出る前に整理しておいて、帰って来たら返さなきゃと思って用意しておいたものだ。
今日、跡部さんが帰る頃に渡しに行こう。
そう決めてソファに腰を下ろした。
沢山寝たのにまだ眠れそうな私の頭は、既に寝る準備を始めている様だ。
ぼんやりとした意識を放って置けば、いつの間にか眠りに落ちていた。

ガチャリという籠った音に薄っすらと目が開いた。
時計は20時を差している。
大分寝ていたらしい。
さっきの音はきっと跡部さんが帰って来た音だ。
なんだか会うのは気まずいし緊張するけど早く返してスッキリしてしまいたいという思いが先行して、頬をパチパチと叩いて私は玄関に向かった。
ガチャリ
「え」
音が二重に聞こえた気がして思わず隣を見れば、同じ様にドアを開けてこちらを凝視している跡部さんと目が合った。
「あ、跡部さ!?!?」
名前を呼んだのと同時、ガコンと言う音を立ててお弁当箱の入った紙袋が地面に落ちた。
割れていないかとか心配する余裕なんてない。
私は自分の身に起きている事を理解するのに時間が掛かった。
その間にも息苦しさは増して…
「あ、あ、跡部さんッ、苦しい、です」
私は何故か跡部さんの腕の中に居た。
息苦しかったのは私を囲う跡部さんの腕の力が物凄く強かったから。
私の声に特に反応を見せる事も無く、跡部さんは私を抱き込んだままだ。
だんだんと脳が体が心が理解して…それと共に自分の顔が有り得ないくらいの熱を持ち始めた。
「跡部さんッ、あの、ちょっと、」
「…名前」
「………え」
20年以上呼ばれ続け聞き慣れたはずの自分の名前に、これ程動揺した事があっただろうか。
ヒュッと音を立てて吸い込んだ空気と共に感じた跡部さんの匂いに眩暈がした。

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