「ん…」
重い瞼をゆっくりと持ち上げる。
開いたカーテンの先には夜空が広がっている。
もう夜か。
そういえば俺は…
だんだんと浮上してくる意識の中、自分の手に温もりを感じた。
顔を横に向けると、そこにはベッドに半身を預けて寝ている苗字の姿があった。
痛む頭で思い出す。
そうだ、俺は昨日の雨のせいか熱を出して…朦朧としている所に苗字が食事を届けに来て…支えて貰って…
という事はそれからずっとこの状態だったという事だろうか。
あまり記憶はハッキリしないが、薬を飲んだらしい俺はだいぶ体が楽になっていた。
他に辛い所もない所を見ると、風邪ではなく雨に濡れ過ぎたせいで熱を出しただけという所だろう。
体を起こして手の力を緩めると、苗字の手がパタリと落ちた。
俺が握り締めていたから動けなかったって所か。
そんな事をした自分に戸惑いつつ、起きそうにない苗字を抱き上げてベッドに寝かせた。
空いたスペースに腰掛けて苗字に視線をやる。
口を半開きにして無防備に寝ている苗字に苦笑した。
俺は『男』とは見なされて無いらしい。
そもそもコイツが『男』というものを知っているのかさえ疑問だが。
…俺は何を考えてんだ。
苗字は忍足が言っていた様に、俺たちの周りには居ないタイプだ。
忍足の様に人間をタイプ分けする趣味なんかないが、苗字の行動や言動全てが新鮮だった。
律儀というか遠慮ばかりするというか。
自分は人に色々親切にするくせに他人から何かされるのは恐縮する。
まあ、そんな苗字に甘えて食事の管理まで頼んでいる俺だが。
アイツの作る食事は美味い。
素朴で自然で、温かい味だった。
慣れない独り暮らしは思いの外苦労する事が多かった。
そんな俺に出された助け舟みたいな物か…苗字が隣人で良かったかもしれないと思う自分がいる。
そういや忍足が言っていた。
『名前ちゃん、めっちゃいい嫁さんになるやろな』
こっちを見ながら含みを持たせて言って来たのが気に食わないが、その言葉は強ち間違っていないと思う。
いや、きっと夫に尽くすいい妻になるんだろう。
って一体俺は何を言っているんだか。
忍足は3人で食事した時、いつも女にする様に苗字を値踏みしていた。
そんな事する必要はないと言ってあったのだが、念の為などと言って苗字に尋問し出した。
結果は予想通り。
更に忍足は苗字から『苦手な人』と見なされたらしい。
まあ、あんなふざけた告白なんかしたら当然苗字は嫌がるだろう。
他の大抵の女なら二つ返事で受けるだろうがな。
『苦手です』とハッキリ口にした苗字には少し驚かされたが。
「う、ん…」
寝ている苗字が身動ぎして声を漏らした。
が、起きる気配は無いようだ。
布団を掛けてやると、それを自分で掴んで手繰り寄せる様にして包まった。
その行動に何故か自分の頬が緩むのを感じる。
心が温かくなる様な、満たされる様な妙な気分。
妹が居たらこんな感じなのだろうか。
そんな事を考えながら、もう一度寝ようとソファに足を向けた。
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