キミのトナリ | ナノ

雨の帰り道

残業を終えて電車に乗り改札を出ると、バシャバシャと物凄い音を立てて雨が降っていた。
天気予報の降水確率40%は微妙だなとは思ってたけど、ここまで降るなんて。
バッグの底に忍ばせていた折り畳み傘を取り出した。
持って来ていて良かった。
家に向かって暫く歩いていると、後ろからバシャンバシャンと水飛沫を上げる音が。
それはどんどん背後に近付いて来るようだ。
なんだろうと少し振り向くと、傘を忘れたらしい人がビジネスバッグを頭に乗せて走っている姿が視界に入る。
その姿には見覚えがあって。
「あれ、跡部さん?」
「!…苗字?」
「ちょ!びしょ濡れじゃないですか!」
「ああ。今日は傘忘れちまって…すぐ止むと思ったんだが」
「風邪っ!風邪ひきますよ!ちょっとこっちに!」
「お、おい」
私は強引に跡部さんの腕を引くと、そのまますぐ脇の軒先に入り込んだ。
家までも、一番近いコンビニまでもまだ距離がある。
とりあえずいったんここで雨宿りして頭くらいは拭かなければ。
彼のバッグはびしょ濡れで最早意味を成しておらず、髪は水が滴ってシャワーでも浴びたかのような状態になっていたのだ。
私はバッグからハンドタオルを取り出して跡部さんに向かい合った。
「跡部さん、ちょっと失礼します」
「な!お、おい」
あまりにも濡れていたので、失礼かなと思いながらも一言断りを入れて髪を掬って水分を絞った。
ぼたぼたと大量の水分が落ちる。
「痛くないですか?」
「…ああ」
一通り絞り終えたら今度はタオルを被せて、押し当てる様にして拭いた。
タオルにじんわりと水分が浸み込んでくる。
「…悪いな。お前には迷惑掛けてばかりな気がする」
「え?そんな事ないですよ」
「…ったく、お前は」
「何も迷惑だなんて思ってないです」
「そうか」
自嘲気味にフッと苦笑を零してちょっと身を屈めた跡部さんはちょっと可愛い。
そんな事言ったら嫌な顔をされるだろうか。
髪や肩をある程度拭き終えた頃には、少しだけ雨脚が弱まっていた。
「そろそろ帰りましょうか」
「ああ」
「傘小さいんですけど、一緒に入りましょう」
「悪い。俺が持つ」
「あ、ありがとうございます」
私の手からひょいと傘を取り上げた跡部さん。
私を傘に入る様に促して、小雨の中をゆっくりと歩き出した。
「今朝も助かった。まさか寝過すとは…お前がインターホン押してくれなかったらアウトだった」
「お疲れなんですよ。物音一つしなかったので…お節介かと思ったんですけど。でも間に合って良かったです」
「ああ。本当に…悪かったな」
「跡部さん。なんだか謝ってばかりですよ?」
「ん?…くくっ、本当だな」
「もう謝るのはナシで」
「フッ…ああ、善処する。そういえばお前、今日は随分遅いじゃねえの」
「はい、今日は金曜ですし残業で。跡部さんと帰り道で会うのは初めてですね」
「ん?ああ、確かにそうだな」
他愛もない話をしながらの帰り道。
いつもは1人の道が凄く有意義なものになった。
無意識にニコニコしていたらしい。
跡部さんが私の顔を覗き込んで綺麗に笑った。
「お前の笑った顔見られるのはレアだな」
「え、そうですか?私普段あまり笑ってませんか?」
「否、そんな事はないが」
「?私も跡部さんの笑顔見る機会あまり無いので、さっきのはレアだったかもしれません」
「…俺、今笑ったか?」
「はい!凄く綺麗に、あ」
「っくく、綺麗って。男に使う表現でもねえな」
「あ、す、すみません」
確かに『綺麗』だなんて男性に使う言葉ではなかったかもしれない。
でもそれ以外しっくりくる言葉が見つからなかったのだ。
髪がしっとり濡れて少しだけ頬に張り付いて、顔を傾けて微笑んだその姿は本当に綺麗だった。
女として私、色々負けてると思う。
跡部さんと張り合おうだなんて微塵も思ってはいないけど。

楽しくお話している間にあっという間に家に着いた。
部屋の前で一旦立ち止まる。
「跡部さん、すぐお風呂に入って温まって下さいね?」
「ああ、分かってる」
「じゃあ」
「おい苗字、っ…はっっっくしゅ!!!」
「!?…っぷ」
「……笑うな」
「す、すみませっ、ふふ」
大きなくしゃみをした跡部さんの姿がちょっと可愛くて、思わず吹き出してしまった。
ご本人は不服なのか凄く罰が悪そうだ。
「お前、後で覚えとけよ」
「ええ!?なんですかそれ!」
「っくく、冗談だ」
「もう…ふふっ」
「苗字、今日は色々と助かった……ありがとう」
「!い、いえ」
「じゃあ、おやすみ」
「おやすみなさい」
また私が部屋に入るまで見ているつもりらしい。
跡部さんはドアを閉める瞬間までこちらを向いていた。
…さっきはちょっとドキっとした。
跡部さんはいつも『悪い』とか『悪かった』だとか謝罪の言葉は口にするけど、『ありがとう』とはっきり言ってくれたのは今回が初めての様に思う。
『悪い』には慣れてしまって特に気にしてはいなかったのだけど、やっぱりお礼の言葉を言われるのは謝罪よりも気持ちがいいものだ。
弛んだ頬をそのままに、我が家に帰宅だ。
さあ、私もお風呂に入ってあったまろう。

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