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「ねぇ、遊星。学校の宿題でね、わからない問題があるんだけど、聞いてもいい?」

 真剣な表情でテーブルの上に広げたデッキを見ていた遊星。龍可はおずおずと、その背中に声をかけた。遊星の肩がぴくりと動き、優しげな青い瞳がこちらを振り返る。何を考えているのかよくわからない無表情で、じっと龍可を見下ろしていた。悪いこと言ったかな、と胸に抱いた学校のテキストとかわいらしい筆箱をぎゅっと抱きしめる。

「……俺でいいなら、見せてくれ」

 やっぱりやめようかな、と思い始めた頃そうぽつりと呟かれた。遊星はぱっと顔を輝かせる龍可に淡く微笑み、テーブルに広げたカードを片付け始める。龍可はいそいそと遊星の隣に腰を下ろし、抱えていたテキストを自分と遊星の間に広げた。かわいらしい筆箱から、やはりかわいらしいピンクのシャープペンシルと赤のボールペンを取り出し、テキストの上に置く。遊星はボールペンを手に取り、器用に指先で回し始めた。
 まるで意思があるようにくるくると回るペンに目を奪われ、ぼんやりと遊星の手元を見つめる。くるくる、くるくる。遊星の手の中で、ペンが踊っているようだ。

 そういえば、グローブを外した遊星の手をじっくり見たのは初めてのような気がする。やや褐色の皮膚に覆われた指は、男らしい手だった。長い指はきれいだと思うが、節は太く、ごつごつと骨ばっている。癖なのか、どの指の爪も少し切られすぎていた。新しい発見に、龍可は小さく息を吐く。今までずっと近くに居たはずが、いまのいままで、こんなことにも気づかなかったらしい。

「……龍可?どうかしたのか?」
「えっ!?あ……ご、ごめんなさい。なんでもないの……」

 首をかしげる遊星の声に現実へ引き戻され、龍可は慌てて首を振った。どきどきと早鐘を打つ心臓を、左胸に手をあてて押さえつけながら、ぎこちない仕草で、わからない問題を指差す。遊星の指と違い、まだ子供であるせいかどこか丸く、色も白い、爪がやや伸びた指だ。


「この問題なの。えっとね、分数の問題なんだけど、何度やっても計算が合わないの。正解なら、余りが出ないはずなんだけど……私、間違えて計算してるのかな」
「ん……そうだな」


 遊星はペンを回す手を止めて、龍可が指差した問題文を目で追った。そして龍可が何度も書いては消した計算式をしばらく見つめる。時間にしてほんの数十秒だ。龍可が何十分も頭を悩ませた問題を、いとも簡単に解いてしまったのか、ボールペンのキャップを外し、テーブルに転がす。

「計算の仕方は間違っていない。だが、文章の捉え方を間違っている。まず、式が合っていないんだ」
「えっ……そ、そうなの?」

 そう指摘され、龍可は慌ててテキストを覗き込んだ。どこで間違ったんだろ、と知らず漏れた独り言に応えるように、遊星がすっと問題文を指差して見せる。

「この辺りをもう一度、よく読んでみろ」
「あっ、う、うん……」

 龍可が身を乗り出す形でテキストを覗き込んだせいか、自然と遊星との距離は狭まっていた。耳元でそっと囁かれて、龍可の心臓はまた高鳴り始める。頬に熱が集まるのがはっきりとわかった。赤くなっていることを気づかれませんように。そう心の中で祈りながら、問題に集中しようと、必死で文に目を凝らす。

 それでもすぐ隣に座る遊星の静かな息遣いや、布越しの体温を意識せずにはいられない。

「……どうだ、龍可?」
「えっ……あ、え、えっと、ごめんなさい!も、もうちょっと待って……」

 ……かと言ってこのままぼんやりしていては、遊星の迷惑になってしまう。龍可は小さくかぶりを振って、改めて問題文を見直すことに集中した。

「……あっ!わかったわ。分母の数が、間違ってるのね」
「ああ。そうしたら、根本的に計算が変わってくるだろう。だから……」

 遊星は問題文にボールペンで赤い線を引いた。そして正しい計算式のヒントを、隅っこに小さく書き示す。龍可はそれを見ながら計算式を書き直し、改めて解を導き出した。遊星のヒントを元に出した解は、先ほどの解とは違い、すっきりと綺麗に割り切れるものだった。遊星の言うとおりだった。龍可は満面の笑みを浮かべて、満足そうに頷く遊星を見上げる。

「すごい、私一人だったら、全然気づけなかったわ!ありがとう、遊星」
「俺は少しヒントを出しただけで、解いたのは龍可だろう?さすがだ」

 ふ、と微笑み、遊星の大きく男らしい手が龍可の頭に伸びた。そうっと優しく頭を撫でる、手。まるで壊れ物に触れるかのような繊細な手つき。デュエルをしている時の激しさは全く感じられなかった。あたたかい手だった。褒められた嬉しさに、思わず頬が緩んだ。しかし改めて礼を言おうと遊星の顔を見て、はっとした。

 そういえば、まだ自分と遊星の距離は近いままだ。自分の短い手でも、伸ばせばすぐに触れられる距離。しかも遊星に、頭を、撫でられているこの状況。

 ―――かあぁっ、と音を立てていそうな勢いで、龍可の顔が再び赤くなった。慌てて遊星の手から逃げるように、椅子から飛び降りる。遊星は行き場を失った手を浮かせたまま、不思議そうに瞬いた。


「どうした、龍可。……もしかして、子供扱いが気に入らなかったのか?」
「そ、そういうわけじゃないわ!えっと、ちょっと……その……の、喉が。そう、喉が渇いたから、水飲もうと思ったの!あは、ははは……」

 我ながら苦しい言い訳だ。そう思ったが、遊星は特に言及する様子もなく、それならいいが、と吐息に安堵を滲ませた。そして龍可のペンをそっと筆箱に戻し、テキストを閉じて隅によけると、再びケースに戻したデッキを広げ始めた。先ほどの優しい顔つきとは一変して、真剣な表情で、カードたちを見つめている。


「……むー」


 すぐにカードへ関心を移してしまったのが、少し、気に入らなかった。けれど自分の勉強を手伝ってくれたのは確かだし、そもそも遊星がああして熱心にデッキ編集をしているのを邪魔してしまったのは自分だ。胸のモヤモヤをぶつけることもできず、龍可は溜息をついた。筆箱とテキストを、再び自分の胸に抱きかかえる。

 ……なんとなく、そっと、テキストを開いてみた。付箋の貼られた、先ほど遊星に見てもらった問題があるページだ。わからなかった問題のところには、確かに、遊星が書き込んだ赤いボールペンの文字が残っている。シャープペンシルや鉛筆と違い、そうそう消えることのない文字だ。

 テキストを閉じ、ぎゅっと、抱きしめる。すこしだけ、ぬくもりを感じた気がした。



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