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ふわり、今日もまたあの匂いがした。優しいけれど、少し刺激の強い匂い。

その匂いにつられて後ろを振り向くと、見えたのは襟足を少しだけ結んでいる、すらりと背の高い銀髪。

どき、っと。
胸が高鳴った。


「あ、」


気付くと、彼もこっちを見ていることに驚いた。
彼はこっちを見て、何?と言わんばかりに首を傾げて見せる。

つん、とあの匂いが鼻を掠めた。
わたしは堪らずに目を逸らしてしまい、自分の教室へと逃げ込む。

名前もわからない、銀髪の彼。
あの香水の匂いは、彼の匂いなんだろうか。

わたしは密かに、あの香水の匂いが大好きで。
廊下であの匂いとすれ違う度に、その後ろ姿を探す自分がいて。

今日やっと、巡り会えたのかもしれない。
あの銀髪の彼がそうだったのかもしれない。
なのに自分から目を逸らしてしまって。


授業中も彼のことで頭がいっぱいで、上の空だった。

昼休み、わたしは珍しく友達の誘いを断り、屋上へと足を運んだ。
屋上に、彼が居る気がしたから。


重い扉を開けると、風に乗って鼻孔をくすぐったのは、あの香水の匂いと、しゃぼん玉。

扉の先へ目を見遣ると、フェンスに肘を乗せて、空を見上げながらしゃぼん玉で遊ぶ彼の姿があった。

風になびいて、太陽の光に当たる銀髪が、すごく綺麗だと思った。

その姿にしばらく見とれていると、不意に彼がこちらを向いた。
彼は特段驚く様子も見せず、静かにわたしに言った。


「なんじゃ、お前さんか」


すっと胸に入り込む、綺麗で透き通った声。
わたしが少しずつ彼に近付くと、彼の顔も自然とはっきり見えてくる。

そうして彼の顔を見つめた時、ごくりと息を飲んだ。
整いに整いすぎた顔。
同じ中学生とは思えないほどに大人っぽくて、色っぽい顔。

口元にあるほくろのおかげで、更に色っぽさが増している気がする。

わたしが凝視していることに気付いたのか、彼は苦笑した。


「なんじゃ、俺の顔に何か付いとるんか?」


え、とわたしは言葉を漏らした。
すると彼は目を細めて少しだけ微笑んだ。


「お前さん、名前じゃろ」
「え!確かにそうだけど…って、どうしてわたしの名前…」
「ずっと前から知っとった。俺とすれ違う度に、後ろを振り向くようになったあたりから」


どうして、少しだけ心が焦り始めた。


「ずっと柳生とすれ違ってたと思ってたんじゃなか?あれ、全部俺」


確かに、あの匂いが鼻を掠める度に振り向くと、見えるのは柳生くんの姿だった。
どういうことなのか、わたしには全く理解ができなかった。


「仁王雅治、コート上のペテン師。名前くらいは聞いたことあるじゃろ?」


あ、と瞬時にわたしの頭は理解してくれた。
女の子から絶大な人気がある仁王雅治という名前を、知らない訳がなかった。

でもあまり興味がなかったし、名前だけで、どんな人物なのかなんて知らなくて。


「普段どこでも代わろうと思えば代われるんじゃよ、俺と柳生は。コート上どころかいつでもペテンみたいじゃがのう」


そう言って仁王くんは、わたしに近付いてくる。
わたしは今まで、まんまと仁王くんのペテンに引っ掛かっていたということだ。

すっとわたしの頬に、綺麗な長くて白い指が触れた。
もちろん、あの匂いと一緒に。


「お前さんをペテンにかけるつもりはなかったんじゃがのう…だけどつい、」


仁王くんは申し訳なさそうにわたしを見て微笑んだ。

その時わたしはやっと気付いた。
わたしが探していたのはあの香水の匂いの持ち主ではなく、仁王くんだったんだ、と。


「…に、おくん」
「ん?」
「…す、き」
「…!」


ぎゅう、と。
わたしの大好きな匂いとともに、大好きな仁王くんに抱きしめられた。


「…先を越されたナリ」
「え、」
「ほんまは俺が言うはずじゃった」


そんなことを言った仁王くんが可愛くて、少しだけ頭を撫でてみる。
すると「やめんしゃい、」とくすぐったそうに身をよじってしまった。

今日あの匂いとともに、仁王雅治くんは、わたしの彼氏になりました。
20111117