Retournons a la maison





 ずっと握ったままのカチューシャが掌に食い込む感触に、エリザベートは我に返った。

 いつの間にか強く握り込んでいたらしい。掌に赤いラインが刻まれてしまっている。

 白くやわらかな肌を刀傷のようによぎる形のそれは一見痛々しいものに見えたが、本当に痛みを伴わせるものは違う。

 カチューシャの持ち主である、幼馴染みの少年のせい。

 エリザベートは彼が変わってしまったのだと思い込んでいた。でも本当は何も変わってはいなかった。彼はただ本心を隠し、嘘をつくのが上手くなっただけなのだ。

 どうして見失ってしまったのだろう。

 彼が一人で全てを背負い込む覚悟をしていたことに、どうして気がついてあげられなかったのだろうか。

 いくら後悔したところで到底しきれない想いがとめどなくあふれ、散々泣きつくしてとうに枯れ果てたと思った涙が再び、カチューシャの上にひとしずくこぼれ落ちた。



 数日後。

 控えめにドアをノックする音に返事をすると実直で忠実な執事が顔を見せる。

「お客様がおいでになられました」

 もうそんな時間かと時計を見やると確かに約束の時間近くになっていた。戻らない過去に想いを馳せても現実は待ってくれない。エリザベートの心をあの日に置いたまま、刻々と流れ去って行くだけだった。

「……この部屋に案内してあげてちょうだい」

「よろしいのですか」

「構いません」

 エリザベートが頷くのを見て、執事は恭しく一礼すると音を立てずにドアを閉めた。

 認めたくなくても、受け入れたくなくても現実とは向き合わなければいけない。どれだけ辛くても彼が遺してくれた世界を一歩ずつでも歩いて行かなければ、彼が自らの存在と引き換えにしたことが無駄なものになってしまう。

 こんな世界なんて望んではいなかったのに。

 カチューシャに恨みがましい視線を向け、エリザベートは無理やり彼がいた頃と同じ凛とした仮面を被った。


「先日はお疲れ様です。あなた方の働きはとても見事なものでした」

 エリザベートはKOFの決勝トーナメントを共に闘った二人の青年を相手に、何日も深く塞ぎこんでいたとは感じさせない堂々とした態度で礼の言葉を述べる。

 またしても波乱にまみれた大会が終わってすぐは、あまりにもショックが大きすぎてそれを取り繕うことに精一杯だった。故に戦友である彼らへの労いも、執事を通して簡単に伝えたのみで済ませた。

 執事の報告から察するに、彼らはアッシュに関する記憶を失っている。その思いがエリザベートの行動をさらに足止めしていた。言葉は悪いが、彼らと自分とでは根本的な喪失感がまるで違うのだ。

 それでも、年の離れた良い友人だといつかアッシュが楽しげに話していた彼らに最低限の礼を尽くさねばと思った。

 寡黙ではあるが、目的が一致することでそれなりに協調性を見せたデュオロンはともかく、ことあるごとに性格が真逆と言ってもいいエリザベートと衝突していたシェンも素直に応じてくるとは正直考えてはいなかったが。

 そんな、大会中はまさに獰猛な獣のように振る舞っていたシェンの様子が今日はどこかおかしい。何か言いたそうな、豪胆な彼らしくない歯切れの悪さを端々に匂わせている。

 記憶の残滓はあるのではないか。そう考えると少しだけ気が軽くなった。

 わずかでもアッシュの記憶を残しているらしい彼らに、アッシュが存在していたことを話してしまおうか。エリザベートの心はひどく揺れた。ずっと一人で抱えて行くにはあまりにも悲しくて、誰でもいいからこの痛みを共有して欲しい誘惑に負けそうになる。

 けれど、話してどうすると言うのだろうか。

 アッシュはいた。

 でも“父親”を殺したアッシュはもう二度と帰ってこれない。

 その事実を告げたところで何になるのだろう。エリザベートがそうであったように、大きな喪失感だけを与える結果になるのはあきらかだった。

 テーブルの上に大事そうに置かれたカチューシャを見たシェンが眉を寄せる。エリザベートの私物なのか確認するような目を向けたが、違うと自分で結論づけたようだった。額に刻まれたしわが、大切なことを思い出しそうで思い出せないもどかしさに険しさを増す。

 忘れたままでいることと、思い出すことではどちらが幸せなのだろう。だがエリザベートには結局決められない。自分が彼らの立場だったならどう思うのか。それを想像してしまうと口を閉ざしている他になかった。

「シェン、そろそろ……」

 エリザベートの心情を察したデュオロンがシェンに声をかけた時。

 突如、何もない空間に亀裂が入り、そこから吐き出されるように人の身体が落ちてくる。

 エリザベートは目を見開いた。

 まさか、どうして?

 アッシュは“親殺しのパラドックス”にその身を絡め取られ、存在すら完全に消えてしまったのではないのか?

「……!」

「アッシュ……?」

「勝手なことしやがって……ッ!」

 何が起こったのか、真偽を問いただそうとするより先にシェンが動いていた。恐ろしいまでの剣幕でアッシュに詰め寄ると、その胸倉を力任せにつかむ。体格差と勢いで、床に膝をついていたアッシュの身体は宙に吊り上げられるような形になった。

「っ、手を離しなさい、シェン・ウー!」

 不穏な空気からアッシュを守ろうと動くエリザベートを、デュオロンの手が制した。邪魔をするのかと反射的に睨みつければデュオロンは黙って首を左右に振る。いいから見ていろと深い夜を湛えた眼が告げていた。

「お前が犠牲になって世界を助けてくれって、誰が頼んだよ! 見くびってんじゃねえぞコラ!」

「え……?」

 突然のシェンの行動と発言に驚きを隠せない。アッシュも目を見開き、シェンの顔をただ呆然と見ている。

 忘れていた……のではないのか。

「……心配したんだぞ」

 シェンに吊るし上げられたままのアッシュの頭に、デュオロンがそっと手を乗せた。言動こそ優しいそれだったが、涼しげなその目は笑っていない。デュオロンもまた、シェンのように感情をストレートに出しこそはしないがアッシュの行動を勝手なものだと憤り、責めていた。

 二人の顔を交互に見上げるアッシュの瞳が潤む。

 唇をきつく噛んで涙がこぼれ落ちるのを懸命にこらえ、かつてのチームメイトの名前を震える声で絞り出した。それから、謝罪の言葉も。

「シェン……。デュオロン……。ホント、に……ゴメン……」

「チッ……。分かりゃいいんだよ、分かりゃ」

 素直に詫びるアッシュを、シェンはもっと言いたいことがあるだろうに飲み込んでエリザベートの方へ突き飛ばすように離した。よろめく身体を咄嗟に支えるエリザベートの瞳にも涙が浮かぶ。嬉しさで心が打ち震えていた。

 指にふれるぬくもりは嘘じゃない。アッシュは今、本当に目の前にいるのだ。

 エリザベートは急いで涙を拭うと所有者を失くしていたカチューシャを手に取った。これを返さなくては。

 遠い昔、小さかったアッシュが恥ずかしそうに笑いながら、エリザベートの頭に自分が編んだ白詰め草の花冠を掲げてくれた。あの時のように、今度はエリザベートが黒いカチューシャをアッシュの頭にそっと差し込む。

「おかえりなさい、アッシュ」

 帰ってきた理由なんかどうでもいい。

 帰ってきてくれた、その事実だけあれば。

 ソバカスの浮く頬を照れくさそうに指で掻き、アッシュは笑った。

「……ただいま、ベティ」

END


菱木様にメールを送って間もなくに思いついて、菱木様の心情を考えるとこっちを差し上げた方が良かったのでは…と後悔しました。ホント、びっくりするくらい私は空気の読めない奴です。

そして公式がタイムパラドックスとかのSF要素を入れてきたことだし、それなら二次創作の捏造EDだってファンタジーを入れちゃえ!と開き直って書いてしまいましたが、まあこれからアッシュ×ベティを書いてくにあたって最初にED捏造というのもいいんじゃないかなと自分に言い聞かせたり何か色々←長い

やっぱりハッピーエンドがいいじゃないですか、ねえ。
あ、ちなみに今回のタイトルの意味は「家に帰ろう」です。


20100813 UP






 

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 NOVEL / KQ 



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