B akuman
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サイドテーブルにおもむろに置かれたその容器に、蒼樹は頬を引き攣らせた。
それはよくスーパーでパンの側にジャムなどと一緒に置かれてある商品。チューブ型で中央に大きな文字で『チョコレートシロップ』と書かれてある。
「・・・・・」
嫌な予感がするのは、ここが食卓ではなくベッドだからだ。そして蒼樹は下着姿で恋人の平丸も同様の姿であった。
今日は2月14日。そう、バレンタインデーである。
つき合って半年が過ぎた2人は世間一般の恋人達と同じく幸福な日を過ごそうと、デートをしてチョコを渡して、そうして甘いムードのままベッドインとあいなった。
ところがキスをして服を脱がされて、さあという場面になった時、平丸がキッチンに向かいこのチョコレートシロップを手に戻ってきたのだ。
「・・・・あの」
おそるおそる、躊躇いながらも口を開く。
正直この時点であらかたの予想はついている。しかし蒼樹は聞かずにはいられない。
「平丸さん、これは・・・なんでしょう?」
「これはその、今日はバレンタインですから。せっかくなので僕なりに色々と考えまし・・」
「ち、ちょっと待ってください。あの、やっぱりそれ以上は・・け、結構です!」
これ以上先を聞いてしまうと危険な気がして、慌てて首を横に振り平丸の発言を止める。
実はこのパターンは初めてではなかった。前にも何度かあったのだ。
蒼樹も平丸もいい大人であるから、夜の触れ合いもそれなりにある。
2人とも忙しく頻繁に時間もとれないので、会えばやはり肌を重ねたくなるのは自然なこと。しかしここ最近の平丸に、蒼樹は少々困っていた。
初めこそ常識的と思われた夜の営みも、回を追うごとにアブノーマルになっていくような気がして。
シャワーを浴びずに着衣のまま、とか。目隠ししてもいいですか、とか。さすがにネクタイで縛られるのはお断りしたが、果たしてこれは正常な男子の思考なのだろうか。
蒼樹は平丸が初めての男性でありまた男友達もいなかったので、男という生態に疎い。当初は首を傾げつつも受け入れていたが、些か心配になってきたのだ。
バレンタインにチョコレート、それは分かる。けれどチューブ型のチョコレートシロップとは?しかもどうしてこのタイミング?
想像すればするほど、いかがわしい方向に考えが向かう。また平丸の生き生きとした表情が、その想像を裏づけしていく気がする。
「平丸さん・・今日は、あの、そういうのじゃない方が・・いいんですけど」
「えっ、ダメですか。せっかくバレンタインなのに・・僕なりにユリタンに何かしてあげたいと思っていたのに」
落胆した顔をされると、気持ちがぐらつく。しかしここははっきりと意思表示をしなければ。
「でもバレンタインは女性から男性にですし。私からのチョコは先ほど差し上げましたよね?なので、平丸さんのお気持ちは嬉しいんですけど」
「あ、そ、そう・・ですか。ユリタンがそう言うなら・・・」
「あの、ごめんなさい」
「・・・・どうしても、ダメですか?」
「お気持ちだけ頂いておきます」
しょぼんとした顔で平丸は蒼樹を見る。なんだか申し訳ない気持ちになるが、いつもここで折れてしまうからいけないのだと思いきっぱりとお断りした。
「・・わかりました」と肯いて、平丸はチューブのチョコレートを持って立ち上がる。その背中があまりにも元気がないので、またしても気持ちが揺れる。
好きな人をこんなにガッカリさせていいのだろうか、せっかくのバレンタインなのに。
(せめて何をするかくらい、聞いてあげるべきかしら・・)
話を聞く前に想像だけで断ってしまったことが蒼樹は気になっていた。恋人として信じていないみたいで、少し後ろめたい。
今までのことがあったとしても、やはり話は聞くべきではないだろうか。そう思いなおし、トランクス一枚でキッチンへ戻ろうとする平丸の後ろ姿に躊躇いつつ声をかける。
「平丸さん」
「?はい」
「さ、さっきは話も聞かないでお断りしてごめんなさい。あの、せっかくなので平丸さんのお心遣いを教えてくれませんか?」
「えっ、いいんですか!?」
平丸の顔がパァッと明るくなる。
「ちっ違いますよ!話を聞くだけですっ・・なにも聞かずにお断りするのは良くないと思いまして」
「あ、そうですよね。す、すみません、はやとちりしました」
それでも嬉しそうにベッド脇へと戻ってくる彼に、蒼樹の心はホッとする。声をかけて良かったと思った。
平丸は、枕元に座る蒼樹の隣に行くと、さっきのように生き生きとした瞳でチョコレートシロップを差し出した。
「今日は僕たちがつき合って初めてのバレンタインですよね?」
「はい、そうですね」
「で、僕なりに考えたんです。思い出に残る記念日にしたいって・・ユリタンにチョコレートを貰うだけでいいのだろうか、いやよくない。してもらうだけでは恋人ではないって。やっぱり僕からもユリタンに何かしてあげたいんだって」
「まあ・・平丸さん」
熱っぽい瞳で語られて、蒼樹の胸がきゅんとときめく。こんなふうに自分のことを想ってくれる彼がまた愛しくなる。
「ですから、ユリタンにチョコレートになってもらおうと思ったんです」
「・・・・・えっ」
「絶対に満足させますから。そりゃもう、全身チョコレートみたいに溶かしてみせますから・・!お願いします。ぜひお願いします」
突然なんの話だと目を瞠った蒼樹に、平丸はずいっと覆いかぶさる。そのまま鼻息荒くキスをしてこようとするので、胸を押して抵抗した。
「ち、ちょっと待ってください。え?え?あの、チョコレートって・・チョコレートって、やっぱり、そっ・・そういう意味なんですか?それにまだいいなんて言ってませんけどっ・・」
「すいません、実はさっきから下着姿のユリタンにムラムラしっぱなしで、正直もう限界っていうか・・ダメですか?ほんとにダメですか?」
「ダ、ダメっていうか・・あっ、ちょっと、平丸さんっ」
首筋に生温かい舌の感触がして、びくんと体が反応する。耳の後ろを舐められると、くすぐったいような恥ずかしいような、なんとも言えない感覚がして抵抗する力も弱まってしまう。
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BAKUMAN
(bakuman....)
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