B akuman


1



淫靡な水音が暗闇に響く。


狭苦しいエレベーターという空間のせいか、現実感がわかない。意識の奥では分かっているのに、あえて目を瞑っている。
男の指がシャツを潜り、ブラに包まれた乳房を探り当てる。思わず身をすくませると、耳元からやや熱を帯びた声が聞こえた。

「これ、外しますよ?」

返事を待たずに背中に手が回る。「ダメです」と声は出ても、はっきりと拒絶することは出来なかった。
包むように乳房に触れられた時、鼻先に微かなインクの匂いがした。『そこに、いる』と悟ってすぐ、唇はふさがれる。

エイジの、それによって。



◆◇◆


そのマンションの7階に住んでるのは、あの新妻エイジ。

久しぶりの訪問だった。
原作者と作画家の関係ではあるが、作品は担当を通しているので普段は交流はない。以前愛子がコラボをお願いしに通って以来の訪問だ。

しかし今日は部屋に入るでもなく、玄関先で簡単な会話をしたのみ。用件は担当の港浦が誤ってボツネームをエイジに渡した為で、その尻拭いで愛子が本来のネームを届けに来たのだ。

「秋名さんじゃないですか」

以前と同じ半纏にスエット姿、髪型は自分で切っているのか前髪が妙に短い。愛子は軽く片眉を上げただけで、脇に抱えていた封筒を差し出した。

「港浦さんから聞いていたと思いますが、これが正式なネームです」
「んん?おお、聞いてます。わざわざどうもですーっ・・・でもなんで秋名さんが?港浦さんが来るんじゃないんですか?雄二郎さんがそう言ってましたケド」
「・・・インフルエンザだそうです。それに近くに来る予定もあったので。では、確かにお渡ししましたのでよろしくお願いします」
「はい了解デス・・って、あれ?もう帰るですか?」

ドアノブに手をかけ、愛子は顔だけエイジに向ける。

「用事は済みましたから。原稿中にお邪魔しました」

そう言ってドアを開けると、「あ、ちょっと待ってください」とエイジがサンダルを履いた。

「僕も下のコンビニまで行く予定だったんです。せっかくなんで一緒に行きましょう」
「・・コンビニ?新妻さんが?」
「はい。なにか?」
「いえ・・どうぞご自由に」

愛子はエイジを待たずに玄関を出る。後から出てきたエイジが鍵をかけてないのが気になったが、それを指摘するのは彼を意識しているようで嫌だった。
ヒールの音が歩くたびに廊下に響き、なんだか耳障りな気がして、愛子は歩みを少しだけ遅めた。それが背後にいたエイジと並んで歩くきっかけになったことに、気づかぬふりをして。
思っていたより早くエレベーターの扉が開くと、二人は何も言わずに乗り込む。一階のボタンを押し、扉がゆっくりと閉まると、二人きりということを急に意識した。

(・・いまさらだわ)

本当に、今更だった。
1年も前の話。コラボを持ちかけて通っていたあの頃、愛子とエイジの間にほんの少しだけ男女の隙ができた。
それは本当にささやかな隙。交わした言葉もなんの変哲もないものばかりだったし、距離も適切だったと思っている。言葉にするには難しい曖昧な空気が、あの頃の自分たちにはあった。

しかし結局、互いに踏み出すこともなく、コラボ開始とともに愛子の足はエイジのマンションから遠退いた。


ウイイイン、とエレベーターが動き、しんと静まった空間で視線は表示される階数を追っている。背後でエイジがあくびをしたのが分かった。そんな彼が珍しくて、思わず口を開く。

「お疲れですか?」
「え?」
「いえ・・あくびをしてたような気がしたので。勘違いでしたら気になさらずに」
「ああ、いえ、あくびは確かにしましたケド・・別に疲れているんじゃないです。どちらかといえば、その逆ですね」
「・・どういう意味ですか?」

思わず振り返ると、エイジと目が合う。彼は両手を半纏のポケットに入れたまま、ぼんやりとした様子でこちらを見ていた。

「僕、いま緊張してんです」
「・・・・緊張?」
「あくびって緊張すると出たりしますよね、なんででしょうかね」
「それは・・」

脳の酸素消費量が増えるから、という言葉をつぐむ。エイジの視線がそんな答えを求めてはいないと悟ったから。
胸がどくんと鳴って、愛子はエイジから目を逸らした。なぜか急に恐ろしいような不安な気持ちになって、そのまま黙りこむ。表示階数が「3」へと変わった時、突然視界は真っ暗になった。

「きゃっ!?」

エレベーターがガクンと大きく揺れて、肩が壁に当たる。跳ねるように床に崩れる時、急に腕を引かれた愛子は前のめりに倒れた。
電気も消えて、さっきまで聞こえていたエレベーターの動作音も聞こえない。故障したのか、それとも急な停電だろうか。とにかく緊急用の連絡ボタンを探さなければ、愛子が起き上がろうと手をついた時、その感触に驚いて目を見開いた。

「えっ!きゃっ!に、新妻さんっ!?」

倒れた場所はエイジの上だったらしい。半纏とおぼしき布の感触から、胸の下で愛子が押し倒すような格好でいることに気付いた。
暗いので具体的な体勢は分からないが、これはまずいと慌てて身を起こす。けれど下から伸びたエイジの腕が、愛子の動きを止めていた。

「・・え?なんですか?」
「すいません、ビックリしてしまって手が離れなくなりました」
「はっ?え?嘘でしょ?」
「まあ、嘘ですケド」

声は平静であった。愛子は背中に回ったエイジの手を解こうとしたが、どうしてかびくともしなかった。

「もう!いいかげんにして下さい!よくこんな時にふざけたりできますね?いいですか、管理会社に連絡しないといけないんです。緊急用の連絡ボタンがどこかにあるはずなんですから、まずそれを押さないと・・って聞いてます!?」

上半身を起こしたエイジは、愛子を両足で挟むように抱きついて、さらに体を密着させてくる。嗅ぎなれない異性の匂いが暗闇以上に愛子を動揺させた。
どのくらい顔が近いのだろう、もしかしたら数センチと離れていないのかもしれない。微かに息がかかって、愛子は顔をうつむいた。

「に、新妻さん?」

エイジの髪が頬に触れる。頭を乗せたのか、肩が重くなった。背中に回った手がもぞもぞと動いてコートの中に滑り込んだのに気付き、愛子はエイジの腕の中でもがく。

「・・あのっ!ちょっと!本当になにをしてるんですかっ!?」
「秋名さん、ちょっと静かにしててください」
「はい?なっ・・なにを言ってるんですか、そもそもあなたがこんな状況で・・」
「今、僕けっこうタイヘンな状況なんです。それなりに葛藤して迷ってグラついて挫けそうなんです」

何を言ってるのだろう、理解できぬまま愛子の心臓が早鐘のように鳴る。エイジの手はブラウスの上から背中を撫でて、首筋に吐息を感じた。

「っ・・!や、やめて下さいっ・・こういうのはダメです。ぜったいにダメです!」
「はい。僕もそういうのよくないって分かってるんですケド、さっき緊張してた糸が切れちゃったみたいで」
「き、緊張って・・どこがですか」
「だから、久しぶりに秋名さんと二人きりってトコにです。でもこうやってくっついてしまうと、なんか・・・もう、いろいろ吹っ切れますね」

ため息とともに首筋にぬるい感触がして、愛子はびくっと体が跳ねた。舐められたのだ、首を。

「ひゃっ・・!」
「ゴメンナサイ、そんな声出されるともう色々無理かもです」
「だっ誰のせいですかっ!」
「僕のせいっていうのも、嬉しいです」

エイジが愛子を抱きかかえて膝の上に乗せた。普段漫画ばかり描いていて、どこにこんな力があったのだろう。愛子は抵抗するのも忘れてそんなことを思う。
首筋から耳の後ろを舐められ、逃げようと顔を動かすがエイジの舌は執拗だった。そうこうしているうちにスカートを捲くられるのに気づいて、愛子はぎょっとする。

「ちょっと!な、なにしてるんですかっ!?」
「だって暗い中で、こんなふうに密着してたら興奮しちゃうじゃないですか・・・ほら」
「ほら?・・って、きゃあっ!」

導かれた手が硬いなにかに触れて、愛子は顔が熱くなった。エイジの足の間にあるそれは、初めて触れる男性器で。布越しだが、はっきりと主張しているのが分かって、すぐに手を離す。
動揺しすぎて声もでない愛子をよそに、エイジはスカートの中に手を入れた。彼の上に跨ぐ格好だったせいで、ストッキングごしとはいえ容易に秘所へ触れられてしまう。

「っ・・!ダメですっ!!」

布の上から指先がなぞるように動き、驚いてエイジの胸を強く押した。腰を上げて逃げようとしたが、暗闇のこともあって思うように動けない。

「あまり動かないほうがいいですよ、揺れますから」
「そっ、んなこと言ったって・・あなたがこんなことするからっ」
「でもこういう特別な状況ってドキドキしませんか?なんでしたっけ、ありましたよね?ピンチな時に恋に落ちるとかそんなの・・・ツンデレ?ツリイト?効果?」

吊り橋効果です!
そう言いたくても、声が出なかった。エイジの中指が愛子の敏感な場所をゆるやかに擦っていたのだ。うっかり声を出せば面白くない声音になってしまいそうで、奥歯を噛みしめる。けれど一番敏感な箇所に指が届くと、咄嗟に吐息がもれてしまった。

「!・・っ、も、もういいかげんにしなさいっ!ほ、本当に許しませんよっ・・」
「真っ暗な中で聞く、秋名さんのそういう声アブナイです。ゾクゾクします」
「なにがっ・・だからっ・・あっ」

耳元にエイジの荒い息がかかる。耳たぶを吸われ、そのまま息は頬から唇へと移っていくのを感じた。このままではキスされると思い、愛子は顔を背けようとした。
けれどピリッとなにか引き攣れるような音がして、エイジの指がストッキングを破ったのだと察知する。その隙をついたように、愛子の唇はエイジにふさがれてしまった。

「ん・・っ!?」

柔い感触がしたのは一瞬で、すぐに生温い濡れたなにかが口腔に侵入してくる。咄嗟にエイジの舌だと悟った。
気が動転して反応できずにいる愛子をよそに、舌は舐めて、吸って、絡めて、なぞって、強引に弄ぶ。その動きはどこか性急で、逃げる愛子を捕まえようとしているみたいだった。
初めて感じる他人の粘膜にショックを受けながらも、もう一人の自分はそれが嫌ではないことに驚いていた。

こんな一方的な行為、許されないと思っている。なのに心は不思議な熱を帯びて、震えていた。暗闇が心の鎧を纏わせず、無防備にさせてしまうのかもしれない。
愛子は急に泣きそうになった。エイジが自分を求めるたびに、頑なに守ってきた殻が剥がれていく。認めたくなかった事実をつき付けられているようで少し恐ろしかった。

「秋名さん?」

耳元でやや怪訝な声が聞こえる。暗闇に通るその声を聞いた時、愛子は言葉にならない感情の正体を理解した。一年も前から心の中でずっと蓋をしていた想い。恋と呼ぶにはまだ未熟な、淡い感情。
育つ前になかったことにして、封をした。それは初恋に破れた愛子が咄嗟に取った、防衛措置だった。





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BAKUMAN


(bakuman....)





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