B akuman


2


◆◇◆



映画を観て食事をして。
では帰りましょうかとなった時、お茶を飲みませんかと誘われた。
カフェにでも寄るのかと思いきや「僕ん家で」と付け足される。店にあるアンティーク調の置時計は短い針を8に向けていて、窓から見える空の色は既に濃紺であった。
平丸の表情の硬さは目的がお茶だけではないことを物語っていて、蒼樹の胸が音を立てた。
いつもなら「もう遅いですから」と返すが、ふいに合った瞳の奥に弱気さが垣間見えると、先日のアシスタント達との会話が思い出されて断りの言葉を失う。

「お茶・・ですか」
「はい、あのっ、昨日ベノアのダージリンとアッサムティーを手に入れまして・・ぜっ是非一緒に飲みたいなと」
「・・・・・」
「だっ、駄目でしょうか」

駄目ではない。駄目ではないが、やはり躊躇う。
どうしよう、やっぱり断ろうか。
迷うように目を伏せて再び視線を上げると、こちらに視線を向けたままの平丸に蒼樹の胸は大きく跳ねた。
真っ直ぐ見つめるその目には期待と不安が混じっている。蒼樹が答えに窮している様子を感じてか、いつもよりも期待が滲んでいた。ここで断れば平丸がこれまで以上に落ち込むことは予想でき、さらに戸惑う。

「あの・・」
「はいっ」
「今から、でしょうか」
「そっ、それは・・あの、できれば・・はい」

肯く平丸の、やましい気持ちがありありと見てとれる表情に、蒼樹は思わず口元がゆるんでしまった。ずるいなぁ、と思いながらも、こういうところに惹かれているのだと再確認してしまう。
じわりと頬が染まるのを感じながら、「いいですよ」と小さく肯いた。内心の不安を隠して。

本心を言えばまだ覚悟はないが、その瞬間に平丸が見せた歓喜の表情を見て、蒼樹の心に後悔はなかった。

速まる鼓動は平丸のマンションへ着いた時にピークを迎えたが、部屋に入り彼が紅茶を淹れはじめた時には、少し落ち着いてきた。
ダージリンの柔らかな香りのせいか、それとも蒼樹自身が開き直ってきたのか。
エアコンを点けたばかりの室内はまだ肌寒い。コートは先に脱いでしまったので、ブラウスとカーディガンのままで紅茶を待つ。膝丈のスカートからのびた足は、冷たい足先を守るように重なっていた。

「お待たせしました」

カチャカチャと茶器の音を立てて平丸が現れる。お洒落な銀色のトレイをガラスのテーブルに置くと、やや緊張した面持ちで蒼樹が座っているソファーの右側へ腰を下した。
ポットとカップ、ミルクとレモンと砂糖入れ。お茶菓子のクッキーは以前蒼樹が好きだといった店のもので、何気ない言葉を彼が覚えていたことに微かな感動がわいた。
紅茶の入ったポットを平丸が持ち上げ、カップへと傾ける。紅色の液体がゆっくりと器に溜まり優しい湯気が昇った。「どうぞ」と差し出された時、ふいに目が合ってどちらともなく微笑む。硬さの残った空気が和らいだ気がした。

「いただきます」
「はい。いただきます」

花のようなダージリンの香りが二人の間を揺らめく。オレンジ色の暖かな照明は蒼樹の心を穏やかにして、肩の力がゆっくりと抜けていった。

「紅茶、どうですか?」
「はい。おいしいです・・とっても」
「よかった。前にベノアが好きだって言ってたの思い出して・・僕は初めてなんですけど、確かにいい匂いですね」
「ええ、とってもいい香り」

ふふふ、と笑ってまた一口紅茶を飲むと、こちらを見ている平丸と目が合った。
一瞬ドキッとしたが彼も同じなようで、はっとしたような顔で慌ててカップの紅茶を啜る。蒼樹もまた同様にカップに口をつけた。
ちらと平丸の横顔を窺うと、頬の辺りが緊張のせいか硬く耳は赤かった。彼がタイミングを計っているのに気づいて、蒼樹の心臓が忙しく鳴り出す。
どういった言葉で言われるのか、そして自分はどう返事するべきなのか。即答でイエスと答えたほうがいいのか、それとも困った素振りでも見せたほうがいいのか。僅かな沈黙のなか、蒼樹の思考はぐるぐると迷う。

「あの」
「は、はい」

声をかけられ咄嗟に声が上ずった。

「あの・・・・」
「・・はい、なんでしょうか」
「・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・」
「・・・平丸さん?」

黙り込む平丸に首を傾げて、蒼樹はそっと彼を窺う。すると眉間にシワを寄せて悲壮ともいえる表情で俯いていた。

「キッ・・・キキ・・キ、キスッ・・・キスしていいですかっ!」
「えっ」
「キス・・キスしたいです。ユリタ、いえ優梨子さんとっ」

『ユリタン』という愛称ではなく、あえて名前で呼ばれると蒼樹もまた緊張してくる。平丸の視線は口元に注がれており、そのせいか唇に熱を感じた。
動揺から持っていたティーカップを落としそうになり、慌ててテーブルに置く。それを見て平丸も自分のカップをテーブルヘ戻した。
気づくと、さっき迄あった二人の間のスペースが殆どない。どうやら今の行動が「OK」のサインだと平丸は思ったらしい。そういうつもりではなかったのだけど・・と内心で蒼樹は言い訳する。
右手を取られ両手でしっかりと握られると、平丸は目を見つめて身を乗り出してきた。

「いいですか?」

10cmあるかないかの近距離で問われると気おされて声が出ない。覚悟していたはずなのに、いざとなると尻込みしてしまう。けれど拒むことはもっと出来なくて。
『手を握って、真剣に見つめられて、お願いされたら』ふいに、アシスタント達に言われた状況と一致していることに気づく。あの時予想した結果通り、いざとなると彼は有無をいわせない。

蒼樹は返事のかわりに目を閉じる。心臓が耳元で聞こえるほど脈打ち、平丸の顔が近づいてくるのを待っていた。
鼻先が軽く触れ、息がかかる。上唇に柔らかさを感じたあと、蓋をされるように唇が重なった。握られた手が微かに震えて、思わず握り返す。
これが『キス』なのかと、新鮮な驚きを感じた。触れてすぐは動かなかった唇は、その後ゆっくりと顔を動かし感触を味わう。下唇を軽く吸われて蒼樹の頭がぼうっと霞んだ。
平丸の唇で押されるように体勢が後ろへ倒れそうになり、慌ててソファーの肘掛に手をつく。熱を帯びる口づけはしだいに口腔へとひろがり、初めて知った他人の粘膜に驚いて、蒼樹は咄嗟に平丸の胸を押した。

「ん・・っ」

離れた唇から唾液の糸がひいて、恥ずかしさに顔が熱くなる。平丸は乱れた息のまま、濡れた上唇を舐めた。
目が合って、またすぐに唇が迫る。衝動のままに再び口づけされて、抵抗する隙もなく口内へ侵入を許してしまった。ぬるりと舌を絡められ唾液を吸われる。さっきまで握られていた手が、カーディガンを捲り上げているのに気づいた。

「っ・・は、んっ・・まっ、待って」

このままソファーでするのは避けたかった。初めてはベッドが良かったし、シャワーだって浴びたい。なによりここは照明が明るすぎる。

「ひら・・平丸さんっ、あのっ、ちょっと・・」

追ってくる唇から逃げつつ胸を押していると、平丸が我に返ったように一気に唇を離した。
カーディガンから手を放し、ソファーの端へと飛びのく。後ろめたそうに逸らした目と、強張った顔。額には冷や汗が滲んでいた。

「すっ、すみません・・つい、抑えられなくてっ・・」
「い、いえ」

乱れた着衣を直しながら蒼樹は赤らんだ頬のままうつむく。唇に灯された熱は全身へと伝導されて、奇妙な昂りを覚えていた。
平丸は小さく咳払いを一つしてソファーに座りなおすと、躊躇いがちに口を開いた。

「嫌、でしたか?」

どう答えていいか困って平丸を見る。神経質そうな目元が前髪からのぞき、不安げにこちらを見ていた。

「嫌というか・・あの、そうではなくって・・」
「そうではなくて?」
「ええと、あの・・」

できればベッドでして欲しいなんて、言っていいのだろうか。こちらから誘っているふうに思われないだろうか。そう思って口ごもっていると、平丸の顔がさらに暗くなるのに気づいて慌てた。

「シャワーを・・・シャワーを、浴びたいんです」

言ってすぐ蒼樹の顔は真っ赤に染まる。うつむきがちな彼の顔は弾かれたようにこちらを向いて、目は大きく見開かれていた。
目と目が合ったまま、互いに言葉を失う。沈黙は時間にすれば数秒であったろうが、蒼樹にすればかなり長い時間に思えた。耐え切れなくて思わず立ち上がろうとした時、右肩を掴まれてそのままソファーに押し倒されてしまった。

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BAKUMAN


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