D.gray-man U





裏口へ向かうには3軒ほど遠回りして、小さな噴水がある広場へと出なければならない。
こそこそと身を屈めてそこへ向かうと、噴水の側に水のみ場があるのを発見して思わず立ち上がる。村の子供達が集まって美味しそうに水を飲んでいる姿を見るや、リンクはいても立ってもいられず走りよった。

(ここにあるではないか!)

子供たちをかき分け、両手で水をすくいゴクゴクと一気に飲む、冷たさが胸にしみて心地いい。これなら宿屋にある水よりずっと冷えているのに間違いない、災い転じてというがここまで来て良かった。すぐにでもこの水を彼女のもとへ届けなければ。
リンクは水のみ場に備え付けのコップを探した。だいたいこういう場所にはコップがあるはず。見回すと5歳くらいの子供がリンクのすぐ後ろにいて、鼻水をたらし土がついた真っ黒な手でコップを握りしめている。その目は明らかにリンクを警戒していた。

「・・・・・」

子供の身なりがあまりに汚いので、そのコップを使うのを一瞬躊躇ったが、ほかに水を汲めるものはない。

「悪いがそのコップ、貸してもらえないか。こちらは緊急なんだ」
「・・・・・・」
「?なんだ、まさかここでも英語が通じないのか?」
「・・・・」
「エクスキューズミー?わかるか?コップだ、そのコップが必要なんだ」
「や・・いやだ」

子供は首を横に振り、コップを背中に隠す。リンクは英語が通じるらしいことにホッとして、さらに強く頼む。

「いいか?現在どちらに緊急性があるかと言えば、間違いなくわたしの方だ。別に返さないと言っているわけじゃない、すぐに返す。それにもともとコップはきみのではないだろう?」
「・・でも・・」
「水を飲みたいというなら手で汲んで飲めばいいだろう、ちょうどその手もキレイになって一石二鳥ではないか」

だからよこせ、と手を出したリンクは子供の目に涙が溜まってきたのに気づき、動揺して手を引っ込める。別に泣かせるつもりはなかったのだが、少し焦りすぎたかと反省していると。

「ちょっと!うちの弟になにしてんのよ!」
「は?」

突然脇からあらわれた10歳くらいの少女がリンクを睨みつける。少女はリンクをじぃっと上から下まで睨むと、くるりと噴水の方へ向き直り大声で叫んだ。

「ママー!!この人がアントニを苛めてるーっ!!」
「!?ちょっ、おい違うっ・・!」

どうやら噴水近くの洗濯場に母親がいるらしい。叫ぶ少女の口を塞ごうと、慌てて手を出すと今度は金切り声を上げたので場は騒然となる。

「キャーッ!助けてーっ!」
「なっ、何を・・って、ち、違う!」

ざわ・・と周囲から刺すような視線を向けられ、リンクは否定の意味をこめて激しく首を横に振った。これではまるで変質者ではないか、何とか誤解を解かねば。
そうは思うものの洗濯場から二人の母親らしき女が大きな乳房を揺らしてこちらへ来るのを見ると、さすがに身の危険を感じてリンクはその場から一目散に逃げ出した。




◆◇◆◇◆




一旦、広場から離れて別のルートでミランダのもとへ戻ろうと思うが、宿屋からさらに離れた教会まで来るとリンクは疲れたように階段に座り込んだ。

おかしい。どんどん遠くなっていく。こんなはずではなかった、今日は病床の彼女をつききりで看病する予定だったのに。
いったいどうして自分はこんなところにいるのだろう。「水を持って来る」と言って、そろそろ1時間は経とうとしている。もう昼時を過ぎているが、ミス・ミランダは大丈夫だろうか・・独りぼっちでさぞや不安だろう。早く戻ろう、そう今すぐに。

そう思いながらもリンクは立ち上がれない。今戻ったところで肝心の水がないのだ。
とは言うもののどうやって水を持って帰ればいいのか。どうしたものか考えて、考えすぎて、結局座り込んだままであった。

(・・・ずっとこうしているわけにもいくまい)

正直に言うしかないだろう。彼女はきっとガッカリするだろうが、全ては自分の不徳の致すところ。いい所を見せたくて張り切りすぎた。こうして墓穴を掘ったのは、舞い上がっていた自分へのしっぺ返しかもしれない。

そう、舞い上がっていた。
リンクは今回初めてミランダと2人きりになったことを、実際嬉しく思っていた。
彼女が病気で苦しんでいるのに、そんな考えを抱いていたことに自己嫌悪し眉を寄せる。もちろん早く良くなって欲しいと思っていたが、これを機に仲良くなれたらいいな・・という不純な考えも少なからずあった。

結局、こうやってミランダから離れるはめになったのは神罰のような気がして、リンクは背後にある教会を振り返る。
と、その時足先に何かが当たり、リンクは視線を落とす。コロンと転がったそれは林檎だった。

(林檎?)

周囲に林檎の木はない。どうしてこんなところに?と首を傾げて林檎を拾うと、またしても足先にコロンコロンと林檎がぶつかってくるのに気付く。
拾おうと体を屈めたがまだ転がって来る。しかも今度は5〜6個が向かいの坂からゴロンゴロンと転がってくるのだ。ギョッとして見ると、坂の上で老婆が林檎の籠をひっくり返してしまったらしい。
商売でもやっているのか荷台を置いた老婆は、なんとか籠を持ち上げようとするが、大量の林檎はかなり重たいらしく難儀しているようだった。

「む、これは・・」

リンクは咄嗟に駆け寄って、籠を荷台へと上げる。もとより体力はあるし距離もそれほど遠くなかったのだが、颯爽と現れたリンクの存在に老婆は驚きつつも久方ぶりのときめきを感じてしまったらしい。ポッと頬を染めてウットリと見つめる。

「Gracias・・Eso que un hombre maravilloso!」
「おい・・また英語が通じないのか?Graciasは、『ありがとう』だったな・・いや、礼には及ばない・・ええとEs bienvenido・・でいいのか?」

老婆は頭に被るスカーフを縛りなおすと上目使いで「Mi amor.」としなをつくったので、リンクは顔を強張らせる。
「Mi amor.」は英語で言うと「ダーリン」。妙な危険を感じて後ずさりすると、その腕をガッチリと掴まれて萎んだボールのような胸を擦り付けられたので、リンクは全身から血の気が引くのを感じた。

「す・・すまないが、もう少し離れてもらえないだろうか」

老婆はなにやら早口でまくしたてているが、リンクのヒアリングでは聞き取れない。とにかくえらく気に入られているらしいことは分かった。しかも出来れば遠慮したい方向で。
早々と立ち去ろうとリンクが自然なかたちで腕を解くのに成功すると、老婆は「Es un presente!」と言って荷台の籠から林檎を差し出した。

「?Es un presente・・プレゼント?つまり林檎をくれる・・と?」
「Si!」
「そ、そうか・・では、ありがたく」

つやつやと美味しそうな林檎を受け取り、リンクは引き攣った顔のまま後ずさりしたが、老婆はまだあげ足りないとさらに籠を差し出してきた。

「いや、そんなには・・」

断ろうと首を振ったリンクは、突然あることに気づきハッとして林檎を凝視する。
この林檎をミランダに持って行けばいいではないかと。林檎は消化もいいし血行も良くなるから、弱っている時にはちょうどいい。すりおろして食べさせてあげればいいではないか。

これぞ天の助けとリンクは神に感謝し、思わず林檎にキスをする。老婆がその姿に「Oh‥」と魅せられているのも構わず、籠を受け取ると上着を脱ぎ形のいい林檎を10個ほどその中に包んだ。

「では、感謝する。本当にありがとう・・Gracias!」

善は急げと立ち去ろうとするリンクの腕を老婆がガシっと掴む。突然のことで驚き見ると、頬を指でチョイチョイとつついてリンクへと向けてきた。どうやら『キスしろ』ということらしい。

「は・・」
「Beso、Bese aqui」
「Bese・・て、キス?は?いや・・そ、それは」

断ろうかと思ったが、林檎をもらっておいてそれも失礼な気もする。謝意の意味なら頬にキスするくらい大したことはないのだが・・老婆の雰囲気はそういった類のものではない。男女間のなにかを期待するような雰囲気だ。それは困る、申し訳ないがそういった期待は困る。しかしこの状態で断るのもどうかと・・・。
向けられた頬に悩むことおよそ2秒。リンクには2時間にも感じられた長い時を経て、おそるおそる唇を近づけると、触れるか触れないギリギリの場所で「チュ」と音を立てた。

「では」

なるべく眼を合わせずに立ち去ろうとした瞬間、掴まれていた腕をすさまじい力で引っ張られるのを感じ眼を見開く。
リンクが「あ」という声を出す暇もなく、狙い定めた動きで19歳のみずみずしい唇を老婆のそれは塞ぐ。まるでスキのない動きは最初からこれを狙っていたと言ってもいいかもしれない。


「?!?!!!」



ちなみに、ファースト・キスだった。




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