D.gray-man U






汗ばんだ肌にうつろな瞳、紅潮した頬のミランダがリンクを見つめる。
乱れた息のまま「ハワード・・さん・・」と呟くと、自身の鎖骨に手を這わせゆるやかな動きで挟んでいたものを差し出す。

「で、では」

彼女の体温が残るそれを受け取り、リンクの心臓は激しく鳴り出す。見てはいけないと思いつつも、目はちらちらとその姿態を窺ってしまう。
不埒な思いにかられる自分を諌めるように、リンクは下唇をぎゅうと噛み締め鼻で大きく息を吸うと、


「さっ・・38度7分・・ですっ」


上ずった声で体温計を握り締め、そう告げた。



ここはスペインの片田舎にある小さな宿屋。リンクは片思い中のミランダと2人っきりである。



アレンとラビとミランダ、そして監査官のリンクは数日前より任務の為、スペインのとある村まで来ている。AKUMA数体を片付けて、肝心のイノセンスも無事に確保した後、突然ミランダが倒れてしまった。
疲労もあるが、どうやら風邪らしい。本人の話によると少し前から体の調子が良くなかったようだが、久し振りの任務への緊張もあってそれほど重く考えていなかったらしい。終った途端、高熱を出したのだ。
すぐに本部へ帰ろうとしたが、近くの森で新たなAKUMAが数体現れたと情報が入り、アレンとラビはそちらへ向かわねばならなくなった為、一先ずミランダは2人が戻るまで村の小さな宿屋で休むことになったのだった。

ちなみにリンクは看病の為、自主的に残ったのである。






◆◇◆◇◆





冷たい水にハンカチをつけて軽く絞る。そろそろとミランダの額にそれをのせた。
本来ならタオルでも使いたいところだが、先ほど宿屋の女将に借りたタオルは見るからに汚く、洗濯されているのだろうがリンクの目には雑巾にしか見えない。そんなものを大切な人の肌にのせるなんて生理的に嫌だったので、ハンカチで代用しているのだ。
少々面積が足りないが、マメに取り替えてその都度位置を微妙にずらしていけば全体的に冷えるだろう。念のためといつもハンカチを2枚持ち歩いていて良かった。一つのせれば一つ浸ける。それをこの3時間律儀に繰返しすリンクの行動は、涙ぐましいほどの献身ぶりで。もちろん当の本人には幸せな時間であった。

「ごめんなさい・・ハワードさん、私のせいで・・」
「いえ、どうぞ気になさらずに。それより今は何も考えずにゆっくりお休みになったほうがいい」
「でも・・」
「先ほどより顔色もずっとよくなってきてます。熱が上がって汗をかくのは、これから熱が下がっていくということです。今は少し辛いでしょうが、じきに楽になりますよ」
「ハワードさん・・」

ミランダの瞳がうるうるとして小さな声で「・・ありがとう」と言うのが聞こえると、リンクの胸は熱くなる。想いを寄せる相手からの感謝の言葉に、使命感はさらに燃えてきた。
もともと華奢で頼りなげな彼女がこうして病に臥しているとさらに儚げで、なんとしても守ってあげたいと庇護欲が刺激されてしまう。いつもなら2人きりになるだけで動悸は速まるのに、今は看病という重大な任務にリンクの心は昂っていた。

「喉は乾きませんか?汗をかかれているから水分はしっかり補給したほうがいい」
「そう・・ですね、言われると少し」
「少しお待ちください。ここの女将に言って冷たい水を貰ってきますから」

そう言うと、ミランダの額のハンカチを取り替えて立ち上がる。リンクへ申し訳なさそうな瞳を向ける彼女に「どうぞ寝ていてください」と告げると、顔を背けて軽く咳払いをした。熱を含んだその視線が色っぽくてドキドキしてしまったのだ。
赤らんだ顔を隠しいそいそと部屋から出ると、力が抜けたように大きく息をついたが次に自分の頭を拳で殴り、さっき芽生えた不謹慎な気持ちを打ち砕く。こんな時にどうかしていると。

(そうだ、水、水だ。冷たい水を・・)

ハッとして急いで1階へと続く階段へ向かう。ギィギィと音を軋ませながら階下へ降りると、宿帳を記入するための小さなカウンターがある。カウンターといっても適当な板に釘を打っただけの手作りの台だが、その奥にここの女将がスツール椅子にいつも腰掛けている。
リンクはカウンター越しに声をかけようとしたが、そこに座っているのが今朝見た女将の姿ではなく、かなり年のいった老婆であることに気づく。ただでさえ低い椅子に座っているせいか、小柄な老婆はさらに小さく子供のように感じられた。

「失礼、冷たい水をもらえないか。できれば氷もあると助かるのだが」

老人相手ということもあり、リンクはいつもより声を張る。けれど老婆は怪訝な顔できょろきょろ辺りを窺い、リンクを見つけるとしわしわの顔をさらにしわくちゃにして笑った。

「Que puedo hacer para usted?」
「・・む?英語が通じないのか?」
「Esta en el ancla?」
「お泊り?いや、そうだが、いや違う。もう部屋を取って・・あー、客・・Un visitante。そうUn visitante。わたしは、ええと・・YO・・Soy un visitante ・・通じないか?」

スペイン語、しかもかなり訛りがきつい。リンクも単語程度は理解できるが、発音は自信がない。案の定老婆はリンクの言っていることが分からないようで、見知らぬ外国人の客にキョトンとしている。
今朝いた女将は英語が話せたのだが、どこへ行ったのだろう。とりあえず宿帳の近くにあったペンで「わたしはここの客で、水を飲みたい」という文をスペイン語で書いて差し出したが、老婆は目が悪いようで紙を近づけたり離したりし、老眼鏡をかけてもよく分からないようだった。

「弱ったな・・」

部屋ではミランダが水を待っている。一刻も早く彼女に冷たい水を飲ませてあげたい。けれどこの老婆にそれをどう伝えればいいものやら、リンクは悩む。ジェスチャーゲームのようにボディランゲージで表現するのも考えたが、目が悪いならそれも無意味だろう。
一先ずカウンターから離れ部屋へ戻ろうかと考えた時、視界に厨房へとつづく扉が見える。あそこには水があるだろう、そう思うとさらにこの状況が口惜しい。もう強引に厨房まで入ってしまおうか、本来なら決してしないことだが。
別にやましいことをする訳ではない、こちらは客だ。その客が水を欲しいと言っているのだ。ちょっとお邪魔して一杯の水をいただくだけ、後で女将に事情を話せばいいのだ。何の問題もない、そう全く問題にもならない。
リンクは心の中でそう言い訳しながら、老婆の背中の斜め後ろにある扉へ向かう。後ろぐらいところはあるが、こそこそするのも嫌だったので「失礼」と声をかけてドアノブに手をかけた。

「Ladron!」

『泥棒!』と叫び声が聞こえた途端、リンク目がけて何かが飛んで来る。咄嗟に避けて、一面に散らばった土と焼き物の破片に鉢植だと分かると、驚いて思わず老婆を見た。
真っ赤な顔で、座っていたスツール椅子を頭上にかかげ、鬼の形相の老婆は大声で何かを叫んでる。どうやらリンクを泥棒だと勘違いしているらしい。小さな体で椅子をぶんぶん振り回し追いかけてくるので、リンクは慌てて扉から離れた。

「は?ち、違う!わたしは泥棒では・・だからNo!Ladron・・No!」

泥棒じゃないと、悲痛な叫びも空しくその気迫に圧される形で、リンクは宿屋から追い出されていた。
向かいの家の垣根に隠れながら宿屋を窺うと、老婆は警戒するように椅子を持ち上げたまま辺りに目を配る。椅子で乱暴に草むらを調べる姿は、見つけ次第捕まえてやろうというのだろう。

(しまった、これでは水どころか看病もできないではないか・・!)

手入れの甘い垣根に頬をチクチク刺されながら、リンクは宿屋の2階にいるミランダのことを想う。
今頃苦しい思いをしていないだろうか・・熱は上がっていないだろうか・・もし急に熱が上がって助けを呼びたくてもあの老婆では役にも立たないだろう。脳裏に苦しげな表情でリンクを呼ぶミランダが浮かぶ。
早くあそこに戻らなければ。使命感に燃える男はグッと拳を握り締め、口を引き結んだ。

見つからないようにほふく前進で垣根に身を隠し、土で服を汚しながらミランダの元へ向かうリンクの頭には、老婆の目が悪いことは既に抜け落ちている。
老婆の様子を窺って移動しているが、隠れずとも彼女の視力ではリンクは垣根の一部にしか見えないのだが。それに気づかない彼は、肘と胸を黒くしながら宿屋の裏口へと向かった。



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