D.gray-man U
2
ミランダはガタ、と椅子から立ち上がると、
「私・・私・・」
滲む涙を拭いながら、マリを見る。
マリは戸惑うようなやや複雑な顔で、ミランダを見上げていた。
「どうした?」
「・・・・」
ミランダはラビ達を振り返ると、
「あ、あのね、マリさんは私が迷子にならないように・・送ってくれていただけなの」
「へ?」
「え?そうなの?」
「・・道を、覚えるまでって約束で一緒について来てもらって・・」
言いながら、声がどんどん小さくなる。
「だから・・だから・・」
ミランダはマリにぺこりと頭を下げて、
「ごめんなさい・・マリさん!」
「ミランダ・・?」
「ほ、本当はもう覚えてるんです、道・・」
言ってしまった、と胸がキリキリ痛んだ。マリがどんな顔をしているか恐くて、ミランダは両手で顔を覆いながら続ける。
「つい、あの、マリさんと一緒にいたくて・・嘘をついてたんですっ」
「え?」
「嘘?」
「ミランダさん?」
ミランダの告白が、いまいちピンと来なくて若年エクソシストは顔を見合わせ、リンクは怪訝な顔をした。
マリはテーブルに手をついて椅子から立ち上がり、何か言いかけたが、
「本当に・・ごめんなさいっ!」
ミランダは小さく叫び、マリの言葉を待たずにリナリーとラビの間をくぐるようにして、その場から走り去った。
「えっ、ちょっとミランダ?!」
「どこ行くんさ、オーイ!」
自分達の横を擦り抜けるように、走り抜けたミランダを目で追いながら声をかけるが、彼女は聞こえていないのか、そのまま逃げるように食堂から出て行く。
「・・・・・」
「・・・・」
「あの・・マリ?」
なんとなく気まずい思いでマリを見ると。
マリは再び椅子に腰掛け、考えるようにテーブルに肘をつきながら、拳を口元に軽くあてていた。
「・・・・」
そして、その彼の頬はなぜかいつもよりも赤く染まっている。
「おまえたち・・」
ため息をつくように呟いて。
「いや、まあいい」
ゴホン、と何かをごまかすように咳ばらいを一つした彼は、なんだか普段より嬉しそうに見えた。
言ってしまった。とうとう、言ってしまった。
ミランダは何度か躓き転びながらも、なんとかたいした怪我もなく自室に戻る事ができた。
部屋の扉を後ろ手で閉め、そのまま扉に背を預けながらズルズルと床に座り込む。
「・・言ってしまったわ」
自分の嘘を、告白してしまった。
(マリさん、怒ったわよね)
親切心に付け込んで、彼の時間を束縛してしまったのだから。怒りを通り越して呆れているかもしれない。それに、失望もされているだろう。
しかも・・あんな自分勝手な理由で
(・・理由・・・)
ふと、マリに告げた自分の言葉を思い出した。
『マリさんと、一緒にいたくて』
「あ・・・」
顔がカアッと熱くなる。どさくさに紛れて、なんだかとんでもない事を言ってしまった。
(わ、私ったら・・!)
「い、い、一緒・・って」
赤くなる頬を両手で押さえて、自分が口走ってしまった言葉をもう一度呟く。
床にへたりこんだまま、恥ずかしさと己の情けなさから床に額がつきそうな程、うなだれた。
(な、なんて馬鹿なの・・私ったら)
よりによってなんて事を口走ってしまったのだろう。これでは、ミランダがマリに恋している事がばれてしまうではないか。
「あああぁぁ・・・」
そのまま床に四つん這いにうずくまる。
(あんな噂を聞いたばかりなのに・・これ以上、困らせてどうするのよ)
つい咄嗟に出たとは言え、あのタイミングで言ってしまうなんて。
「でも・・・」
(マリさん・・どう思ったかしら)
優しい彼の事だから、もしかしたら聞かなかった事にしてくれるかもしれない。それか敢えて気を持たせないように、きちんとお断りをされるかも。
(・・・どちらにしても、もう二人きりになる事は避けられそうね)
自分だけに向けられる、あの優しい微笑はもう見られないのだ。
「・・・・・・」
じわり、涙が滲んできて。ミランダの頬をツウ、と伝った。
(自業自得じゃない・・嘘をついていた私が1番いけないのよ)
そう、分かっていても。ミランダの涙は止まることなく流れ続けている。
(ばかな・・ミランダ)
涙がポツ、ポツ、としゃがみ込んで広がったスカートに染みを作る。ミランダはハンカチを出す事もなく、その様子をぼんやりと見つめていた。
《コン、コン》
突然、ノックの音がして。ミランダはびくん、と体が震えて涙が止まる。泣いたせいか頭がボンヤリしていたが、
「は、はいっ」
鼻水を啜りながら、慌てて返事をした。
「ミランダ、その・・わたしだ」
「!!」
その声に、ミランダの心臓は跳びはねる。低音の優しいその声は、ミランダの大好きな人の声。
「マ、マリさん?」
どうして彼がここまで来てくれたのだろう。
(あ・・そうだわ)
真面目な彼の事だから、ミランダの気持ちに応えられないと断りに来てくれたのか。
そう思うと、申し訳なくてたまらない。嘘までついて自分の気持ちばかり優先していた、自分勝手な女の為にそこまでしてもらうなんて。
ミランダはよろよろと立ち上がりドアノブに手をかけたが、顔を見れば泣いてしまうような気がして、扉を開ける事が出来なかった。
「ミランダ、話があるんだ。少し・・いいかな?」
穏やかな声に、彼が怒っていない事を知る。
ミランダの胸にその優しい声が染み込んで、引っ込んだ涙がまた滲み始めた。
「・・マリさん、ごめんなさい」
扉にコツンと額をつける。
「嘘・・ついて、ごめんなさい・・私はひどい人間です」
涙声で、ぽそぽそと呟く。
扉の向こうで、彼はどんな顔をしているのだろう。怒ってはいなくても、駄目な女だと憐れんでいるのかもしれない。
それでも嫌われるよりはずっといい。
《コン》
軽く扉を一つノックされた。
(・・?)
「わたしも・・謝らなければならない」
静かな声が聞こえる。
「その嘘・・実は知っていたんだ」
マリの言葉にミランダは目を見開いた。
「え・・」
「わたしも、ミランダと一緒にいたかったから・・知らないフリをしていた」
少しバツが悪そうに、途切れがちに呟いて。
「・・すまなかった」
扉の向こうで詫びる、その声を聞きながら。ミランダは何を言われているか、よく分からなくて目をパチパチと瞬きした。
知っていた、と。
そして、同じようにミランダと一緒にいたかった、と。
(そう・・言ったの?)
急にドキドキと鼓動が速まるのを感じて、ミランダは胸をそっと押さえる。
それは・・それは、いったいどういう意味なのだろうか。
その意味を考える前に体が先に動いて、気付いた時は手に掛けたドアノブをゆっくりと回していた。カチャ、と頼りない音をさせながら扉を開ける。
「マリ、さん」
「ミランダ」
見上げたマリの顔はいつもの穏やかな表情に、僅かに緊張をにじませていたが、頬は少し赤みがさしていて。
それを見て、ミランダは急に体が熱くなっていくのを感じた。
「・・あの、その・・」
上手く声が出なくて上擦ってしまう。
「ミランダ、怒っていないか?ずっと・・騙していた事になるから」
「怒るなんて・・わ、私こそ嘘ついていたんですから」
否定するように首を振った。
マリはホッとしたように頬を緩ませると、少し気まずそうに頭を掻いて。
「では・・また明日も、迎えに来てもいいかな?」
その言葉にミランダの顔は湯気が出そうに熱くなった。
「・・は、はいっ」
頷きながらマリを見ると、彼はとても嬉しそうに微笑んでいる。そんな様子にミランダはときめきながら、つられるように微笑んだ。
「・・・・・」
ふと、マリの大きな手がゆっくり近づいて、親指が頬に触れる。
「!」
涙の跡を辿るように指がなぞると、マリは僅かに眉間に皺を寄せながら、
「ミランダに・・泣かれるのは、辛いな」
ぽつり、独り言のように呟いた。
触れられた場所が熱く、痺れるような感触を遺す。
「では・・後でまた迎えに来るよ」
囁くように優しく言うと、マリは指を離した。
「え・・・?」
ぼんやりと聞き直すと、
「裏の森の湖に、レンゲが沢山咲いたらしい。ミランダに見せてやりたいんだ」
わたしの代わりに、と穏やかに言って。
軽く手を上げ、ゆっくりと扉から離れると優しい微笑を向けたまま、歩いて行った。
(・・・・)
そんな様子を見ながら、ミランダはフラフラと頭に血が上ったのか、足に力が入らなくて再び床に座り込んでしまうのだった。
「結局・・あの二人、付き合ってなかったんじゃないですかぁ?」
アレンが口を尖らしながら呟いた。
「ほんとよね、単にラビの暇つぶしにのせられただけじゃない」
同じように不満げなリナリーが、煎れたてのお茶をすする。
リンクはもうこの話題に興味は無いらしく、再び持参した本を読んでいる。アレンは熱いお茶に口をつけながらみたらしをひと串持ち、ちらっとラビに目をやった。
「・・・・・・」
ラビは椅子の上で体育座りしながら、両膝に顔を埋めながら何やらブツブツ呟いている。
「ラビ、いつまでそうしているんですか?」
肩を竦めながら、ヤレヤレと言った感じに言うと。
「いいんだ・・オレはどうせ間違いだらけの負け犬なんさ」
弱々しい声がした。
「もうっ、ラビったらどうしたの?」
「そうですよ、さっきマリにいったい何て言われたんですか?」
「・・・・・」
マリは食堂から出ていく前に、ラビ一人だけに何かを言って出て行った。
食堂の隅まで連れていかれ、ものの5分程ではあったがラビには致命傷に近い事を言われたらしく、あれからラビは椅子の上で体育座りを続けている。
「・・・・・」
ラビはアレンをじっと見て、指でちょいちょいと招き寄せる。
「?なんですか」
怪訝な顔で近づいてそのまま耳を寄せると、ラビが耳元でゴニョゴニョと囁いた。
「・・・・・・」
「・・・・で・・さ」
「・・・・・」
「・・な・・」
アレンの顔がみるみる赤くなっていくのを見て、リナリーとリンクが訝しげに見る。
「・・そ・・」
アレンが口元を手で押さえながらラビを見た。
ラビは小さく頷いて、な?と哀しげに笑うと、再び膝に顔を埋めてどんよりとした空気を体に纏う。
「え?な、なに?」
「なんですか・・キミ達は」
「・・・・・」
アレンは赤い顔でチラとリンクを見て。
「・・リンク、いいですか?」
「は?」
リンクの耳元でゴニョゴニョと、聞いた事を伝える。
「・・・・・」
「・・な・・・です」
「!」
リンクの手からバサリと本が落ち、目を見開いてアレンを見る。
リナリーは一人、眉間に皺を寄せながら、
「ち、ちょっと!何なのよっ」
私にも教えてよ!と口を尖らせた。アレンが赤い顔で咳ばらいをしながら、
「リ・・リナリーには教えれません!」
「ええっ?どうしてよっ」
「駄目です!絶対に・・教えられませんっ」
「・・えええっ」
アレンの剣幕に圧されて、リナリーはそのまま頬を膨らませながら三人を睨んだ。
「・・・もう、いいわよっ」
ぷいとそっぽを向いたままお茶をくいと飲み干し、アレンのみたらしを無断で一串取り上げる。
「・・・・・」
「・・・・・」
「・・・・」
三人の男達は、なんとなく俯いてしまう。
実はこちらの会話がマリに全部丸聞こえであった事実と、避妊云々で失敗しないであろう、意外にそっちの経験値が高かった彼のギャップ。
尚且つ三人(言われたのはラビのみだが)の避妊知識の甘さまでさりげに追及され、人は見かけによらないと驚きながら、自分達が経験値ゼロな事も見破られてるらしく。
(・・いつオレが童貞だって知ったんさ?)
(というか・・マリ、なんでそんなに詳しいんだろ・・)
(コーラで洗うのは・・間違いだったのか)
三人はなんとなくマリという男の奥深さを知り、つい無言になってしまうのだった。
この午後。
ラビは森へと出かけるマリとミランダを見かけるのだが、もう身の程知らずな心配をする事なく、暖かな眼差しのまま二人を見守っていたという。
End
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