D.gray-man U


sweet,time,sweet


甘い匂いが漂う厨房で、オーブンの中を見たミランダはうっとり目を細めた。
スポンジケーキがみるみる膨らんでいくのを、まるで子供みたいに楽しんでいる。傍にいるリンクにはこの上なく好ましい光景だ。

「あっ、すみませんハワードさん」
「・・い、いいえ。スポンジは膨らんでますか?」
「はい、やっぱりハワードさんに教えてもらったおかげですねえ。こんなに膨らんでるのは初めて見ました」
「そろそろ焼き上がりますから、ケーキクーラーを出しておきましょう」

オーブンの時間を確認し、ニッコリ笑うミランダを眩しく見ながら、リンクは棚からケーキクーラーを取り出した。ドキドキと胸の鼓動がおさまらない。
調理用具を片付け始めるミランダを、そっと盗み見る。二人きりのこの時間が嬉しかった。


クリスマスとアレンの誕生日が同じと聞いたミランダに、ケーキの作り方を教えて欲しいとリンクはお願いされた。
どうやら自分でも作ってみたらしいが、あまりにも出来栄えが良くなかったようで、菓子づくりが趣味の自分に白羽の矢が立ったらしい。

ひそかに想いを寄せる相手と、趣味の時間を過ごせるのは至福と言ってもいいだろう。
白いエプロンが眩しい。三角巾からこぼれ落ちるくるくるした巻き毛は、柔らかそうで。目が合って微笑み返されると、それだけで昇天しそうになった。

チーン、と焼き上がりの知らせを耳にして、リンクはオーブンを開け熱々のケーキを取り出すと、突然手を放し台の上にゴトンと落とす。

「これは、空気を抜く為です。最後にこれをしないと、中央が凹んでしまいます」
「そ、そうなんですか?」
「では、クーラーに乗せましょう。やってみますか?」
「あ、はいっ。やりたいです」

ミランダは決意を込めたように頷くと、リンクからミトンを受け取りまだ熱いケーキを持ち上げる。
くるりとひっくり返しクーラーに乗せるだけだが、緊張感が伝わる。ミランダの眼差しに真剣さが加わり、生唾を飲み込む音が聞こえた。

「その、ミスミランダ・・もし宜しければ、代わりましょうか」
「い、いいえ、がっ頑張ります」

まだ焼きたてのケーキは柔い。間違って落としたりすれば、一からやり直しである。
リンクはとくに難しいと考えずにミランダに「やってみますか」と聞いたのだが、当人には意外と高いハードルだったようだ。

「いっ・・いきますっ」

ケーキを持つ両手が微かに震えている、かなり力が加わっているようだ。
まずい、このままでは失敗する。こんなガチガチなら手首のスナップがきかない。せっかくのケーキが、床に落ちる。ほぼ間違いなく。

どうするか一瞬迷った後、リンクは思わずミランダの背後から彼女の両手を支えていた。

「・・ハ、ハワードさん?」

リンクに不埒な思いはない。ただ純粋にケーキをダメにしたくないという気持ちからだ。
もし失敗したら、ミランダはひどく落ち込むだろう。そうさせたくなかった、彼女が悲しむ顔は見たくなかった。

しかし、リンクの鼻先にミランダの耳があたりそうになった時、今とんでもない事が自分の身に起きているのに気づく。

(こっ・・これはっ!?)

まるで背後から抱きしめるように、ミランダの背中が胸にあたっている。
ミトンの上からとはいえ、こんな大胆に彼女の手に自分のを重ねているなんて・・!

全身の血液が沸騰するように熱くなり、ミトンに重なる手も真っ赤だ。ふわんとミランダの髪から甘い香りがして、鼻孔をくすぐると共に鼻の奥がジンジンとする。
まずいまずい、なんと不届き事をしているのだ。深く考えずにこんな行動をとるとは、どうかしている。けしからん、実にけしからん。

しかし放さなければ、と思いながらも体が思うように動かない。リンクの意思を無視するように、手はミランダのミトンから放れない。

「こっ・・あのっ・・ち、違っ」

何か言わなければと焦っていると、ミランダが何を思ったのか突然振り返った。
目を大きく見開き、驚いているのか戸惑っているのか、眉を八の字にしてリンクを見つめている。

「ハ、ハワードさん・・」

その潤んだ瞳に、確かに自分の存在を確認すると胸の鼓動がさらに早まる。自身の心臓の音が耳に響いた。

「ミス・ミランダ・・わ、わたしは・・」

顔が近い、彼女の睫毛がこんなにも長く綺麗だと初めて知った。潤んだその瞳からなぜか涙が一滴落ちて、リンクは戸惑いながらも見とれてしまう。


「・・・・・・あ、熱いです」


「へ?」
「あの、手が・・その、す、すいません・・手が・・」

熱い?手が?

はた、と気づく。自分ががっちりとミランダの手を押さえているのを。
ミトンを使用しているとはいえかなり熱い筈、これではちょっとした拷問である。

「こっ、これはっ・・!し、失礼しまっ・・!?」
「あっ!きゃあっ!」

動揺したリンクが急に手を放したので、二人の手からケーキが勢いよく落ちる。
ガコーン!という音と共にケーキは床に落ちる。型からスポンジが飛び出して、見るも無惨な状態へと変化していた。

「・・・・・」
「・・・・・」

沈黙が流れたが、リンクがすぐにそれを破る。

「・・・・も、申し訳ありません。わたしが余計な真似をしたせいで」
「い、いいえ。私が出来もしないのに無理したせいです・・すみません、せっかくハワードさんが教えてくれたのに・・」

ほかほかと湯気の立つ床の上のケーキを囲むように、二人はしゃがみ込みうなだれた。
ふと、ミランダの手にはまっているミトンに目がいくと、リンクは自己嫌悪に陥る。

「・・手は大丈夫ですか?」
「え?」

ミランダはミトンを取ると、火傷はしていないが薄く赤みがかっている。申し訳なさもひとしおだ。

「だ、大丈夫です。私の手なんて・・それよりケーキが・・ああこんなに美味しそうなのに、勿体ないわ」
「ケーキくらい、わたしがいつでも作って差し上げます、それよりあなたの手が・・」

「でも、せっかくハワードさんが・・・・」

「・・・・・」
「・・・・」

ふと、お互い顔を見合わす。なんとなく頬が染まった。
最初に笑みが零れたのはミランダの方、続いてつられるリンクの口元も緩む。このままでは堂々巡りになりそうで。

コホン、と咳ばらいをしてミランダを見る。

「あの・・まだクリスマスには時間がありますから、あなたが満足するまでお付き合いします」

赤くなった頬を隠すように、リンクは俯いてケーキを片付ける。

「ありがとう・・ハワードさん」
「い・・いえ、こちらこそ。ではさっそく卵を用意してくれますか?」
「はいっ」

返事をしてミランダが冷蔵庫へと向かう。その姿をそっと視線だけで見ながら、床に落ちたケーキを素早く片付けた。
リンクは俯いたままだったが、その耳はケーキにのる苺のように真っ赤だった。





End

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