D.gray-man U
2
「ち、長官・・・・っ?」
「どうかしたのかね、リンク監査官」
「い、いいえ」
ルベリエは訝しげにリンクを見て軽く首を捻るが、その手に持っていたケーキの箱を見ると、僅かにだが顔を緩ませる。
「やはり、間に合ったか」
「はい?あの・・長官?」
「いや、中央庁へ帰るのが少々早まりましてね。しかしあなたのことだ、また今年もケーキを作っているだろうと思い、一応様子を見に来たんですよ」
ルベリエは黒いコートを着て、手には革の鞄を持っている。帰るついでにわざわざ寄ってくれたのかと、ハッとしてルベリエを見た。
いつも一方的に渡しているだけなのに、忙しい長官がこうして自分の為に時間を割いてくれた・・・リンクの胸に感激と共に罪悪感が沸き起こる。
恥ずかしさに居た堪らない気持ちで、下唇を噛み締めた。
「申し訳・・ありませんでした」
「?・・なんのことかね」
ケーキの箱を持つ指に力が入り、脳裏にちらつくミランダに心の中で詫びる。
やはりダメだ、ダメなのだ。自分はどうあっても長官を裏切るなど出来ない、例え恋しい人の為であったとしても。
「お・・お誕生日、おめでとうございますっ・・・」
「リンク?まさか・・」
「・・・いいの?」
差し出す箱を持つ、その指が微かに震えていたのに気づいたのは、アレンとリナリーだけだった。
「ありがとう、では見せてもらいますよ?」
受けとってすぐ箱を開けるルベリエの顔は、まるで教師が生徒の宿題をみるように、真剣な顔である。
苺のピンクとクリームの白、ハートマークと薔薇の飾りを見ると、ルベリエは一瞬戸惑うような表情をみせたが、ふむ、と頷いて。
「今回は・・珍しいコンセプトのようですね・・・力の入れ込みが伝わってくる」
「・・・・は、はい」
「飾りのディテールも素晴らしい、また腕を上げたようだ。とくにこの薔薇に囲まれた猫が実に可愛らしい」
「・・・・・・」
その猫はミランダのつもりで作ったのだ。
薔薇飾りの中で眠るチョコレート色の猫、その周りでダンスする動物たち。リンクの自信作である。
出来れば見せたかった、これを見せた時に彼女がどんな顔をするのか・・それだけが後悔だった。
「リンク監査官、一つ減点があります」
「!?・・な、なんでしょうか」
「名前が、違います」
(あ)
リンクはプレートに書いた『M,〇,L』という文字を思い出し、顔がジワジワと赤くなるのを感じる。
まるで奇妙な暗号である、どうして無難な『HAPPY BIRTHDAY』とかにしなかったのかと、自分自身を強く責め立てたい。
「それは・・あの・・」
「わたしの名前は『M,C,L』ですよ?」
「・・・・・・は?」
「マルコム(M)・C・ルベリエ(L)は『M,C,L』でしょう?『C』が『O』になってますよ」
軽く咎めるように言うが、ルベリエ自身それほど気していないようだ。
『C』という文字を書くときに勢い余って『O』になったくらいに、想像しているらしい。
「もっ、申し訳ありませんっ」
深々と頭を下げて、助かった・・と目をつむる。気づかれぬように小さく息を吐いた。
ケーキが箱にしまわれる音がして、リンクは頭を上げる。ルベリエは刺すような目つきで背後にいるアレンを見ると、
「・・リンク監査官、引き続き任務にあたって下さい。報告は欠かさぬように」
「は、かしこまりました」
「では、戻ります」
お気を付けて、とリンクは再び深く一礼しルベリエの足音を耳にした。
カツ、カツ、と一歩また一歩と遠退くのが聞こえると、安堵とともに喪失感が芽生える。
これでよかったと、心から思ってはいるが・・どうしてか、立っている足に力が入らなかった。
「リンク・・」
やや丸みを帯びた疲れた背中のリンクの肩に、アレンが手を置く。
「あの、何と言っていいか・・大丈夫ですか?」
「別に、元よりこうする予定でしたから・・どうという事は」
そう言いつつも、声に力がない。アレンとリナリーは顔を見合わせ頷き合うと、
「えっと・・ほら、ケーキが無くてもおめでとうは言えるじゃない。行きましょうよ、ね?」
「そ、そうですよ、リンクが1番にお祝いを言ってあげれば、ミランダさんは喜んでくれますって」
「・・・・そう、だろうか」
「そうよ!ほら、リンクにはまだその花が残っているじゃない」
たしかに、スノードロップはまだリンクの手の中にあった。しかしこんな小さな花で、一輪だけだ。みすぼらしくないだろうか。
俯いて、その白い雫の形をした花を見る。リンクの故郷ドイツでは、雪に色を分け与えたと伝えられる花。
その花言葉は『希望』であった。
「・・・希望か」
リンクの丸まった背中がいつものようにシャンとし始めるのを、アレンとリナリーはホッとした心持ちで見る。
いつもミランダの件ではからかったり面白がったりする二人だが、流石に今回は同情してしまう。もちろん焚きつけた責任もあるが。
「ほらリンク、行きましょう!ミランダさんの初めての男になるためにっ」
「そっ、その言い方はやめろ!」
赤らめた顔でキッとアレンを睨みつけ、照れ隠しのようにオホンと咳ばらいをする。
「では・・・行ってみましょうか」
「そうよ、せっかくだもん」
「さっ、そうと決まれば急ぎますよ、お茶の時間が過ぎちゃいますからね」
「・・・君たち」
珍しく元気づけてくれるアレンとリナリーに不覚にも胸が熱くなり、へこたれた気持ちがムクムクとプラスへ転じて行くのが、自分でも分かった。
そうだ、早く彼女に誕生祝いの言葉を告げるのだ。きっと忘れられていると思っているだろう、彼女の為に。
遅くなって申し訳ないと、詫びとともに告げた瞬間の驚きと喜びの表情は、間違いなく自分のものだ。
(まだ、希望はある)
スノードロップが微かに揺れる、まるで自分を応援してくれているように・・・。
「お、三人してどこ行くんさ?」
気楽な声が聞こえ、振り返るとラビがジュース片手に近づいて来るのが見え、リナリーは久々の仲間に笑顔で応えた。
「あらラビ」
「お、リナリー久しぶりじゃん。お帰り!どうだったオーストラリアは」
「ラビ、たしか科学班でイノセンスのメンテナンスじゃなかったんですか?」
「あー、終わったよ。えらい時間かかってさぁ・・正直ちょい疲れたわ」
コキ、と首を回し苦笑いしながら持っているジュースを一口飲む。ふと、思い出したように目を見開くと。
「ん、そういや科学班にミランダもいたな」
「えっ!」
「ホントですかっ?」
「え?なにその食いつきっぷり」
怪訝な顔をするラビの前に、眉間にシワを寄せたまま問い詰めるようにリンクが立つ。
「ちなみにミス・ミランダはまだ科学班に?」
「え?ああ、まだいるんじゃねぇの・・ってなに、ミランダになんかあんさ?」
「・・・別に、なんでもありません」
興味が沸いたらしくワクワクしたラビの様子に、リンクは花を後ろに隠し、ツンと顔を背けた。
「ところで、そのミランダなんだけど」
「・・?」
「1月1日が誕生日だったらしいぜ、リンク知ってた?」
咄嗟に目を見開き、信じられないものを見るようにラビを見る。
「は・・」
「いやー科学班のファイル見て気づいてさ、こりゃヤベェって」
「・・・・・・ラビ?」
「まさか」
嫌な予感に三人の顔は強張り動きが止まる。
そんな三人の様子に気づかないラビはジュースを飲み、なんてことない口ぶりで。
「だから急いで『おめでとう』って、そしたらミランダってばえらいビックリし」
「セイヤアアアッ!!」
ラビが話を言い終わるより早く、風切り音とともにリナリーの一本背負いが見事に決まった。ドスーン!とラビの背中は床に強く打ち付けられ地面が揺れる。
飲んでいたジュースがカコンと頭に落ち、咄嗟のことにポカンとして目をぱちぱちと瞬いた。
「・・へ?」
「信じらんないわっ、ラビがそんな人だとは思わなかった!」
「ひどいです、もうラビにはガッカリですよ」
「えっ?えええっ・・?」
「空気読めってんですよっ!」
「ほんとよ!」
罵倒されても何のことかサッパリ分からないラビは、床に倒れたまま説明を求めるようリンクを見たが、そのリンクも何か強い衝撃を受けたのか、崩れ落ち床に四つん這いになっていた。
「あの、リンク・・げ、元気出して下さい」
「ええと・・ラビのは、ほら悪い犬に噛まれたみたいな?・・あら、例えが違うわよね」
「・・・・・・」
がっくりとうなだれたリンクに、もはや何と言えばいいか分からず、アレンとリナリーは顔を見合わせる。
どうフォローすればいいかも思い付かない、今回はさすがに色々と間が悪い・・悪すぎた。
「別に初めてにこだわらなくても・・ミランダさんにおめでとうは言えるじゃないですか」
「そうよ、そもそも十分遅れてるんだから。ラビの一人や二人・・ねっ?」
焚きつけた二人が言うのも説得力がない。アレンとリナリーはなんだか気まずくて、そのまま黙り込む。
今回、リンクにとって千載一遇のチャンスだった。いつもライバル(マリ)に先手を取られ悔しい思いをしていた彼が、初めて優位に立てるはずだった。
(こんな・・状態で、彼女に会うことは出来ない)
どっと体に疲れが生じる、これは精神的な疲れだろう。上りと下りのスピードについて行けなくなっただけだ。
とりあえず今日は出直そう。今は力が出ないが・・・後日にあらためて彼女に誕生日の祝いを告げればいい。
目を閉じ、握っていた白い花から顔を背けた。
壁に手をつき、ヨロリとリンクは立ち上がる。ふと、視界に見覚えのある人物が近づいて来たのが分かり、怪訝な顔でそれを見た。
(・・あれは)
ゆっくり視界の焦点が合ってきて、チョコレート色の髪とミルクみたいな白い肌を見ると、リンクの心臓は跳びはねる。
「みんな、どうかしたの?」
その人は、ミランダだった。
ただならぬ様子に不思議そうに辺りを見回し、リナリーがいるのに目を止めると、顔を輝かせながら近づいていく。
「リナリーちゃんっ・・お帰りなさい。無事でよかったわ」
「ただいまミランダ、会いたかったわ」
私もよ、とミランダはリナリーと手を取り合う。それからアレンやラビに目を移し、最後にリンクに目を止めると何かに気づいたように目を見開いた。
「まあ、ハワードさん」
「は、はい?」
「それは、どこで?」
「・・・それ?」
食い入るような視線を手元に感じる、ミランダはリンクが持っていた白い花を見ていた。
「この、花ですか?」
「ええ、スノードロップ・・懐かしいわ。この花、大好きなんです・・小さくて可愛くて」
「あ、あの、ミス・ミランダ・・」
目を細めて花を見つめるミランダに、リンクの胸は早鐘のように鳴り響く。
背中をドンと押され、振り返ると「今ですよ」とアレンに小声で囁かれたので、気恥ずかしさに軽く睨んだ。
「こ、これは・・」
緊張から声が上擦ってしまい咳ばらいでごまかす、ピンクのリボンがついたその花を、リンクはおずおずと差し出して。
「スノードロップは・・・あなたの誕生花です」
「え?」
「おっ・・・お誕生日、おめでとうございますっ・・!」
湯気が出そうなくらい、顔が熱かった。
「誕生日?」
「あっ、す、すいません、遅ればせながら・・ではありますが」
「・・ハワードさん」
ミランダは差し出された一輪の花をそっと受け取ると、香りをかぐように鼻を近づける。
淹れたての紅茶が醸す湯気のような柔らかな微笑みが、眩しい。
この笑顔を見れただけで、もう全てが報われた気がした。
「ありがとうございます、私・・誰かに花なんて貰ったの、初めてで・・」
「初めてですか?」
「ええ、しかも大好きなこの花を貰えるなんて、とっても嬉しいです」
「・・・初めて・・・」
ほわほわんと胸が甘くとろけるような感覚に、軽い眩暈を覚えた。
リンクは心の中でグッとガッツポーズを作る、彼女に花を送った『初めての男』は自分なのだと。
誕生日の祝いは毎年あるが、ミランダの人生で『初めて』花を贈ったのは自分なのである。
「・・もし宜しければ、このスノードロップが咲いている花壇までご案内しましょうか?」
「まあ、いいんですか?」
「もちろんです、枯れ草に隠れるように咲いていて、ちょっと見つけづらいですから」
自信に満ちた笑みを浮かべるリンクに、アレンとリナリーは複雑な顔をする。さっきの落ち込みが嘘のようだ。
この変化は素直にすごいと感心するが、二人とも今回はそれを憐れみを含んだ目で見ていた。というのも、ミランダが見覚えのない髪飾りをしていたから。
白く繊細な作りの髪留めは、どう見ても新品で。デザインはフランス風の物であった。
「・・・・・」
「・・・・・・」
多分、いや間違いなく・・昨日までフランスにいたマリからのプレゼントだろう。
口には出さないが、アレンとリナリーはお互いそれを感じているのに気づき、目を合わせて頷き合った。
(いつ・・リンクがそれに気づくか)
気づかないはずはない。おそらくミランダの後ろ姿を見た時が・・・あの笑顔が、崩れる瞬間だ。
出来れば気づかずにいて欲しい。落ち込むリンクを慰めるのは、また自分たちのような気がするから。
(正直、メンドクサイ・・・)
そして、もう一人。
床に叩きつけられ『空気読め』と叱られたラビも、リンクが誕生祝いに渡した白い花を見て、なんとも言えない顔をしていた。
言うべきか言わざるべきか・・・。
スノードロップはイギリスでは親しまれている花だが、反面贈ってはいけない花といわれている。異性には・・とくにいけないらしい。
「・・・・・・」
当の本人達は全く気づいていない。そういえば二人ともドイツ人だった、なら仕方がない。ドイツではそんな言い伝えはないのだから。
わざわざ言うことではない、リンクとミランダが嬉しそうならそれでいいじゃないか。ここはやはり空気を読んで口を閉ざすべきだ。
ラビはそう決めて、まだ痛む背中を摩ったのだった。
End
- 45 -
[*前] | [次#]
戻る