D.gray-man U





あれは、たしか3年位前。


旧本部の、誰も使わない空き部屋みたいな第六会議室。なぜか会議室なのに、大きなソファーがあって、そこはリナリーのお気に入りの場所だった。

あの日。

ソファーに横になりながら本を読んでいたら、知らずに眠ってしまって、目が覚めた時は窓から射した夕日で、部屋がオレンジ色に染まっていた。

(・・・?)

声がする。

ソファーを背に、誰かが会話しているのが耳に入り、リナリーは寝ぼけた頭でそれをぼんやりと聞いていた。


『・・誰か、好きな人とかいるんですか?』
『いや、そういうんじゃない・・というか暇がないんだよ』
『・・暇、ですか・・』
『正直言えば、忙しくて色恋にまで時間がまわんないんだ・・』

(この声って)

リーバー班長だ。
話の流れとしては、どうやら誰かに告白されているらしい。

(どうしよう・・)

リナリーの存在を二人は全く気付いていないみたいだが、いま知られてもお互い気まずいだけだろう。
リナリーはソファーの上で気付かれないように身を固くしていた。

『あの・・お願いが、あるんです』
『お願い?』
『・・・キス、してくれませんか?』

(ええっ?)

なんで?とリナリーは声が出そうになった。
なんでいきなりそんな展開に?彼女はたった今、リーバーにフラれたばかりなのに。

『それは・・マズイだろ』
(そ、そうよマズイわよ)

『・・このまま諦めるなんて、できそうにないんです・・だから』

震える声は、子供のリナリーが聞いても切なくて。彼女がリーバーを本当に好きなのが、聞いていて分かる。

『・・諦めさせてください』

カタン、と何かが落ちる音がして。
布と布が擦れるような音に、彼女がリーバーに抱き着いたのを感じた。

リナリーは心臓が早鐘のように鳴り響き、ごくと生唾を飲み込む。

(するの?)

リーバー班長が、キスをするかもしれない。
自分の知らない誰かと。

(・・・イヤだ)

説明のつかない嫌な気持ちに、リナリーは手で耳を塞ぎ瞳をぎゅう、と閉じた。

ドキドキと心臓が痛いくらい鳴って、何かに耐えるように下唇を噛む。塞いだ手に知らず知らず力が入って、リナリーはそのまま時間が過ぎるのを待っていた。

いつまでそうしていたのか・・。

再びリナリーが目を開けると、さっきまで夕日が射していた室内は薄暗くなっていて、そこにはもう二人の姿は見当たらなかった。





(・・・・・・・・)

そんな昔の事を思い出しながら、リナリーは自室の扉を開ける。

(イヤな事、思い出しちゃった)

倒れるようにベッドへ転がり、枕を掴むと苛立ちを吐き出すように壁へ思いきり投げ付けた。
記憶の角に埋もれていたのに、さっきのリーバーの表情に引きずられるように思い出してしまった。

(あの後・・リーバー班長はキスしたのかしら)

3年以上前の事だから、いまさらだけれど。

(きっと・・したんだわ)

さっきの動揺したリーバーの瞳を思い出して、リナリーはシーツを握りしめる。
自分でもどうしたいのか、どうして欲しいのか分からなくて、なぜか泣きそうになった。

(やっぱり・・・好き、じゃないのよ)


好きじゃなくてもキスできるんだわ。
どこかで何かを期待していた自分に気付いて、リナリーは悔しいような情けないような複雑な気持ちになる。

『悪い、リナリー』

まるで自戒するような言い回しだった。

(なんで・・したの?)

キスなんて、そんなに簡単にするものじゃないでしょう?
リナリーは滲んでくる涙を堪えるようにギュッと瞼を固く閉じた。色んな気持ちが雑ざって、なんだかとても悲しかったから。

(リーバー班長の・・ばか)

兄のように思いながら、リナリーはリーバーを一人の男として憧れていた。
それはまだ恋とは呼べない未熟なものではあったけれど、いつか自分に恋人が出来るなら彼のような人がいいと、ぼんやりと考えていたりして。

(あの、彼女は・・・)

3年前にリーバーにキスをねだったあの人は、もっとステキなキスをされたのだろうか。

(夕日の中で・・人気のない会議室)

埃っぽい資料室よりはずっといい。

「資料室・・」
(思い出したら頭にくるわ)

リナリーはムクリとベッドから起き上がり、さっき投げ付けた枕を取りに行く。

(しかも、あんな何かのついでみたいに・・)

枕を握る手に力が入り、再び壁へ向けて振り上げた。

その時。

《コン、コン》とノックする音が聞こえて、

「リナリー、いるんだろ?」
「!」

手に持った枕が、ふわと床へ落ちていく。扉の向こうの声はリーバーだった。

「・・リナリー?」
「・・・・」
「開けてくれないか?話があるんだ」

(話?話って何よっ・・言い訳でもするつもりなの?)

「その・・ほんとに悪かったと思ってな」

(悪かったって・・やっぱり出来心みたいな、そんな気持ちだったわけ!?)

心の中で叫ぶものの、リナリーの口から声は出ない。鼓動は速くなり、全身に血液が回ったのかじわっと汗が出るくらい体が熱くなった。
扉に近づき、静かにノブを回してゆっくり開く。真剣なリーバーの表情が覗くと、リナリーはなぜか胸がトクンと甘く鳴るのを聞いた。

「・・どうぞ」

彼がリナリーの部屋に入るのは久しぶりである。子供の時分には数える程だが、来てくれたこともあった。
リーバーは少し躊躇いながらも部屋に足を踏み入れると、なんとなく所在なさ気に、ポケットに手を入れて背中を壁につける。

リナリーはどんな顔をすればいいかわからなくて、顔を背けるようにしてベッドに腰掛けた。

「リナリー・・ごめんな、ほんとに」
「・・・・」
「なんていうか、ほんと・・申し訳ない」
「・・・・・」

はあ、とため息をつきながら呟くリーバーの様子に、リナリーは動揺や緊張も忘れて苛立ち始める。

「謝るくらいなら、最初からしないでよ」

キッと睨み付けると、動揺しながらもリーバーは頷いた。

「・・・そうだな」
「そうよ、あんないきなりなんて卑怯よ。せめて断りを入れるもんでしょう?」
「・・断り?・・そ、そうだな」
「しかもあんな暗くて狭くて・・不意打ちみたいにされたら、よく分かんないわよ!」

足元に落ちていた枕を拾うと、リーバーへ向けて投げ付けた。

「私だって、それなりに夢を見てたのよっ・・まさかあんな資料室だなんて思わなかったわ!」

言いながら怒りのボルテージが上がって、言わなくてもいい事を口走っているのにリナリーは気付かない。

「それは・・すまなかった」
「謝ったってファーストキスは一回だけなの!最初で最後のファーストキスだったのっ!」

悔しそうにリーバーを睨む。

「本当ならもっとロマンチックな場所でやりたかったわよっ!」

(ん?)

何か今、スゴイ事口走らなかった?

「・・・・」

リーバーは腕を組んで考えながら、

「わかった、次からは気をつける」
「は?・・つ、次なんてあるわけないでしょ・・リ、リーバー班長ってそういう人なの?」

自分の失言に気付いて、リナリーの顔は熱くなった。リーバーはそんなリナリーを優しい瞳で見ながら、ふ、と笑って。

「いや、その、申し訳なかったよ。本当に」

ゆっくり近づくと、リナリーの隣に座った。

10センチあるかないかの間隔に、リナリーはひそかに緊張したが今はそれどころではない。

「リナリー・・」

ポン、と頭に手を置かれてくしゃ、と撫でられる。リーバーは言いづらそうに咳ばらいを一つして、片方の手で頭を掻いた。

「実は・・あれは無意識だったんだ」
「え?」

ポカンとして彼を見る。
リーバーはため息をつきながらも、なんとなくいつもより顔が赤く見えた。

「気付いたら・・してた、というか」
「はあ?な、何それっ」

顔が引き攣りながら、リーバーを睨む。

「いや、リナリーが急に大人っぽい・・というか遠くに行っちまう気がして」

リーバーは自嘲気味に笑いながら、リナリーを見た。

「ああ、これはヤバイな・・というかマズイな、と」
「・・?」
「リナリーが誰かに盗られる前に、欲しくなった・・んだな、うん」

リーバーは言いながら困ったように額に手をあてる。

「だからって、いきなりキスはまずかったよな・・悪かった、本当に」
「・・・・本当?」
「ああ。反省してる、すまなかった」
「そうじゃなくて・・」
「リナリー?」

リナリーは耳まで真っ赤にして、リーバーを見ていた。

「本当に・・その、私のこと」

言いづらそうに、少しだけ拗ねた口調で問うリナリーを、リーバーはとても優しい瞳で見て。

「好きだよ」

リナリーの手を握った。

「妹じゃなくて、一人の女性として」
「・・・リーバー班長」
「あ、いや返事は今しなくていいから」
「え?」
「兄貴みたいなのを急に男として見ろ、っても困るだろうし・・キスのペナルティもあるから」

気長に頑張ります、とため息をつきながら肩を竦めた。
その言い方はいつもの「リーバー班長」で、リナリーはなんだか安心したように笑う。
こんな風に気を使わせないように接してくれる、彼がリナリーは好きだった。

「ねぇ・・リーバー班長」
「ん?」
「私、リーバー班長のこと誤解しそうになっちゃった」

軽く口を尖らせて。

「誰にでも簡単に、その・・キス、とかしちゃう人なのかなって」
「あー・・だろうな、うん。普通思うよな」

顔を引き攣らせながら笑うと、

「でも、キスは好きな女とだけって一応決めてるから」

さらりと言った一言に、リナリーの頬は再び熱くなる。
好きな女、という言葉はリナリーに向けて言っていると思うと、なんだか嬉しくて胸がときめいた。

(私・・リーバー班長のこと、好きなのかな)

こんな風に近づいて、胸がドキドキする。手を握られて緊張してしまうのに、離されたくない。
少し垂れ目気味な優しい目元、きれいな鼻筋、笑うと大きく開く唇。

唇・・・。

(キス、したんだ。この唇と・・)

意識してしまうと、なんだか見れない。

(私・・)


(やっぱり、好きみたい)

だって、すごく嬉しいもん。
なんだかフワフワしていて、自然に口が笑っちゃうの。

「リーバー班長・・あのね・・」
「ん?」
「・・あ、ううん。なんでもない」

首を振って、言おうとした言葉を引っ込める。今、言ってしまったら・・・困るから。

(二回目のキスは、もっとロマンチックな場所がいいもの・・)



そう思いながら、頬を染めたのだった。








end

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