D.gray-man U
3
(ん?)
手に取ったその酒は、よく見覚えのあるラベルが貼られており、
間違いない、ソカロが置き忘れた愛飲のテキーラであった。
ソカロが愛してやまないテキーラ『クエルボ・エスペシャル』のラベルである。
「っ・・!?」
思わず持つ手が震える。まだ半分以上は残っていたはずだが、もはや数センチしか残っていない。
楽しみにしていたマイボトルをこんな状態にされて、怒りと悔しさにソカロは歯を食いしばった。
(こんの・・女ぁっ!)
基本、彼は女に手を挙げる事はない。
戦闘本能の中に女子供を殺すのは除外されているらしく、今まで殺意が芽生えた事もない。
もちろん、怒りの絶頂にあるこの状況でも、例外ではなかった。
男であれば八つ裂きにしているところだが、ミランダが女であるため、ソカロは自然とそれを我慢する。
しかしこの行き場のない怒りはどうすればいいのか、とりあえず、目の前でグウスカ寝ているこの女を起こし、何か言ってやらねば気が済まない。
手に持ったテキーラの瓶を、ミランダが寝ているテーブルにドン!と強く置く。
「おい、てめぇ起きやがれコラ」
腹の底から響く低い声で言うと、俯せたままのミランダの肩がピクリと反応した。
「・・・・・・」
もぞもぞと体を動かし、ミランダはまだ酔っ払っているらしく、ぐらついた頭をソカロに向ける。
怒鳴り付けてやろうと待ち構えていたソカロだったが、その顔を見て驚き声が出なかった。
瞼を真っ赤に腫らし、乾いてかぴかぴになった涙と鼻水の跡に、飲み過ぎで浮腫まくった顔。
昼間の様子とは打って変わり妖怪じみた雰囲気に、ソカロは顔を引き攣らせる。
「な・・おま・・?」
「・・・・・・ソカロ元帥ですか」
ポツ、と呟いてミランダはため息をついた。
その言い方は、ソカロでがっかりした、という感じである。
「ああん?おい、このクソ女寝ぼけてんじゃねぇぞ」
「寝ぼけるもなにも・・どうせ夢なんですから、きっと」
「あ?」
何を言っているのか意味が分からない。
まだ酔っ払っているらしく、この状況が夢の中だと思っているのだろうか。
「ゆ、夢だぁ?」
胡散臭い物を見るように、ミランダを見る。
「全部夢だったんです、みんなに会えたのも・・マ、マリさんに会えたのも・・うっ、ぐすっ」
涙がぶわりと溢れ鼻水を垂らしながら、ミランダはうわああん、と泣き出した。
そして素早い動きでテーブルの上にあったテキーラをガシッと掴むと、ソカロの手からそれを奪いラッパ飲みを始める。
「!?」
あっ、と思う間もなく空になっていくテキーラを見ながら、ソカロは何も出来なかった。
ミランダは空になった瓶を叩きつけるようにテーブルに置き、プハーと酒臭い息を吐くと。
「・・・・・おいしくない」
「あん!?待てやコラァ!」
愛するテキーラを奪われた上に、さらに暴言まで吐かれソカロは我慢ならんとテーブルを殴る。
ベキッ!と音がして、ミランダのすぐ目の前に拳大の穴が空いた。
「・・・・まぁ、ソカロ元帥・・こんばんは」
「こんばんはじゃねぇんだよ、この馬鹿女・・」
「ソカロ元帥がいらっしゃるなら・・このままマリさんも来てくれるかしら」
「オイ、おめぇ聞いてねぇだろ?」
酔っ払っているミランダは、今の状況が夢の中の出来事だと思っているらしく、ウフフと嬉しそうに笑う。
そんな彼女の様子に怒りを通り越し呆れるソカロは、このままここにいるのを諦め自室に戻ろうと決めた。
(・・話はシラフに戻ってからだ)
寝酒を諦めたソカロは、舌打ちしながら扉へと向かって歩き出そうとした。
(?)
歩けない。
「・・・・・オイ」
ミランダの両手がソカロのシャツをガッチリ握りしめている。
「あの・・聞きたい事があります」
「あん?」
「元帥の身長は・・何センチですか?」
「はぁ?」
ここまでして何で身長なのか、この酔っ払いが、と苛立つ。
ソカロは掴まれているシャツを強引に引っ張ろうとしたが、ミランダの指が微かに震えているのに気づきそれを止めた。
まるで縋るような瞳でソカロを見る彼女は、昼間の気弱な女でも酔っ払い女でもない。
どこか違う誰かを見るような気持ちで、ミランダを見た。
「なんだぁ?・・おめぇ」
「・・・元帥は、マリさんよりも大きいですか?」
「マリ、だぁ?」
ソカロはあまりに必死な様子に面食らい、考えるように首を捻った。
「オレの方がちぃとばかしデケェたぁ思うがな・・って、だから何だよ」
「元帥の体って、マリさんみたいです」
うっとりとした瞳を向けられて、ソカロはたじろぐ。ああそうだ、この視線だ。昼間感じた纏わり付くような甘ったるい視線。
(・・・・・)
居心地の悪い苦手な空気に、仮面の下で顔を引き攣らせたソカロは、とりあえずこの場から逃げようとミランダが掴んでいるシャツをグイッと引く。
「きゃっ」
すると、よほどガッチリ握りしめていたのかミランダごとソカロの背中にぶつかり、咄嗟に何かにつかまろうとしたのか、まるでミランダがソカロの背中に抱き着くような体勢になった。
「・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・オイ」
そのままピクリとも動かないミランダを怪訝に思い、ソカロは背後を窺うと、彼女はソカロの背中に顔を埋めながら、
「・・違う」
「?」
「匂いが・・マリさんじゃない」
心底がっかりしたように言うと、深く深くため息をついた。
(こ、この女・・)
なんて失礼な奴だと、ムッとしながら振り返る。
「いい加減放れろや、邪魔くせぇ」
「うぅっ・・うっ、ぐすっ、マリさぁん」
「・・・・」
そのまま泣き出したミランダのせいで、背中がジワジワと濡れていくのを感じた。
酔っ払っているからだろうが、子供のように声を上げて泣く様子に、ソカロは諦めたようにため息をつく。
ギュッと強く抱き着き、おそらくマリと混同しているのか、うわごとのようにマリの名を呼んでいる。
(マリ、ねぇ?)
あの真面目くさった顔を思い出す。
(ずいぶん懐かれてることで)
まるで親とはぐれた幼子のように泣きじゃくるミランダは、よほどマリが恋しいらしい。
いったいあのマリの、どこにそんな惚れる要素があるのだろうか。
(・・わからん)
首を捻りつつ再びため息を漏らすと、ミランダの泣き声がぴたりと止んでいるのに気づいた。
「・・・離れていたら」
ぽつ、と小さな声で呟いて。
「離れていたら、忘れたりしない・・?」
独り言なのか、けれどソカロに問いかけるようにも聞こえる。囁いて、ミランダは抱き着く腕の力を強めた。
会えないと、忘れられそうで怖い・・と。
ミランダから切なくもれた言葉が、ソカロの耳に届いた。
「・・・・」
何となく、嫌な気持ちになる。
自分が余計な事をしてしまうような、らしくない行動に出てしまうような。
嫌な予感だ。
(ったく・・よぉ)
ソカロは迷いながら、腹にまわるミランダの手を躊躇いがちに握った。
「まぁ、そのなんだ・・あれだ、ほら・・大丈夫なんじゃねぇか?」
「・・・・」
「あの野郎も、おめぇに会えなくて同じように思ってんだろうさ、多分な」
何を言ってんだオレは、と気色の悪いむず痒いような感覚になる。
「・・・・・」
「・・・オイ?」
「グゥ」
(!?)
ミランダは既に夢の中に旅立った後であった。ソカロの背に頬を預けたまま、口を開けて寝ている。
(こっ、この女は・・)
ここ数年使った事のない気遣いをしたせいか、怒りよりも先にどっと疲れた。
「・・アホくせぇ」
はあ、と大きくため息をつき背中に寄り掛かるミランダをもう一度見た。だらしなく口を開けヨダレを垂らす顔は、なんともみっともない。
(・・・・・)
けれど、その安心しきった姿にソカロはやれやれと力が抜ける。
奇妙な感覚だった、他人の犬に懐かれているような、それとよく似ていて。
(・・あまり賢そうな犬じゃねぇがな)
部屋中に散らばる酒瓶を見ながら、ソカロは眉間に皺を寄せた。
◇◆◇◆◇
「マ、リ・・さん?」
ミランダは、何かを掴むように手を伸ばす。
けれどまだ意識が判然としないのか、伸ばされた手はソカロの服を引っ掻くに終わった。
コツン、コツ、と足音が廊下に響く中。
酔っ払ったミランダを肩に担ぎ、ソカロは向かう先も決まらず歩いている。
部屋に送ろうにも、ミランダの部屋を知る筈もない。
(なんでオレがここまでやんなきゃなんねぇんだ?)
納得いかない気分のまま、ソカロはとりあえず医療班でも行こうかと考える。
深夜というより早朝と言ってもいい時間帯、いったい自分は何をやっているのか。
(マリの野郎が帰ったら・・)
覚えてやがれ、と胸の中で呟く。
肩に担いだミランダの手が、何かを探すように動き、
「うぅ・・ん、マリさぁん・・?」
「ああったく!めんどくせぇなぁ」
苛立ち声を荒げながら、肩に担いだミランダを降ろしその腕に抱く。
それは世に言う『お姫様抱っこ』であり、ソカロは一応周囲を見回して、誰もいない事を確認すると歩き出した。
ミランダはいつもマリにされているようで、さっきとは違った落ち着いた様子で眠っている。
「・・チッ」
(何やってんだ・・オレは)
アルコールに浮腫んだ、赤い顔の眠り姫を見ながらソカロはため息をつくのだった。
End
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