D.gray-man U







夢なのか現実なのか。


定まらない意識の中、ミランダは足が地面についていないのを感じた。
ふわふわとした感覚。何か大きな物に乗って移動しているのだと、遠い意識で思う。

雲にのっている夢を見ているのかしら。

けれど雲にしては、感触が硬い。
おまけに頭が下を向いているのか、ぐらぐらと血液が集まっていく。少し痛い。

(・・私・・)

まわらない頭は、うまく思考もできず。
ミランダはこの不思議な感覚に身を任せると、再び意識を手放そうとした。

ふと、遠くに聞こえる誰かの足音と、頬に感じていた感触にミランダは既視感を覚えて。

硬い筋肉の感触と、大きな体は愛する恋人のものでは・・?

(帰ってきたの・・?)

任務に出てから既に一月以上経つ、ミランダの恋人。

(やっぱり・・夢?)

彼が帰ってきた夢を見ているのか、そんな幸せな夢を見ているのか。目を覚まさなければ、そして現実か確認しよう。

ミランダは微かに身じろいだが、飲み過ぎた体は言うことを聞かない。

ぐったりとして、既に意識は半分夢の中だから。ミランダは何とか指先を動かすと、彼の服らしいシャツを引っ掻いた。



「・・マ、リ・・さん?」








◇◆◇◆◇





マリが任務に行って早一ヶ月。

当初はそれ程長引くような任務ではなかったのだが、続けざまに新しい任務が入り、結局マリはまだまだ帰れそうになかった。

会いたい気持ちは、日常の些細な事にも影響していくもので。

例えば、二人で食べたデザートのバニラアイスや、一緒に過ごした談話室の長椅子。中庭の百日紅の木にまで、マリの面影を求めてしまう。
本当は仲間の誰かに寂しさを打ち明け、慰めてもらうのが一番なのだろうが、ミランダはそれが出来ない。
恥ずかしさもあるが、任務に出ているのが寂しいなんて、同じエクソシストが言う言葉ではない気がするから。



(!?)

食堂ですれ違った大きな影に、ミランダの心臓は一瞬止まった。
マリのような大きな体を持つ人は、教団にはいないと思っていたが、もう一人いたのだと初めて気づく。

(ソカロ・・元帥)

ソカロはその独特なオーラと元帥の称号から、教団中から恐れられる存在だ。元死刑囚で、過去には婦女暴行や略奪や殺人など、殆どの悪事に手を染めているらしい・・と、噂である。
初めてその噂を聞いたミランダは、恐怖から震え上がり暫くはソカロの顔すら見れなかった。
いまだに一度も口を利いた事はないが、元々接点もないからソカロがミランダを気に留める事もない。

(そういえば・・元帥も背が高いわ)

すれ違うようにして、食堂に入って行ったソカロを目で追いながら、ミランダはマリを思い出し胸を押さえた。
大きく広い背中とがっしりした二の腕、大きな手はマリよりも浅黒い。

「・・・・・」

もう食事を済ませたのに、まるで吸い寄せられるようにミランダはソカロの後を追う。
近くに行くつもりはない、少し離れた場所であの大きな体を見ていたかったのだ。

ソカロが食事をのせたトレイを持ち、空いている席を探す。周囲の人間は恐怖からかやや距離をとり、顔を俯きながら気配を消しているようだ。
ソカロはその様子を気にも止めていないようで、いや、仮面のせいで表情は全く読めないが。

人気がなくなったテーブルにトレイを置き、どっかと腰を下ろしたソカロを見て、ミランダはこそこそと斜め後ろの離れた席に座った。
手には水を持ち、ちびちび飲みながらソカロを盗み見るミランダは、周囲からすれば冷や汗ものだったが、いつものように、当のミランダは誰にも気づかれていないと思っているらしい。

(大きい背中・・マリさんみたい)

ほう、とため息をつく。
その尻に食堂の椅子は狭そうで、大きく開いた足のせいで横には誰も座れなさそうだ。

(マリさんは、いつも申し訳なさそうに隅に寄っていたっけ・・)

思い出して、なんとなく頬が緩むと隠すように水を一口飲んだ。ソカロは食べる時はやや猫背になるのか、背を丸めてスプーンを動かすのが後ろ姿でも分かる。
体が大きいから、少し体を屈ませないと食べるときに、具合が悪いのだろうか。

(マリさんは・・どうだったかしら・・)

思い出すと、マリはいつも背筋を伸ばしていて、食事の時もそれを崩す事はなかった。ミランダの身長に合わせて、話す時に軽く屈んではくれたが。

話し方や仕草にどことなく育ちの良さを感じるマリは、もしかしたらエクソシストになる前は、良家の子息だったのかもしれない。そんな想像をぼんやりしていると、

(?)

急に視界が暗くなり、飲んでいたコップの水の中に大きく黒い影を発見して、ミランダは目をぱちぱち瞬かせながら、その影をよく見た。

「おい」

頭上高く聞こえる低い声に、ミランダは深く考えずに顔を上げる。顔は逆光の為よくわからないが、その迫力満点な体格を見ればすぐに分かった。


「さっきから、なぁに見てやがる」


さっきまで盗み見ていたソカロが、腕を組みながらミランダを見下ろしていた。




◇◆◇◆◇



基本、彼の周りに人はいない。

たいていの人間は彼が近づくだけで恐れ戦く。まるで死刑台に立たされた囚人のように、真っ青に震え上がるのだ。

その凶悪そうな見た目にも原因はあるのだろうが、死刑囚だった過去と残虐な戦闘スタイルに、どうも尾ヒレのついた噂が流れているようだ。

軽く肩がぶつかった程度で、相手を殺すほどソカロは暇ではない。
しかしぶつかった相手の必死な謝罪(命乞い)を見ると、どうやらかなり虐非道な男だと思われているらしいと、ソカロは実感する。
だからと言って、それを苦にした事もない。また、あまり気にも留めていない。

どちらにしても自分は真っ当な人間ではないし、死刑囚だった過去もその通りだ。戦いに感じる、あの命のやり取りや、高揚感を恐らく他人は残虐だと思うのだろう。

しかしソカロなりに信念があり、戦いの中での殺し合いにしか彼は興味はない。日常生活での殺しには何の高揚感も感じない。それは虫を殺すように面倒なだけだ。
もちろんそんなソカロの考えなど、殆どの人間は気づくわけはなく。結局、今日も彼が食堂に現れるとどこか張り詰めた緊張感が周囲を包んでいた。

(・・?)

その視線に気づいたのは、椅子に座ってすぐ。

背後に感じる奇妙な視線は、ソカロがあまり感じた事のない類いのもので、殺意でも敵意でも、恐怖でもなく。どちらかと言えば好意に近い。
慣れないその視線を不審に思いつつ、ソカロはスプーンを使って背後を見た。

(・・ん?)

斜め後ろにいるミランダを発見して、ソカロは仮面の中で僅かに眉を寄せる。

あれは、確かミランダ=ロットーとか言ったか。少し前にエクソシストになった女で、時間を操るイノセンスの能力者だ。

ソカロは軽く首を傾げて考えるが、このミランダとは今まで何の接点もないと思う。

いや、一度教団にノアが襲撃した後に、なぜかマリと一緒に「ご迷惑をおかけしまして・・」と謝りに来たか。
あの時何の事か分からず、どういう意味か聞き返したのだが、ミランダは緊張か恐怖か真っ青になり、たしかマリが代わりに意図する事を告げてきた。

「・・・・・」

(マリ・・?)

ああ、そういやマリとデキてんのか、いつも二人でいるな。
そんな事を思いながら、ソカロはカレーをスプーンですくう。ピリピリとした辛みが舌を刺激する、それをいつもは心地好く思うのだが、今日はどうも違った。
背中に感じる視線が、どうにもくすぐったい。気にしないで食事を続けようとするも、慣れない好意的な視線は背中が痒くなる。

居心地の悪さを感じつつ、ソカロはもう一口カレーを口に運んだが、やはり我慢出来ずに立ち上がると、背後にいるミランダの元へ向かった。

「さっきから、なぁに見てやがる」

言ったとたん、ミランダの顔が真っ赤に染まったが、すぐに真っ青に変わる。
反射的に立ち上がった彼女は、余程驚いたのか。手に持ったコップを滑らせて床に落とし、ガシャン!という音が辺りに響き渡った。

「あっ・・ああっ、す、すみませんっ!」

動揺しながらガラスの破片を拾おうと焦ってしゃがむと、ガン!と思い切り額をテーブルに打ち付ける。
かなりの音がしたから、額が割れていてもおかしくない。心配するわけではないが、ソカロがそんな事を思っていると、ミランダは痛みを耐えているのか無言で額を押さえつつ、ふらりよろめきガラスの破片を拾った。

「す、すすすいませんっ・・あの、ええと・・お騒がせをいたしまして」
「あん?」

ソカロは何となく出端をくじかれたような気持ちになったが、それでもあの奇妙な視線の正体が知りたくて、再び口を開く。

「おい・・てめぇ」
「ひいぃっ!」
「?」

テーブルの下から叫び声がして、ゴン!と強い衝撃音が聞こえた。揺れるテーブルを見るに、今度は後頭部を打ったらしい。
何があったのかと、テーブルの下をソカロが覗き込むと、どうもガラスの破片で指を切ったらしく、手袋に染み流れる鮮血にミランダは軽いパニックを起こしていた。

同時に二つ以上の事を考えられないミランダは、破片を片付けるかこの血を止めるべきか、それとも打った額を押さえるのか後頭部を摩るべきか。
混乱し、アワアワしながら「え、あっ、どうしたら・・」とミランダは呟いてる。

それをソカロは困惑気味に見ていた。

(・・・・・)

なんだこの女。

指は切るし、額と頭には大きなタンコブをこさえるしで、散々なミランダを見ながら、ソカロは珍しい動物を見ているような、不思議な思いだった。

ふと、周囲を見渡すと食堂中の人間がこちらを注目しているのが分かり、仮面の中で顔を引き攣らせる。
これは自分がミランダを暴行したと、勘違いされているのではないだろうか。

(・・オイオイ)

別に悪い方に誤解されるのはいつもの事だが、正直今回は(多少の原因は認めるが)その勘違いは納得いかない。
ソカロは声をかけただけだ。それも別に声を荒げたわけでもないし、彼なりに「比較的」穏やかな口調だったと思う。
だから驚いてコップを落としたミランダが、
その後立て続けに惨事に見舞われたのには、ソカロこそ驚かされた。

「オイ」
「!・・あっ、はいっ、あのスミマセン」

流れる血とガラスの破片をそのままに、ミランダは慌てて立ち上がったが。

「!?」

ソカロが何か言うより早く。
ミランダは自分がテーブルの下にいるのも忘れていたのか、ゴツン!と三度目の衝撃音と共に、彼女は再びテーブルの下でうずくまっていた。

(大丈夫か?・・この女)

学習能力無さすぎだろう、どっか頭のネジが数本ぶっ飛んでるんじゃないか?
仮面の下で眉間に皺を寄せ、やや唖然とするソカロは、両手を腰にあて諦めたように一息つくと、そのテーブルから離れる。
聞きたい事を聞くには、あの女がテーブルから抜け出すまで無理だ。
しかしそうなるまでに、あと何回テーブルへの頭突きをする事になるやら。

しこたまぶつけて、頭の緩みが矯正されりゃ意外とマトモになるかもしれない。そんな事を思いながら、ソカロは食堂入口へと向かった。

混み合う食堂でも、ソカロが歩くだけで道が出来る。さながら旧約聖書の海を割ったモーセのようだが、通る本人はいつもの事なので気にしてない。
席に戻りカレーを再び食べようかとも思うが、またあの問い掛けるような、視線が来るようであまり気が進まなかった。

「あっ、あのっ!」

突然背後から聞こえた叫び声に、必死さを感じてソカロは足を止める。

「?」

怪訝な面持ちで振り返ると、さっきまでテーブルの下で呻いていたミランダが立っていた。
ミランダはソカロが振り返った途端、小さくビクッと震えたが怯えながらも見上げる瞳は逸らさない。呼び止められ、ソカロは仮面の内側で意外そうに見下ろしながら、腰に手を宛て微かに片眉を上げる。

「なんだぁ?なんか文句でもあんのか」
「いっ、いえっ!あの、すいませんでしたっ・・その・・」

おどおどしつつ、ミランダは恥ずかしそうに顔が赤くなる。
そんな様子をさらに訝しく思うが、とりあえずあの視線の意味を聞こうと口を開いた。

「オイ、おめぇ・・」
「あ、あの、お食事のお邪魔をして本当に・・スミマセン・」
「あ?」
「人から見られながらって・・わ、私だったら緊張しますし、誰でも嫌ですよね」

ミランダはソカロの声は耳に入らない様子で、ただただ申し訳ないと身を縮こませる。

それを呆れるように見ながら、

「ちょっと待てや、そうじゃねぇだろう?」
「えっ?」
「とりあえず言いてぇ事があんなら聞くぜぇ?まあ、くだらねぇ話は聞きたかねぇが」

そう言って腕を組む。
ミランダは、やや驚いたようにキョトンとしていたが、すぐに困ったように眉を寄せた。

「い、言いたいこと?そんな・・あの、えと何を?」
「あんだろうが、なきゃなんであんなに纏わり付くみてぇな目で、こっち見んだぁ?」
「えっ!・・ま、纏わりっ?」

図星を指されたようにミランダの顔が赤くなる。それは自分でも自覚があったから。ついマリを見るような視線でソカロを見ていたのが、どうもバレていたらしい。



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