D.gray-man U
1
ポツ、ポツ、と窓をうつ雨の音にうっすらと意識が戻される。
頬に硬い感触がして、ミランダはぼんやりと自分がうたた寝をしていた事を思い出した。
(・・?)
まだ夢うつつで、身を起こす事ができない。
頬にあたるのは机だと気付き、そういえば談話室で本を読んでいたのを思い出す。
ここのところ寝不足ぎみだったから本を読んでいるうちに、うとうとしてしまったらしい。ミランダは起きようと思いつつも、どうも体が重たくて頭を上げられなかった。
ふと、肩の暖かさに誰かが何かを掛けてくれているのを気付く。
それと一緒に誰かの話し声が耳に入り、談話室にいるのは自分だけではないのだと知った。
声の主は複数らしく、リナリーとラビ、アレンがいるからリンクもいるだろう。
「あら、雨だわ」
「本当だ、けっこう強い降りですね」
「いやね、明日買い物行く予定なのに・・」
リナリーが困ったようなため息をつく。
「明日?リナリー出かけんさ?」
「ラビ、もう忘れたんですか?こないだ皆で決めたじゃないですか」
「えーと、何だっけ・・」
年若い仲間達のいつもの会話が耳に入り、ミランダは肩に掛けてくれたのは彼らだろうと頭を机から少し上げたが、次のリナリーの言葉の衝撃に、それを維持できずもう一度頭を机につけた。
「もうっ、明後日はマリの誕生日でしょ」
一瞬の空白の後、頭の中で何かが爆発したような、雷が落ちたような衝撃。
あまりの驚きに、ミランダは目を見開いたままそのまま微動だにできない。
(え?・・)
今、確か・・そう、確かマリの誕生日だと言っていた。明後日だと、明後日がマリの誕生日だと・・?
ミランダはマリとは一応恋人同士である。
とはいえ、付き合ってそれほど日にちが経っていないので、まだまだぎこちない関係ではあるが。
(・・マ、マリさんの・・お、おた、お誕生日?)
ラビが「あー、そっか」と思い出したように笑う声がして。
「で?何をプレゼントするんさ」
「ジョニーの調べによるとモーツァルトの・・何だっけ?」
リナリーがアレンに聞くと、アレンは「フィガロの結婚」ですよと教える。
「そのオペラがあるらしくて、チケットにしようかなって・・皆からのカンパで買える値段だし」
リナリーが言いながらお茶をカップに注いでいるのだろう、カチャと陶器が重なる音と、はいアレンくん、と渡す声が聞こえた。
「あの、ほんとに僕らだけでいいのかな?・・ミランダさんに声かけなくて」
「バーカなに言ってんだよ、やっぱ子供さねアレンは」
ラビがからかうように言う。
「ラビには言われたくないです・・でも、ミランダさん知ってんですかね?マリの誕生日」
「大丈夫よ、あの二人恋人なのよ。普通そういうの聞くでしょ?」
ねえ?と同意を求めるように言うリナリーに、周囲が頷いたのを感じてミランダは青ざめた。
(き、き、聞いてないわ・・)
知らなかった。
初耳である。
付き合ってまだ一月足らずであるが、マリとはそれ以前からも色々互いの話をしていたし、それなりに打ち明け話もしていたと思うが・・誕生日は聞いた事がなかった。
マリの誕生日、恋人の誕生日である。
そして二人にとっては、付き合って初めての記念日だ。
聞かないでいた事には青ざめるが、それ以上にこの偶然にミランダは神に感謝する。危なくマリの誕生日を知らずに当日を迎えるところだった。
(あ、明後日・・)
でもこんな短い期間で何をすればいいのだろう。とにかくプレゼントを考えよう。プレゼントを・・。
ミランダは机に突っ伏したまま、目まぐるしく頭を働かせる。
けれどまだ衝撃が尾を引いてなかなか冷静になれず、頭の中はどう考えてもいらない物ばかり浮かんでしまう。
「そういやさ、ミランダはマリに何やんのかなぁ」
(・・えっ?)
ラビのぽつり零した言葉に、ミランダの体はピキンと石のように固まった。
「そうねぇ、でもきっとミランダの事だから色々考えているんじゃない?だから・・ほら、寝不足なのよ」
リナリーが微笑ましいように、ミランダをちらっと見る。
「そうですね、ミランダさん真面目だから・・でもマリなら何をあげても喜んでくれると思うけど」
「まー、あのマリだからな」
アハハ、と和やかな笑い声が聞こえるがミランダの顔は強張ったまま動かない。なぜだか凄いプレッシャーを全身に感じた。
(ち、違うのに・・どうしましょう)
ミランダは心の中にコッソリあった、誰かにプレゼントの相談をしようという考えを諦めた。ずいぶん皆に買い被られているようで、「知りませんでした」と言える雰囲気ではない。
(プッ・・プレゼント、プレゼントを・・何をプレゼントすればいいのかしら)
机に突っ伏した状態のまま、ミランダは握る拳の力を強める。
自慢じゃないが、この年になるまで男性に何かを贈った事などない。いったい何が喜ばれるのかも分からないし、一般的なプレゼント内容も思い付かないのだ。
(・・・・マリさんの・・欲しいもの)
「・・ミランダ、どうかしたのか?」
「!」
マリの声にハッとして、手に持ったパンを皿に落とす。
ついぼうっとしてしまい、食事中だというのに食事を忘れていた。
談話室から出た後、一年分は悩んだであろうミランダは、フラフラのまま、夕食を誘いに来たマリと出会ったのだ。
(・・・・全然、思い付かないわ)
机に額をつけたまま、約3時間。
とにかく無い知恵を精一杯絞ってみたものの、思いつくのはネクタイとか時計とか、あまりマリに役に立たないような代物ばかり。
せっかくだからマリが喜ぶ顔が見たいと思うのだが、そもそも何を喜ぶのかが分からない。いつもいったい何を話していたのかと、落ち込む。
(そうだわ)
直接本人に聞いてみるのはどうだろうか。
何が欲しいかをそれとなく聞いてみたら、失敗はないのでは?
(・・・・)
とは思うが、やっぱり駄目だと頭をブンブンと振る。それでは貰った喜びも半減だろうし、何より露骨過ぎて、きっとマリは貰う事を遠慮しそうな気がする。
(そうだわ、遠回しなら)
直接過ぎる表現は控えて、間接的に何気なく聞いてみるのは。
「あ、あの、マリさん」
ミランダは、ええと、あの、と言いながらマリを窺う。
マリはさっきから、何か真剣に悩んでいるらしいミランダが心配だったが、それを打ち明けてくれるのかと、ホッとしつつも少し緊張した顔になった。
「なんだ?」
「あの・・ええと、最近、例えば気になる事とか・・ないですか?」
「気になる事?」
「・・ないですか?」
やっぱり不自然だったかしらと、不安になる。
「気になる事・・・そうだな・・」
「・・・・」
マリは考えるように腕を組み、ううむと唸ったがこれと言って思い付かなかいようで。ミランダはなんだか申し訳ない気持ちで、
「あ、すすすいませんっ・・気にしないで下さいっ」
手をブンブンと振って、マリの思考を止めさせた。
(ちょっと、抽象的過ぎた気も・・)
もう少し具体的に、聞いてみようかしら。さりげなく。
「マリさんは・・さ、最近の生活で・・何か物足りない事はないですか?」
自然に、と努めれば、どうしても遠回しな言い方になってしまう。ミランダは緊張からか無意識に、指でパンを細かくちぎっていた。
「物足りない?・・」
「・・・・」
考えるマリを食い入るように見つめるミランダは、傍目から見ればかなり不自然だ。
もちろんマリも気付いてはいるが、それよりも質問の裏にあるミランダの悩みが気になる。ミランダはどうやら何か心配事があるらしく、さっきからぼんやりとしていて。しかもどうやらマリ自身が関係あるのか、さっきからこちらをを窺いながら、微かにため息を漏らす音が聞こえてくる。
「物足りない、というより・・」
少し言いづらそうに。
「ミランダ、何か悩み事でもあるのか?」
「えっ?」
「いや、さっきから・・浮かない様子だから、何かあったのか?」
心配そうな顔をするマリに、ミランダの顔は強張る。
さりげなく、と思っていたがやはり上手くいかなかった。逆に怪しまれているではないか。
「い、いえあの、なんとなく聞いてみただけです・・」
「・・・そうか?」
マリは手に持ったスプーンをいったん下ろし、やはり気になるのか、
「もし、何か気にかかる事があるなら教えて欲しい・・その、わたしはミランダの力になりたいから」
「マリさん・・」
マリの真剣な顔ににじむ、少し照れたような表情にミランダは頬が染まる。こんな事でも心配してくれる彼に、マイナスな気持ちは薄らいでいく。
とても自分を大切にしてくれているのが分かるから。
(・・やっぱり、プレゼントは自分で考えなきゃ)
マリが喜んでくれる物を、なんとか自分なりに考えてみよう。
まだ一日あるんだし、一生懸命考えれば何か浮かぶかもしれない。ううん、浮かばせてみせる。
(が、頑張るわっ)
らしくない前向きな考え方に自分でも驚いたが、大好きな人の為に頑張れる喜びの方が大きかった。
思えば、マリには出会った頃より殆ど心配と迷惑をかけている気がするから、明後日の誕生日は、いつもの感謝とお詫びも込めて自分なりに精一杯考えよう。
そう決意すると、さっきまでの心配や不安が嘘のように晴れ、ミランダは首を横に振り。
「大丈夫です」
と、らしくない返答をしたのだった。
『大丈夫です』
とは言ったものの、前途多難である。
食事を終え、理由をつけてそそくさとマリの前から退散したミランダは、図書室へと向かった。
教団の図書室はありとあらゆる資料の宝庫だから、プレゼントのヒントが見つかるかもしれない。
我ながら、なんていい事を思いついたのだと、胸踊らせて図書室の扉を開けたミランダだったが、その踊りは、ものの10分で打ちのめされるように落ち込んでしまう。
(・・・・どっ)
どこから調べればいいか、分からない。
数千、いや万に及ぶ教団の図書室はそれは広く、かなり玄人向きなつくりな為、
専門用語が多々ありすぎて、区分もよく分からないのだ。
「・・・・・」
ゴクリ、と生唾を飲み込む。
なんだか大変な場所に足を踏み入れた、間違えてしまった気がしないでもない。
ミランダは天井高くそびえ立つ本棚を見上げながら眩暈がして、早くも挫折しそうになった。
(いけないわっ・・マリさんのプレゼントを考えないといけないのに)
頭をげんこつで叩きながら、気合いを入れ直すように大きく深呼吸をする。
(と、とりあえず・・区分を見ていきましょう)
うんうん、と頷いて本棚の横に書いてある区分表に目をやった。
『歴史』と書かれた区分だけでも300以上あり、凄まじい数だ。とりあえず歴史はあまり関係ないと思うので、その場所から離れる。
次に『数学、化学、科学』の棚に来たが、これも違うと思い次の棚へ向かう。
『文学』や『語学』『心理学』『芸術』『医学』『軍事』など、あまり関係がなさそうな分野も一つづつ確認し終えると。
ミランダはある一つのカテゴリーの前で立ち止まる。
『趣味、雑学』
ミランダは、探していた場所にたどり着いた安堵から、ホッとため息をついたが、すぐに真剣な顔になり、やる気を奮い立たせるように胸の前でグッと握りこぶしを作った。
時刻は深夜とも言える23時。かれこれ2時間は図書室でさ迷っていた事になる。
(とりあえず・・何かヒントになる本はないかしら)
ざっと見て、役に立ちそうな本を取っていく。
迷っている時間も惜しくて、目についた本を一冊また一冊と持ち、とりあえず10冊ほどを近くの机の上に置いて、ミランダは椅子に座りパラリと頁をめくった。
「ひぃっ!?」
『マル秘☆男の特選街』と書かれた本は開いたとたん、なぜか女性のあられもない肢体が目に飛び込んで、ミランダは真っ赤になりながら慌てて本を閉じた。
(な、な、な、ななに?これ?)
バクバクと速まる心臓を手で押さえつつ、ミランダは次の本へと手を伸ばす。『男のMONOログ』という本で、通信販売のような雑誌だ。
(・・これなら、マリさんが喜びそうな物見つかるかしら)
安心しながら、頁をめくる。
夜になると光る地球儀や、日本刀のレプリカ、小さいビリヤードのキューなど・・ちょっと変わったセレクトにミランダは首を傾げた。
(男の人って・・こういうのが欲しいの?)
Tシャツの世界国旗シリーズや、背中に龍や虎の刺繍がされたジャンパーなど。ミランダにはよく分からないが、『品切れ必須!』と書いてある点を見れば人気があるのだろう。
なんとなく目から鱗のような気持ちで、パラパラと頁をめくると、『夜の大人カタログ』と書かれた頁に行き当たった。
(夜の?)
色とりどりの四角い箱がずらりと並び、ミランダは顔を近づけてそれをよく見る。
「!!」
『避妊具』と記されているのを見たとたん、慌てて本を閉じ椅子から立ち上がった。
(えっ、え、えええっ?)
『男』と名のつく本は、こういった桃色な内容が多いのだろうか。ミランダはドキドキしながら、持ってきた他の本のタイトルに目をやる。
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