D.gray-man U
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「つまり・・わたしが先に交換して、あなたに渡していればよかったんだ」
一通り説明をして、申し訳なかったとマリが言うと。ミランダはぱちぱちと瞬きしながら、その説明を聞いて。
「あ、あの・・マリさんはご存知だったんですね?」
怖ず怖ずと窺うようにマリを見た。マリは頷いて、
「わたしが言葉足らずで、あなたに贈る時に一言添えるべきだった・・」
眉間に皺を寄せ頭を下げると、ミランダが首をブンブン振って。
「い、いえ・・私こそ、一人でまた先走ってしまったみたいで・・」
安心したのかもう涙は止まったようで、代わりに恥ずかしさからか頬が赤く染まった。
「許してくれるかな、ミランダ」
「そそそんなっ・・も、もちろんですっ・・そんな、止めて下さいマリさんっ」
両手と顔をブンブンと振りながら、マリの謝罪を拒否する。そんなミランダの様子にマリは優しい微笑を向けると。
「ありがとう」
ミランダの手をそっと取って、両手で包むように握った。
「マ、マリ・・さん」
「・・・・・」
早鐘のように鳴りだすミランダの心音に、マリは握った手をそっと放す。
本当はもう少し先までしたい気持ちはあるが、ミランダをあまり驚かせたくないから我慢した。
「・・では、後で部屋にオルゴールを取りに行ってもいいかな?」
「えっ」
その一言で、ミランダが固まったのにマリは気付く。
「?どうかしたのか」
「え、ええと、あの・・実はもう修理に出していまして・・その」
なぜかミランダの心音は忙しく鳴りだして、マリはそれを不思議に思った。
「修理と言っても・・科学班にでも出してくれたのか?」
「いえ・・ま、街の時計店に」
ミランダの声は消えそうなほど、小さい。
「時計店?」
「は、はい・・」
マリは首を傾げつつミランダの様子を耳で窺うと、彼女はなぜか身を固くしたまま、叱られた小犬のように俯いていて。
(ああ、そうか)
もしかして、勝手な事をしたかと気にしているのか?
そう思うと、マリはついクスと笑みをこぼした。きっと彼女なりに一生懸命奮闘したに違いないのに、それでも色々と気にせずにいられない、彼女の性分が愛しかった。
「ミランダ、あれを一人で持って行ったのか?」
「は、はい・・あのマリさん・・私っ」
「重かっただろう?」
もう一度ミランダの手を取って、その細い指を優しく撫でる。
彼女は少し驚いたように小さく息を吐き、それから安心したのか頬を少し緩ませた。
忙しかった心音がトクトクと甘い響きに変わり、マリはそれがミランダのときめく鼓動だと知っていた。
「大丈夫です・・重くなんてありません」
ミランダは首を振って、恥ずかしそうに微笑んでマリを見る。彼はミランダの手を取ったまま、労るように撫でてくれて、手袋ごしに伝わるマリの手の温かさが嬉しかった。
(マリさん・・)
こんなに優しくて素敵な人が、どうして自分みたいな女を選んでくれたのだろう。いつも考えてしまうくらい、本当に不思議でたまらない。
この人は誰かをからかう事も、馬鹿にする事もない。誰に対しても平等に優しくて、温かい人。
(本当に、こんな人がいるのね)
傍にいると守られているような、安心感にミランダはいつも甘えてしまう。
「・・・・」
ふと、再会したハンスを思い出した。
久しぶりに会った彼は、昔とずいぶん雰囲気が違っていて、落ち着いた青年になっていた事を思い出す。
少年時代は悪戯っ子のような印象が強かったが、大人になると男性は変わるのだろうか。
(マリさんも、昔は・・今とは違ったのかしら)
今以外のマリの姿を想像はできないけれど・・。
(・・・でも、きっと)
マリは変わらない気がする。優しい、穏やかな少年だったのではないだろうか、目の前の彼を見ながらそんな事を思う。
(・・・ハンス)
あの青年を思い出すと、ミランダの胸がチクチクと刺されるような痛みを感じた。
いつの間にか忘れていた、少女時代の思い出。あの後、もともと異性が苦手だったがさらにその傾向が強くなって。
いつでも「間違えない」ように、自分を戒めて生きてきた。
本当は、マリへの恋心もそれを必死で隠し諦めようとしたのだが、相手は人の心音や呼吸で感情を読み取る事ができる為、どうやら手に取るように伝わっていたらしい。
(幸せで・・つい忘れそうになってしまう)
この教団に来て、優しい人達に囲まれているから、いつの間にかそんな距離を持つ事も忘れていた。
今日ハンスに再会して、ミランダはまたあの時の決意にも似た気持ちを、思い出す。
(違う・・)
ミランダは、過去に心が引きずられそうになるのを止めた。
(マリさんは、違う)
こんな自分を受け入れ、包むように愛してくれる。だからマリの前ではいつのまにか安心して、卑屈な自分を少しだけ忘れる事ができるのだ。
実感して、なんとなく頬が染まるのを感じながら、マリを見つめた。
「ミランダ?」
「あっ!・・い、いえ」
遠慮なく見とれていたミランダに、マリは不思議そうに首を傾げる。顔を赤らめ気まずそうに俯いて、ごまかすように。
「その・・マリさんて子供の頃、どんなだったのかしらって、あの・・なんとなく」
「子供の頃・・?」
ミランダの手を取りながら、マリは考えるように目を伏せた。
「あ、なんとなく・・です。男の人ってやっぱり雰囲気変わるのかしらって・・」
慌てながら言葉を付け足すと、マリは怪訝そうに眉を寄せながら。
「『やっぱり』とは・・誰か雰囲気が変わったのか?」
「えっ!」
ドキンと不自然に心臓が強く跳ねて、思いきり顔が引き攣る。マリはそんなミランダを見逃す事なく、手を取る指の力を僅かに強めた。
「何かあったのか?ミランダ」
「い、いえっ・・・」
穏やかな声ではあるが、その手はしっかりとミランダを放さない。ミランダは困ったように眉を寄せて、何をどう言っていいものか考えていると。
「ミランダ?」
マリの瞳はいつものように穏やかだが、その奥に何かキラリと光るものが見えた気がした。
ミランダはハンスの事を告げるのを、つい躊躇してしまう。後ろめたいわけではないのだが、彼の事を話すと言わなくていい事まで口走ってしまいそうで。
とはいえ、ミランダは嘘がつけない人間である。
「じ、実は、オルゴールの修理に出したお店で、昔の知り合いに・・会いまして」
昔の知り合い?
マリは顔には出さず、心の中で訝しむ。
(・・・・・)
ミランダの心音はさっきから騒がしく、マリの耳にその動揺を伝えていた。その事を触れられて欲しくないような、何かあるようなそんな様子だ。
「知り合いは時計店で、働いているのか?」
「はい・・あ、多分そうかと」
「その『彼』の・・雰囲気が変わっていたと?」
あえて『彼』と確認の意味を込めて聞いてみると、ミランダはその否定はせず顔を真っ赤にしながら。
「・・じ、10年以上前の知り合いですし、私って忘れっぽいから、あの・・」
しどろもどろになっている様子に、マリはさらに訝しく思う。
「彼とは、以前・・何かあったのか?」
「!?・・」
ミランダの体がビクンと跳ねて、それと共にドキドキと心音が速くなっていく。
「ミランダ?」
「ないっ・・あ、いえ、あったと言うか・・いえ、ないんですけど・・いえその」
焦りから、ミランダ自身も何を言っているのか分からない。
「あの、子供の頃の話・・で、私が勝手に・・・・」
片思いをしていた、と言いそうになってミランダは口ごもる。
(そ、そういう事って言っていいのかしら?)
いくら子供の時だったとはいえ、過去の恋話は不快に思うのではないのだろうか。ミランダだって、マリが昔片思いした話なんて聞きたくない。
(でも・・じゃあ何て言えばいいのかしら)
マリを不快にさせたくないけれど、あらぬ誤解をされたくない。ミランダは考えるように視線を落とす。
「ミランダ」
まるでこちらの気持ちを分かっているように、マリは、ミランダの手を優しく撫でて。
「言いたくないなら、聞かない。ただ何を聞いてもわたしは揺らぎはしない・・全部、過去の事だから」
「マリさん・・」
「けれど・・・すごく気になるから、知りたい・・と言ったら幻滅するか?」
そう言ってマリは、少しだけバツ悪そうな顔をした。
いつもは見せないその姿に、ミランダは不謹慎にも喜んでいる自分に気付く。
マリが自分の過去を知りたいと、思ってくれるのが嬉しくて。
「げ、幻滅なんてしませんっ」
頬を熱くする熱が耳までとどきそう。もしかして・・嫉妬してくれているの?
窺うように見ると、マリはミランダの心の問いに応えるよう、気まずそうに咳ばらいをする。
「どうもわたしは、ミランダに関しては心配性で困るな・・」
ポツリと大きな彼が呟く姿に、失礼だと思いながらも可愛いと思ってしまった。
(マリさん)
言いたくなかったのは、恥ずかしかったから。勝手に勘違いしてその気になった、過去の自分を知られたくなかっただけ。
あの時の淡い気持ちは恋と言うには幼な過ぎて、マリに告げるのに後ろめたさはあまりない。
(言っても・・いいの?)
誰にも告げた事はない。受け止めてくれるのだろうか。
「私の方こそ・・幻滅されるかもしれません」
小さな声で呟いてそっと目を閉じる。きっと大丈夫、マリさんなら大丈夫。そう心の中で繰り返して、ミランダは口を開いた。
カチカチと、時計の音だけが響く静かな談話室の中。マリの温かな手に包まれて話すと、不思議な事にさっきまで感じていた胸の痛みはない。
彼がそれを吸い取ってくれたかと思うほど、話すほど心は軽くなっていった。
そうして。
全て話し終えると、マリは考えるように俯いて。それからなせが安心したように、頬をゆるませミランダの手の甲をそっと撫でる。
「・・・・だな」
「え?」
「あ、いやなんでもない」
聞き取れない声で独り言を言うと、マリはいつものように優しく微笑むのだった。
扉が開いて、入ってきた客を見て店主は目を細める。
「いらっしゃい」
「こ、こんにちは・・」
数日前にオルゴールの修理に来た彼女は、その時とは違って今日はとても幸せそうだ。
もちろんオルゴールが直った事もあるだろうが、おそらく彼女の後ろから少し遅れて現れた、大きな男の存在があるのだろう。
その体と厳めしい顔に、店主は僅かに目を見開いたが、その仕種と身なりを見て彼が立派な紳士である事を悟ると、いつものように人の良い笑顔を向ける。
「オルゴールですね?今お持ちしますよ」
そう告げると、二人が顔を見合わせ微笑み合ったのが目の端に写った。ミランダは店に入ってすぐハンスがいない事に、ひそかにホッとしていた。
今日マリと一緒に教団を出てから心構えはしていたが、それでもミランダはやはり緊張していたらしい。堅かった顔の筋肉が、安堵から少しゆるむのを感じた。
「お待たせしました」
店の奥から店主がオルゴールを持って現れる。マリが確認の為回してみる、とオルゴールは前のように優しい音色を奏でた。マリは目を閉じて微笑みながら、
「ローラーだけでなく、音の調整もしてくれたようだな・・有り難い」
「よくお分かりになりましたね」
店主が感心したように頷くと、
「うちの弟子が、サービスと申してやらせて頂きました」
「弟子?」
「今は配達に出ておりますがね、よろしくと伝えてくれと」
店主はそう言って、笑顔でミランダを見た。
ミランダは驚きながらマリを見る。マリは穏やかに微笑みながら、軽く頷いてオルゴールを片手で持つと。
「では・・ありがとう、とその弟子に伝えてくれ」
そう言うとマリは代金を払い、ミランダの背中に手を添えた。ミランダは戸惑うようにオルゴールを見て、なぜか胸が締め付けられるように痛くなる。
さっきハンスがいなかった事にホッとした自分が恥ずかしかった。
10年以上も前の事を、今だにこだわってしまう自分が情けなくて。数日前の再会も、逃げるように姿を消したミランダを彼はどう思っただろう。
「あの・・」
ミランダは店主を見て、
「私からも、よろしく、と伝えて貰えますか?」
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