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表通りに面した古い時計店の扉を、ミランダはそっと開く。

中からはカチカチという秒針の音や、アンティーク独特の古いニスのような匂いがしていて。
店主はミランダを見ると、時計の修理を止めて人の良さそうな笑みを浮かべ「いらっしゃい」と言った。

「こ、こんにちは」

深刻そうに青い顔をしながら、ミランダはその手に持っていた大きな箱をおずおずと差し出す。

「すみません、あの、こちらではオルゴールの修理はやってますか?」
「オルゴール?・・ちょっと見せてもらいますよ」

店主はズレた眼鏡を直しながら、箱を開けてアンティークらしいオルゴールを取り出した。
オーク素材のクラシックなディスクオルゴールで、玩具の域を越えた造り。正直この持ち主には不似合いに思えて、店主はちらと窺うようにミランダを見る。
ミランダは心配そうに、助けを求めるような表情で店主を見ながら、

「あの、音が出なくなってしまって・・あの、直りますか?すごくすごく大事な物なんです・・」

今にも泣きそうな声で言う。

「そうですねぇ・・まあこの店は一応時計店ですからねぇ、あんまり難しい修理は・・」

店主は独り言のように言いながら、機械部分を見たりディスクの曲がりをチェックして。

「ああ、大丈夫そうだ。このローラーを交換すれば直りそうですよ」
「ほ、本当ですかっ・・!?」

ミランダの顔がパアッと明るくなり、オルゴールを見つめて泣き笑いのような顔をした。

「でも、ローラーを取り寄せなければならないので、二、三日は掛かりますけど宜しいですか?」
「はっ、はいっ!お願いしますっ・・」

安心したのか、ミランダが頬をばら色に染めながら微笑むと、店主は苦笑しながら、

「よほど大事なんですね、このオルゴール」
「えっ!・・あ、はい・・その、頂き物で」

貰った相手を思い出したのか、耳まで赤く染まった。

「では、丁重に扱わないといけませんね」

店主は穏やかな笑みをミランダに向けると、オルゴールを大事そうに持ちながら、

「ハンス、いるかい?ちょっと来てくれ」

店の奥にいるらしい、ハンスという名の男を呼んだ。奥からガタガタと何かの箱を退かしながら、一人の男が現れて、

「はい、なんですか?」
「こちらのお客様のお名前を聞いておいてくれ。私はローラーの値段を調べるから」

店主はそう告げたあと、一人オルゴールを持って奥へと消えた。ハンスという青年は台帳を広げながら、

「ええと、お客さんは前にも来たことありました?」
「いえ、今日が初めてです・・」
「そうですか、じゃあこの紙に名前を書いて下さい」

ハンスが一枚の紙とペンをミランダへ差し出したので、ミランダはそれを受け取り、小さな文字で『ミランダ=ロットー』と書いた。

「はい・・ん?」

ハンスが書いた紙を見て、眉を寄せながらミランダを見る。

「ミランダ=ロットー?」
「は、はい・・?」

ハンスは怪訝な顔でジイッとミランダを見て、何か記憶を辿るように視線を斜め下へ向けると。

「もしかして・・『あの』ミランダ?」
「え?」
「あのさ・・俺、ハンス=マイヤーだけど覚えてない?」

ミランダはパチパチと瞬きしながら、そのハンスという青年を見る。背のひょろりと高い、やや赤みがかったブラウンの髪に、特徴的な高い鼻。
人懐っこそうな垂れ目がちな青い瞳を見た時、ミランダは記憶の底に眠っていた、古い思い出が一気に目を覚ましていくのを感じた。

「・・・・あ、ええと」

少年だった目の前の青年は、昔より背も伸び雰囲気も変わっていたから、ミランダが知っている彼ではない。
ハンスはミランダに対して何のわだかまりも無いようで、興味深げにジイッとミランダを見ていた。

「なんか、全然雰囲気が変わっていたから・・分かんなかったよ」
「そ、そうかしら」

ミランダは気まずそうに俯きながら、ハンスからの視線に逃げるように体を横に向ける。

(・・ああ、なんていう偶然なの)

このハンスという青年を見ると、胸がえぐられるような痛みを覚えた。出来れば一生会いたくなかったと、ミランダは己の不運を嘆く。

彼は・・このハンスはミランダがまだ少女だった頃に、彼女の気持ちを、手酷く踏み付けた少年だったのだ。









トロイメライ、というのだと。

あの大きな指をゆっくり回しながら、オルゴールを奏でてくれた。
子供の頃、よく聴いていた子守歌代わりのオルゴール。マリがとても大切そうに、ミランダにそう教えてくれて。

『よかったら、ミランダに持っていてほしいんだ』

それから

『わたしがいない間も、淋しくないように・・』

と、優しい声で囁いた。

マリはとても立派な人だ。
優しくて強くて、だれからも尊敬されるような素晴らしい人だと、ミランダは思っている。
そしてそんな相手に無謀にも恋をして、それが叶った時は本当に夢ではないかとミランダは何度も頬を叩いた。というか、一と月以上経った今でもまだ夢のような心地なのだが。

二週間前にマリから贈られたオルゴールをミランダはとても大切に扱っていた。
そそっかしい自分を十二分に分かっていたから、机の上に置いて決して動かさず、聴くのも一日一回の寝る前だけと堅く決めていた。

それが二日前の夜。前日に任務に出て行ったマリを想って、つい寝る前に三回も聴いてしまい、三回目の最後のメロディを聴く事なく、オルゴールは突然音を出すのを止めたのだ。

あんなに堅く決めたのに。
ついついと聴いてしまったせいで、彼の大切にしていたオルゴールを壊してしまうなんて。
ミランダは恐る恐る、もう一度だけオルゴールを回してみたが、やはりもう音色は聴こえなかった。

マリの思い出が詰まった大切な物を壊してしまうなんて、なんて謝ればいいのか。
きっと、とてもがっかりするに違いない。でも優しい彼はミランダを責める事なく、この大切なオルゴールを諦めるのだ。

そう思うと、ミランダの胸は締め付けられるように痛んでしまう。

一晩中泣きながら、どうしようどうしようと考えていたものの、これといって智恵は浮かばない。
科学班に修理を依頼すれば、すぐに直してもらえるかもしれないが、それではすぐマリに知られてしまう。
出来れば教団以外で、直せる場所はないかと考えてみたが、ミランダはオルゴールの修理がどこでしてもらえるのか見当もつかなかった。
夜も明けて鳥がチイチイと鳴きだす頃、ミランダの頭に一人の老人が浮かんだ。


ブックマンは早朝、たいていは座禅をしているか自室で新聞を読んでいるかのどちらかで。
ミランダが祈るような気持ちで、修練場を覗くと彼はちょうど座禅を終えたところの様だった。

逸る気持ちを抑え切れず二、三度躓きながらブックマンの元へ駆け寄り、オルゴールの修理をするには楽器店なのか、と聞いてみたところ、ブックマンは怪訝な顔をしつつも、

『・・そうじゃな、それよりもゼンマイやネジを使う時計店に持って行くといい』

ミランダの必死な様相に、何か訳ありと悟ったのか。ブックマンは詮索する事なくその場を離れて、ラビが組み手している場所へと歩いて行った。
その背中に向けて何度も礼を言いながら、ミランダは急いで科学班に出向き外出届けを書くと、リーバー班長へそれを提出した。

『こんな早くから、街に行くのか?』

首を傾げられつつ、許可印を押してもらい暗証番号を渡されたミランダは、一筋の希望の光を辿るように朝食も食べずに薄手のコートを羽織る。

ミランダはオルゴールを大きな木の箱へ入れて、誰にも見つからないようにと、調理場の職員が使う裏口から隠れるように本部を後にした。

転んだり躓いたりして、落としたりしないように細心の注意をはらっていたせいで、普通は1時間程度で着くはずが、ゆうに3時間は越えていたのだが、オルゴールを一度も落とさずにここまで来れた事に、ミランダは心の底からホッとした。

表通りの時計店は、老舗の有名店でミランダも何度も見かけていたから、迷わずに辿り着けた。いや、オルゴールに気を取られ過ぎていて道に迷う暇すらなかったのかもしれない。

『ローラーを交換すれば、直りますよ』

人の良さそうな主人の言葉を聞いた時、ミランダは全身の血が沸き立つような喜びに、その場で号泣してしまいそうだった。
実際瞳は潤んでいたのだが、その後の主人からの『よほど大事なオルゴールなんですね』の一言に、なぜか急に恥ずかしいような気持ちになり、涙は引っ込んでしまったのだ。

(ああでも良かった!本当に良かった・・!)

力が抜けるように安堵すると。

ふとマリにこの事をいつ告白すればいいのか、新たな悩みが芽生えた。自分のせいで故障したのだから、きちんと謝りたい。

(マリさん・・許してくれるかしら)

ふと、不安が過ぎる。
子供の頃からの思い出の品を、たった二週間で壊してしまったのだ。

(・・失望するわね、きっと)

そう思うと、胃のあたりがキリキリと痛んでくる。想像だけでかなり辛い。
喜びから一転、今後の事を思うとミランダの表情は曇る。さっきまでは「修理しなければ」の一点だけを考えていたが、それが解決されれば次の問題が起きた。

(・・よく考えたら、わざわざ街に修理に出したなんて・・)

姑息な事をする女だと、さらに幻滅されるかもしれない。でも今、再びオルゴールを持って教団へ戻れば、今度こそ転んだり迷子になったりしないとも限らない。

(ああでも、それなら取りに来る時はどうしたらいいの・・?)

考えれば考える程、どんどん八方塞がりな気がし始めていた。

そして。


「ミランダ=ロットー?」


「もしかして・・『あの』ミランダ?」


そう言った青年の名前が、ハンス=マイヤーと聞いた時。

「・・え?」

ミランダは頭の中の心配事が砂のようにザアと一瞬で消えて。かわりに、ずっと鍵をかけてしまっていた、過去の記憶を思い出した。


(ハンス・・あの、ハンス?)




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