D.gray-man T
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ジャッ!とキャッシュがフライパンで肉を炒める様子は、まさしく料理人。
「あーあ・・ホントは玉葱もぎっちり飴色にしたいんだけどさぁ」
時間ないからねぇ、と独り言を呟く。
「仕方ないな、なにせ時間がないんだ」
「そうなんすけど、あたしカレーは妥協したくないっていうか」
下唇を突き出しながら言うキャッシュに苦笑しながら、クラウドは手慣れた手つきで野菜を切っていく。
クロウリーは一人野菜の皮を剥き。今の所あまり戦力にならないミランダとフェイは、焦げつかないよう鍋を掻き混ぜたり、足りない材料を食料庫に取りに行ったりと。忙しく働いていた。
「わぁ・・良い匂い」
カレーのスパイシーな香りが調理場に漂うと、ミランダはうっとりと目を閉じる。
フェイが鍋を掻き混ぜながら、
「あら、そういえば・・」
思い出したように、『カンタン♪家庭料理大全』をパラリ、めくり。
「そう、これです。『カレーには隠し味が重要な役割を持ちます』・・」
「隠し味・・ですか?」
「・・牛乳やチーズ。ケチャップ、チョコレートなんかを入れる方もいらっしゃるのね」
「チョコレート?お、美味しいのかしら・・」
「想像できませんわね・・・あら?」
苦笑するように本のページをめくっていた手が止まる。
「フェイさん?」
「・・・・・」
「・・あの?どうかしました?」
不思議そうにフェイの顔を覗くと、フェイはハッとしたようにミランダを見て。
「・・インスタントコーヒー」
「はい?」
「その・・インスタントコーヒーがいいそうです」
ほんのりと頬が染まっていた。
「コーヒー・・ですか?」
「コクが出て、美味しくなると・・この本に書かれていますわ」
『カンタン♪家庭料理大全』をミランダに差し出し、フェイは何かをごまかすようにコホン、と咳ばらいをする。ミランダはフェイが指す一文を読んで、
「まぁ・・本当」
驚いたように呟いた。
「でも・・あんまり入れると苦くなりそう」
「そうですね・・本には・・小量としか記載されてませんわ」
口元に指をあてて、考えるように眉をひそめて。
「小量・・小さじ一杯位でしょうか。でしたらこの鍋は100人分はありますから・・」
近くの棚からインスタントコーヒーの大瓶を取り出すと、
「10×100で、この一本分くらいでしょうか」
瓶には1000gmとある。ミランダは感心したように頷いて、
「・・すごいわ、フェイさん!」
「そ、そうかしら」
「そうですよ、私なんて全然考えもつかなかったです」
言いながら瓶の蓋を開ける。
「あ、ミランダさん。入れる前に・・」
フェイはミランダの手を押さえつつ、クラウドを振り返り、
「隠し味に、インスタントコーヒーを入れてもよろしいですか?」
確認するように聞いた。
「ああ。分かっていると思うが『小量』でいいからな」
「はい」
フェイは押さえていた手を離して、ミランダへ向けて軽く頷く。
「では・・」
ミランダがよいしょ、と持ち上げて。ザーッ、とコーヒーの粉末が砂埃のようにカレーの上を舞いながら、瓶は空になっていった。
「では・・掻き混ぜましょうか」
「楽しみですね・・どんな味に変わるのかしら」
「ふふ、そうですね」
二人が顔を見合わすなか。
「あ!しまった」
キャッシュの声が響く。
「ごめん!どっちか食料庫行って、米取って来てくれない?忘れてた」
シーフードカレーに入れる海老のわたを取りながら、悔しそうに言った。
「あ、じ、じゃあ私行ってきます」
「ミランダ、では10キロ入りのを5袋頼む」
「じ、女性に悪いである・・わたしが」
包丁を慌てて置いてクロウリーが立ち上がるのを、クラウドが手で制して。
「クロウリーの皮剥きは、ここにいる誰よりも速くて丁寧だ」
「そ・・」
そんな、と言いつつ。クロウリーの頬は嬉しさに染まる。
「私は大丈夫ですから。クロウリーさんはそのままお願いしますね」
ミランダはニッコリ笑うと、調理場からやや駆け足で出て行った。
(食料庫は・・地下だったわよね・・)
食堂のすぐ横の階段から真っすぐ下りていけば着くはずで。ミランダは手摺りをつたいながら、足元を滑らせないよう慎重に下りていった。
ふと。
(あら?)
カツン、カツン、と階段を下りていく自分の足音が響くなか、まるで音が交差していくみたいに違う足音が聞こえてくるのに気がつく。
(?)
ミランダはなんとなく足を止めた。音は下の階から上って聞こえてくる。
ミランダが足を止めたのに呼応するように、急にその相手の足音も止まった。
「・・ミランダ、か?」
聞き覚えのある声に、ミランダは安堵のため息をもらす。
「マリさん・・ですか?」
ミランダがそう呟くと。足音が速まり、まるで駆けるようにしてマリはミランダの前へ現れた。
団服を着た彼は任務帰りのようだが、さしたる怪我も見あたらない。ミランダはホッとしたように微笑む。
「お帰りなさい」
「ただいま」
小さく頷いて。
「あの・・怪我とか、大丈夫でしたか?」
「ああ。大丈夫だ」
そっと優しい微笑みを見せた。その微笑みを見て、
(・・また・・)
ミランダはここのところ感じ始めた、不思議な心地になる。
マリの側へ行くと、なんだか恥ずかしいような嬉しいような。けれど少し居心地が悪くて逃げ出したいような、でもまだ側にいたいような・・。
(どうしたのかしら、私)
そんな気持ちをごまかすように、ミランダはエプロンの裾を指で弄る。
「ミランダ、どこかへ行くのではなかったのか?」
「・・え・・あっ!」
ハッと両手で口を押さえた。
「た、大変!食料庫へ行くんでした・・」
「食料庫?」
「は、はい。お米を・・あ、ごめんなさいマリさん。失礼しますねっ・・」
「待て、ミランダ」
慌てて階段を駆け降りようとするミランダの腕をパッと掴むと、
「ちなみに聞くが・・米は・・何キロを持って行くんだ?」
「え?・・ええと・・10キロを5袋ですけど・・」
キョトンと首を傾げる。
マリは困ったように複雑な表情で、
「たしか・・調理場の隣に直通のエレベーターがあったのでは・・」
「・・・・え?」
そういえば。
フェイやクロウリーが大きな鍋や野菜を持って来た時は、エレベーターを使っていた事を思い出した。
(わ、私ったら・・!)
ミランダは瞬時に顔が真っ赤に染まった。
(な、な、なんて馬鹿なのっ!)
そもそも50キロなんていう自分の体重より重い物をどうやって運ぶつもりだったのだ。階段で運ぶつもりだったのか。50キロを。
ちょっと考えれば、エレベーターを使う事など容易に気付きそうなものだろうに。
「・・・・・・・」
(は・・・恥ずかしい)
彼のことだ。気遣って遠回しにエレベーターの話を出して、ミランダに恥をかかせないとしてくれたのだろう。
それもまた更に情けなく、恥ずかしさに拍車がかかった。
「わ、私・・も、戻りますね・・ごめんなさい、すいませんっ」
クルリと踵を返し、カクカクとした動きで階段を上り始める。
(ああ・・今戻っても、皆さんになんて顔をすれば・・)
萎れた青菜のように、ションボリとしながら重くなった足を動かすと、くいっと再び腕を引かれる。
「今からだと、戻るよりも下りたほうが・・早いのではないかな」
「あ・・」
確かにそうだ。しかし米を運ぶ為の台車はエレベーター付近にあり、食料庫からエレベーターまでは少々時間がかかる。
そこまで米を運ぶ事を考えれば、下から行くのはミランダには難しい。
(・・ええと・・)
戸惑うように、マリを見ると彼は穏やかに微笑みながら、
「よければ手伝わせてもらっても、いいだろうか」
「で・・でも・・」
「駄目かな・・?」
「・・というか、その・・マリさんは・・」
任務の後で、疲れているはずだ。そんななか自分の情けない失敗に付き合わせるのは申し訳ない。
そんなミランダの気持ちを知ってか、
「実は・・空腹でな。ミランダと一緒にいれば早く美味いものに辿り着けるのだろ?」
軽く肩を竦めて、苦笑ぎみに呟いた。
胸の中にじわじわと温かい物が広がり、ミランダはなんだか泣きそうになる。
言葉を選ぶように優しくミランダを気遣う彼に、なんと言えば分からなくて。
「・・・はい」
溢れそうになる涙をこらえながら、ミランダは小さく頷いた。
綺麗に剥かれた野菜の山を見ながらクラウドは眉をひそめる。
「・・弱ったな・・」
「・・・・・?」
腕を組んで考え込む彼女の様子にクロウリーが不安げな顔で、包丁を止めた。
「これでは・・せいぜい昼飯止まりだな」
「なにがであるか・・?」
「いや・・今の状態では夕飯までの量がない」
クラウドは口元に拳をあて考えると、
「やはり・・人材を調達してくるか」
そもそも人数に限界があったのだ。リナリーがいないのも大きい。彼女はある意味ジェリーの弟子でもあったから。
(探索班、医療班・・科学班は絶対ダメだ)
人材がいそうな場所を思い浮かべるが、なかなか難しい。
(・・そうだ、任務から誰かしら戻っているかもしれないな)
手先が器用なマリや、苦労症のアレンあたりなら即戦力だ。クラウドが調理場に備え付けの無線に手をかけ、科学班を呼び出そうとした時。
「ち、ちょっと!なんなのコレっ!?」
キャッシュの素っ頓狂な声が聞こえて、クラウドは振り返る。
「ど、どうかしたのか?」
「げ、元帥・・コレ」
「?」
カレーの鍋を前にして固まるキャッシュを不思議そうに見ながら、「コレ」と言われた鍋を見る。
「・・!?」
黒い。なぜか、カレーが真っ黒に染まっていた。
「これは・・何の化学反応だ」
「いや・・ち、違うでしょ・・」
「お二人とも、どうなさいました?」
フェイが食器類を揃えながら、不思議そうに聞く。
「・・・・いや」
「・・・これ」
二人顔を見合わせながら、恐る恐るキャッシュが一口舐めてみると、
「にっ・・苦っ!」
「・・やはりな」
鍋の横に、空になったインスタントコーヒーの瓶を見た段階で嫌な予感はしていたのだ。
「あの・・?」
フェイが不安そうに、近づいて。
「隠し味のインスタントコーヒーが・・いけませんでした?」
「いやさ、インスタントコーヒーは・・いいんだけど」
「隠し味・・・隠し切れていないだろ、これは」
隠し味が隠れないでどうする。それどころか、カレーよりも目立っている。ある意味主役級の自己主張だ。
「と・・とにかく何とかしないと!」
「そ、そうだな・・水を足せ、あとルウに牛乳・・」
「鍋を二つに分けた方が早いっすよ!」
「え?え?・・」
焦る二人を不思議そうに見ながら、フェイは食器をカウンターに置いた。
(・・そういえば、ミランダさん遅いですわ)
ふと、心配になると。
「?」
調理場の入口に騒がしさを感じて、フェイは様子を見るように入口へ近づいて行った。
リンクは緊張を隠すように、ゴホンと咳ばらいをしながら調理場の前に立つ。
「あ〜・・カレーの匂いすんさ〜・・」
「お腹空いたぁ・・味見とかさせてもらえるんですかね〜・・」
「君達はそれしかないのか」
全く情けない、と呟いて。
そういうリンクもさっきからソワソワとして、どうやらミランダが出てくるのを待っているようだ。
(あれか・・直接ミランダに『手伝います』とか言いたいんだな)
(・・他人に言っちゃったら、ミランダさんからの感謝の言葉が聞けない可能性ありますからね)
「・・・・・」
「・・・・・」
「なんですか」
訝しげに片眉を上げる。
「いいえ、なんでもありません」
「そうそう、なんでもないさ〜」
ニッコリ笑う二人に、何か言おうと口を開いた時。
「何をしてるんです?そこのお三方」
ツン、とした物言いに嫌な予感を感じつつ、リンクは振り返る。そこに立っていたのは白いエプロンに三角巾というおよそ彼女らしくない格好のフェイだった。
「あら、ハワード・リンク監査官」
「これはブリジット・フェイ補佐役」
「・・・・・」
「・・・・」
なぜだろう、急に空気が冷たくなった気がする。アレンとラビは氷点下の冷凍庫にいるような身震いする寒気を感じていた。
「相変わらずこそこそとお隠れになるのがお上手ですわね。いい加減そのストーカー気質直されたら?」
「君こそ、その粘着質な物言いは変わりませんね。まるで嫁をいたぶる鬼姑のようだ」
バチバチと見えない火花が二人の間を走る。
「その黒子また一つ増えまして?どんどん増やしてお団子みたいになったら、さぞかし素敵でしょうね」
「その毛虫みたいな眉毛もまた立派になりましたね。このまま成長すればいずれはタワシですか」
「まあ、楽しい戯言を」
「いえ。君の妄言には負けます」
二人は口元に微笑みを浮かべているが、その瞳は絶対零度並の冷たさだ。
(な・・なに?この二人)
(し、知りませんよ・・)
引き攣った顔で見合わせる。
火花は雷鳴に変わり、リンクとフェイの間はさながら異空間のごとき様相を呈していた。
いつ龍だの虎だの出て来てもおかしくない。
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