D.gray-man T





「用意はいいな?」


クラウドの声に、その場の空気が張り詰めたような緊張感に変わる。

「いいか・・今回は緊急事態だ」

その美しい眉を寄せて周囲を見渡し、再び凛とした声を張った。

「我々が成すべきことは、いかに安全で手際良く犠牲も出さずに仕事を終える事にある」

ごくり、周囲が生唾を飲む音が聞こえる中、クラウドはスウ、と息を吸い、


「よって・・ここはカレーがいいと思う」


そう言って、白いエプロンの前で腕を組んだ。

「カレー・・」
「カレーですか・・」
「・・カレーねぇ」

クラウドの前には同じように白いエプロンに三角巾をつけた、フェイ、キャッシュ、ミランダそしてクロウリーが立っている。

食堂。
いつもなら教団で1、2を競う喧騒が聞こえるこの場所は、嘘みたいに静かだ。

「確かに・・カレーなら誰でも作れるし、日持ちもするか」

キャッシュが頷く。

「私は、異論はございませんわ」
「カレー・・つ、作れるかしら・・クロウリーさんは?」
「ええと・・食べたことあったであるかな・・」

不安そうに二人が顔を見合わすなか、キャッシュが笑って、

「大丈夫だって、材料切って煮込んでルウを入れりゃできんだから」

「そ、そうですか?」
「が・・頑張るである」

フェイはコホン、と小さく咳ばらいをして

「私も作ったことはありませんが、本で調べた限りはとても簡単そうでしたわ」

ニッコリ笑いながら、手元にある『カンタン♪家庭料理大全』を見せた。

「さすが、用意がいいな」
「通達が出たのは3時間前でしたので、それまでに軽く下調べをいたしました」
「よし、じゃあ、やるか」

キャッシュが腕まくりすると、その立派な腕に頼もしさを感じて、皆も大きく頷きながら調理場へと入って行くのだった。


食堂の料理人達が揃ってウイルス性の胃腸炎に感染した。
恐らく探索班の誰かから感染したと思われる。というのも本部にいる探索班の三分の一は感染済みなのだ。
症状としては微熱に嘔吐、下痢に倦怠感。それほど重い症状ではないが感染率が高い。

料理長のジェリーを始め調理人たちが、バタバタと感染し医療班に運ばれたのは昨夜の事だ。
激しい嘔吐に見舞われながら料理人でもあり、本部の母と自認しているジェリーは、翌朝の食事が気になり、コムイに宛てて今いる団員で(まともな)料理を作れそうな面子を震える指で書き綴った。

それが、クラウドやフェイ。キャッシュにミランダ、クロウリー。

本当はリナリーも含まれていたのだが、リナリーは昨夜入れ違いのように任務へ行ってしまい、上記五名が急遽団員の胃袋を預かる事になったのだ。

元帥であるクラウドが選ばれた事は驚くべき人事である。しかし彼女はこの教団で数少ない常識人であったし、何より他の団員が料理に対して何か言おうとしても、相手が彼女であれば誰も文句はつけれないだろう。

コムイはメモ紙を見て、それを病床で考えたジェリーに、自分がいない間食堂でいらぬ揉め事を避けようとする、母の心遣いを感じた。


「このくらいで、足りるであるか?」

クロウリーがジャガ芋と玉葱の麻袋を調理場へ運んで心配そうに聞くと、

「おっ、ご苦労さん。ああ、取りあえずそんなとこでいいよ」

キャッシュが鶏肉を切りながら応えた。残りの三人は人参の皮剥きに取り掛かり、クラウドの包丁からシュ、シュ、と小気味よい音が聞こえている。

「まぁ・・元帥、とってもお上手ですわ」

フェイが感嘆するように言った。

「昔取ったなんとやらさ」

ふふ、と笑いながら次から次へ人参を裸にしていく。
ふと、フェイとミランダを見ると、二人ともどうにも上手く出来ないらしく、ガタガタとして人参の原型を留めていない。

「おい・・おまえ達、料理したことないのか?」
「え?いいえ、下働きとか、以前は自炊もしてました・・」

ミランダは言いながらも、よたよたと危なげな手つきで。
フェイの方は、眉間に皺を寄せて人参から目を逸らさず、鬼気迫る顔でピ、ピ、と細切れに皮を剥いている。

「・・だ、大丈夫か?」
「料理・・は厳密には初めてですが、なかなか難しいものですね」

そう言いながら、皮ではなく何度も身を削いでいて、随分と貧相な人参になっていた。
クロウリーがミランダの横に腰掛け、持ってきた麻袋からジャガ芋を取り出して、器用にするすると皮剥きをしていく姿にミランダは目を奪われる。

「クロウリーさん上手ですねぇ」
「そ、そんな事・・」
「本当にお上手ですよ、驚きましたわ」
「クロウリーは料理ができるのか?」
「以前・・独りで住んでいた時は自分で作っていたであるから」

恥ずかしいのか、顔を俯きながら皮剥きをしている。
へええ、と一同が感心するなかキャッシュが

「だれか、鍋持ってきてくれる?でっかいやつ」

こんくらいの、とジェスチャーで表して。

「では、わたしが・・」
「いえクロウリーさんはそのままお願いしますわ」

フェイが肩を竦めながら、

「どうもこの仕事は私が1番足を引っ張ってますので」

厭味ではなく、自分なりに考えたのだろう。
さらりと言いながら立ち上がると、鍋を探しに調理場から出て行った。

ミランダはふと時計を見る。
時刻は午前9時。朝食は昨日の残り物のパンや非常食で皆済ませたが、昼ご飯はそうはいかないだろう。

(・・・・・・・)

お腹を空かせて食堂へ集まるだろう団員を思うと、ミランダは緊張からゴク、と唾を飲み込んだ。






方舟のゲートが開き、アレンやラビと共にリンクが本部へ戻ったのは三日ぶりの朝。
そのまま方舟のあるラボを通り報告の為司令室へと歩く道すがら、リンクはいつもより人が少ないような気がして、訝しげに眉を寄せる。

(・・・?)

「あーあ、お腹すいたなぁ」

アレンが鳴り響く腹を摩りながら、ため息をつくと。

「オレも・・昨日の晩飯から食ってねぇもんな〜・・」

ラビも、はあぁとため息をついた。
昨夜から一睡もせずAKUMAとの戦闘に入っていて、食事どころではなかったのだ。

三人が司令室へ入ると、ちょうど偶然にも帰りが重なったらしい、マリと神田がいて。

「あれ、二人とも今帰ってきたんですか?」
「ああ。おまえ達も今帰ったのか」

マリは口元だけ、僅かに笑う。神田は五月蝿い奴が来たと言わんばかりに、アレン達に背中を向けていた。

「もう報告は済んだんさ?」
「いや、これからなんだが・・」

マリがちらと室長の椅子を見るが、コムイは居なかった。

「仕方がないから、一先ずリーバーに報告しようかと考えていたとこだ」
「あれ?あの美人補佐役は?」

ラビがキョロキョロとフェイを捜す。
その時背後から、寝不足なのだろう目の下の隈がいつもより濃いめのリーバーが報告書片手に現れた。

「悪い、待たせたな」
「コムイの野郎はどうしたんだよ」
「あー・・昨日からちょっとあってな。今、医療班に行ってる」
「医療班?コムイさん、どっか具合でも?」
「あ、いやそうじゃなくて」

リーバーは困ったようにアレンを見て。

「アレン、残念だが・・ジェリー達が入院しちまって現在食堂は閉鎖中なんだ」
「えっ・・えええっ!?」
「どういう事さ、いったい!」

空腹の二人が青ざめて叫ぶなか、マリが心配そうに

「容態は、大丈夫なのか?」
「ああ。2日くらいで完治するんだが・・感染率が高くてな、今医療班は野戦病院並の忙しささ」

リーバーの言葉を聞いて、リンクはここへ来るまでの人の少なさに納得した。

(そういう事だったのか)

そしてなぜか皆疲れている様に見えたのは、空腹が原因だったのかもしれない。アレンとラビは情けない声で食堂の閉鎖を嘆いていたが、リンクはそれほどのショックを感じていなかった。

彼は普段から菓子作りを趣味とする事もあって、調理場に慣れていたから自分で料理する事もできるし、この大きな教団で料理人達が揃って入院したとしても、すぐに何処かから代わりの料理人が手配されるだろう。
それよりも、寝不足ぎみのリンクは早く休みたかった。

(・・報告を終えたら、ウォーカーにドーナツでも与えるか)

それで少し静かにさせよう。そして部屋へ戻って休むんだ。
リンクの考えは、その後のリーバーの言葉で簡単に覆る事になる。

「とりあえず、ジェリーが人選したメンバーが昼飯から作ってくれる事になってるが」
「え!断食じゃないんですね?」
「ハハ、まさか。でも普通の団員だから、メニューとか味に文句は言うなよ?」

ラビが首を捻りながら、

「え?アジア支部とかから料理人呼んだんじゃねぇんさ?」
「あー・・ジェリーが他の料理人に調理場を渡すのを頑なに嫌がってな」

リーバーがなんとなく苦笑いをした。

「あの、ちなみに誰なんですか?」
「ん?ああ、ジェリーのご指名でな。昨日いる団員で選ばれたんだが・・」

ぱらり、資料を見ながら。

「クラウド元帥に・・うちのキャッシュ、それから補佐役のフェイ女史。あとクロウリーに・・ああ、ミランダの五人だな」

(!)

最後の名前を聞いて、リンクの肩がピクリと反応する。

(ミランダ嬢だと・・?)

「え!クロちゃんにミランダ?大丈夫かよ、あの二人料理つくれんの?」

ラビが心配そうに言うのを聞きながら、リンクはちらとマリを見る。マリは心配そうに僅かに眉を寄せただけで、静かにリーバーの話を聞いていたが、リンクはここ(司令室)を出た後、マリがどういう行動に出るか容易に想像が出来た。

(手伝いに行くつもりだな)

そうはさせるか、と思う。
リンクにとってミランダはひそかに(?)想いをよせる女性。
可憐で慎ましやかで、どこか儚げな様子をした彼女に、つい目で追いながら胸をときめかせていた。

しかしいつも視線の先に映るのは、彼女ともう一人。

(ノイズ・マリ)

苦い顔をしながら、再び視線をマリへと向ける。
いつも一緒にいるものの、二人の関係はまだ恋人同士ではない。

リンクが見る限りマリが彼女を想っているのは一目瞭然ではあるが、ミランダの方はマリを尊敬しながら、親切な仲間と思っている風で、そういう色めいた様子はなかった。

(いまのところは・・)

考えるように口元に拳をあてる。


「−−さて、報告に移るか。ええと、どっちが先かな?」

リーバーが報告書にペンを走らせながら聞いた。
マリが一歩足を前に出す気配を感じた時、リンクは自分の前に立っていたアレンの背中を両手で押した。

「!?」

衝撃によろけるように、アレンがリーバーの前へ出て。

「アレン達が先か?」
「えっ?あ、いえ僕等は・・」

後で・・とアレンが言いかけた時、リンクの恐ろしいまでの殺気を感じてつい言いよどむ。

「え・・ええと」
「ん?どうした?」

リーバーが首を傾げると、

「リーバー、アレン達の報告の間は席を外すか?」

マリの穏やかな声がして、アレンはいたたまれない思いでリンクを見る。
リンクは小刻みに頷きながら、ほら早く!とせき立てるように目で合図していた。

(リンク・・君ってひとは・・)

あれだな、絶対ミランダさん絡みだな。

アレンは面倒そうに小さくため息をつくと。
同じような顔のラビと目が合って、ですって、と声にならない言葉を呟いた。




「リンク・・いったい何なんですか」

報告を終えて、リンクに連れられるように廊下を歩いて行く。
リンクは速足でずんずんと歩きながら、

「遅いですよ、ほら早く!」

キッ、と睨み付けて。

「つーか、どこ行くんさ?」
「そっちって・・食堂ですよね?」
「・・そうですよ」

ぴた、と足を止める。

「まさか・・君達はこの状況で自室に戻るつもりなんですか?」
「え?」
「なに、どゆこと?」
「緊急事態に、君達の仲間が必死に戦っている最中なんですよ・・」

ぐっ、と拳を握りしめて。

「男として、共に戦おうという気概はないのか!」

熱い・・熱いすぎる。

(この熱さは・・あれだな、恋の炎だな)
(いえ・・どっちかって言うと、嫉妬の炎だと思います)

二人の心の声を知ってか知らずか、リンクはゴホンと咳ばらいして、

「・・妙な憶測は止めてもらおう」

言いながら、顔がうっすら赤くなっている。

「・・・・・」
「・・・・」
「なんですか」

二人の生暖かい視線に耐えられなくなったのか、リンクは眉間の皺を深めた。

「いえ、なんでも」
「なんでもないない」

二人は手を顔の前で振りながら、

「じゃあ、ミランダさんのとこ行きましょうか」
「そうさ、ミランダを手伝ってやんねぇとな」
「そ、そそういう事ではないっ!」

図星を指されてさらに赤くなるリンクを、はいはいと軽くいなしながら、三人は食堂へと歩いて行った



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