D.gray-man T




階段を上る足を止めて。緩む頬を隠すように、マリは口を覆う。

(・・・・)

だめだ。
これ以上思い出すと、どうにも顔が崩れて仕方ない。

(いかんな)

浮かれすぎている。
戒めるように首を振ってフウと息を吐くと、マリは再び階段を上りだした。
ギュ、ギュ、と靴が階段と擦れる音を耳にしながら、マリは寝不足の頭を軽く叩く。

それにしても。

(ミランダが同じ気持ちでいたとは・・)

正直言えば、全く期待していない訳ではなかった。
もしかして・・と思う瞬間もあったし、噂話が偶然マリの耳に届いた事もあった。けれど、やはり当人からの言葉で確認すると、予想以上に心に迫るものがある。

ふと、さっき会った神田を思い出した。

(奇妙に思われたか)

あいつは勘が良いから、いつもと様子が違う自分を不審に思っただろう。

(・・・・・)

何と言うか、気恥ずかしいような。こう浮ついた自分を見せたくないというか・・・。

ゴホン、咳ばらいを一つして。

(まあ、いずれ分かる事か・・)

最後の一段を上り終えて、自室へと向かう廊下を歩き出す。そろそろ6時になるだろうか。

(シャワーを浴びて、身仕度を終えたらすぐに食事の時間だな)

食事・・。
ミランダは、朝はだいたい7時頃に食堂に現れる事が多い。

「・・・・・」
(突然、誘うのは迷惑だろうか・・)

そんな事を思い付いてしまうのも、やはり気持ちが浮ついている証拠だろう。マリは気まずそうに頭を掻いて、ドアノブを静かに回し自室へ入った。

一晩空けていた部屋はひんやりと冷えていて、なんだか自分の部屋ではないような気がする。疲れているわけではないが、頭の一部が興奮していて落ち着かない。

(ミランダは・・もう起きているだろうか)

マリはヘッドフォンを外して首にかける。そうしないと、無意識にミランダの音を拾いそうだから。

(急に部屋へ迎えに行くのも、馴れ馴れしいか)

自分でも、らしくないと思うが気持ちが逸って仕方がない。

(いかんな・・少し頭を冷やそう)

棚からタオルを取り出して、部屋に備え付けのシャワー室へと入った。
蛇口をひねると、シャワーの穴からお湯になる寸前の冷たい水が出て。シャー・・と床を弾く水音を聞きながら、なぜだか彼女の声が水音に紛れるように聞こえてしまう。

『ごめんなさい・・わ、私も・・好きです』

それは、彼女からの返事。

『マリさんに・・こ、恋してました・・』

ごめんなさい、ごめんなさいと。まるでうわごとみたいに呟くミランダの心音は、聞いた事がない程速かった。
耳に残る、あの告白を思い出すだけで、胸に温かいものが広がり、何とも言えない甘くて幸せな気持ちになっていく。

(・・ミランダ・・)

熱いお湯を頭に浴びながら、マリの頬は緩んで。

(ああいう所が、ミランダらしいな)

声をもらして笑ってしまいマリは恥じるように口を押さえた。

「・・今だけだ・・」

誰に聞かれている訳ではないのに、なんとなく言い訳して。


蛇口を強めにひねると、勢いよく流れるシャワーに打たれながら、マリは緩む頬を抑えるのをやめた。





朝の光りが射して、廊下に窓の形をしたアーチを作る。その上を団員達が食堂へと歩いて行くのを、ミランダは落ち着きなく眺めていた。

(・・・まだ)

時計を見ると、7時より少し前。

(そ、そろそろかしら)

そう思うと、どんどん顔が熱くなって行き、
ミランダは隠れるように背にしていた柱にコツンと額を当てた。

ここは修練場から食堂へと続く道。そろそろマリが修練を終えてこの道を通るはずなのだ。
ミランダは緊張から指先が小さく震えて、なんだか逃げ出したいような気分になる。

(・・マリさん・・)

胸がドキドキして。

待っているのは、一緒に朝食をとりたいとか、そんな大それたものではない。ただ、一言だけ言葉を交わしたくて、ここで待っている。

(おはよう・・って)

顔を見て挨拶をすれば、昨夜の事が夢じゃなかったと安心できるから。

何度思い出しても、まだ夢のようで。どうしても現実だと思えなくて。

(本当は・・・)

修練場へ行こうかと一瞬迷ったが、すぐにそんな図々しい事は出来ないと思い直し、結局ここで待つ事にした。
柱に隠れながら修練場の方を窺っていると、
扉がギィと開く音がして、誰かが出てくるのが見える。

(あっ)

出て来たのはマリの弟弟子である、神田だった。

(・・一人・・?)

いつもならば、彼の側にはマリがいるのに。どうしたのだろう・・。

(まだ、修練場にいるのかしら)

神田はミランダの視線を気にも止めていないのか、ちらとも見ずに、ミランダがいる柱を通り過ぎていく。

「か・・神田くんっ」

神田は声をかけられて数歩歩いた後、ぴたと足を止めて顔だけを僅かにミランダへ向けた。

「あ、あの」

面倒そうな視線を向けられて、ミランダはなんだかいたたまれない気持ちになり、俯いて困ったようにもじもじと指先を弄る。

「あの・・あのね・・その・・」
「・・・・・」
「そ、その・・・」

神田の刺さるような視線に、ミランダの声は小さくなる。

「・・・・あの・・」
「・・・・・」
「な・・・なんでも・・ない、です・・」

ミランダはビクビクと柱の陰に隠れるようにして、ごめんなさい、ごめんなさいと消えそうな声で呟いた。

神田は舌打ちをして、眉間の皺を深くすると、一瞬口を開きかけたが、思い直すように唇を引き結び。ふん、と鼻を鳴らして再び歩き出す。


神田はミランダが何を言いたいか、察しはついていた。

(おおかた、マリの事だろ)

修練場の扉を開けてから、ミランダの視線には既に気付いていた。いや、本人は隠れているつもりなのだろうが、あそこを通った殆どの人間は気付いていたろう。

「チッ」

ふと、いつもと様子が違った兄弟子を思いだし。

(いい年して、何やってんだあの野郎は)

朝に会った時も、本人は隠しているつもりだろうが、妙に浮ついて見えた。原因は先程声をかけてきたミランダだろうと、想像がつく。

以前から、傍で見ていて丸分かりなほど互いを想っているのに、未だくっついていないのが教団七不思議の一つに数えられるくらい謎であった。

あの冷静沈着なマリが、ミランダが絡むと挙動がおかしくなるのを間近で見ていて、面白くないような複雑な気持ちだったが、くっつくなら、とっととくっついて欲しい。
女一人に一喜一憂する兄弟子は、正直見ていて気分の良いものではないから。

しかし今朝の二人の様子だと、何か進展があったのかもしれない。

(・・・・・・)

それならそれで、いいのだが。
神田はそんな事を考えている自分に少し苛つきながら、食堂へと歩く足を速めた。


「あ!神田、おはよう」

歩く道すがら、リナリーに声をかけられて。
神田はなんとなくげんなりした気分で、振り返る。

「なによ、そんな嫌そうな顔しなくてもいいじゃない」

ムッとしたように、口を尖らして神田を見た。

「別に、そんなんじゃねぇ」
「何が『別に』よ」
「うるせぇな、用件は何なんだよ」

舌打ちしながらリナリーを見る。

「用件って・・単なる朝の挨拶よ。それ以上でもそれ以下でもないわ」
「ならもういいだろ、行くぞ」

苛つき気味にそう言うと、再び歩き出す。リナリーは肩を竦めながら、

「神田って絶対カルシウム足りないわよ、牛乳飲んだら?」
「牛の乳なんか飲めるかよ、気色ワリィ」
「・・・ほんと、偏食王よね」

呆れるように呟く。

「ねぇ、それよりミランダ見なかった?」
「・・あ?」
「マリが、探しているみたいだったのよ」
「・・・・」
「ミランダの部屋の前で見かけたんだけど、いなかったみたいで・・」

人差し指を口元にあてながら、首を傾げる。

「・・・・・・」
「神田?」
「・・・知るかよ」
「ねぇねぇ、あの二人何か進展あったのかしら。マリ何か言ってた?」
「・・・おまえ、それが聞きたかっただけだろ」
「ち、違うわよっ・・そういうんじゃないってば」

慌てて首を振るリナリーを神田はちらと見て。

「・・図星だな」

はあ、とため息をついた。




恐る恐る、扉を開ける。そっと覗くが中は無人であった。

(あ・・あら?)

そんな馬鹿な、どうしていないのだろう。朝の鍛練は一日も欠かさないと以前言っていたのに。
なんだか気が抜けて、ミランダは力が抜けたように小さくため息をつく。人のいない修練場はガランとして、なんとなく寂しい。

「・・・・」

扉を閉めようと、覗かせた顔をそっと離した時。

「ミランダ」
「!」

すぐ背後に探していた人物の声がして、ミランダはビクンと反応した。ゆっくりと振り返ると、マリが少しだけ赤らんだ顔で立っていて、

「・・おはよう」
「おは・・おはよう、ございます・・」

声が上擦り、顔が赤くなっていく。

「・・・・・・」
「・・・・・」

緊張してしまう。

「その・・よく、眠れたか?」
「え?・・あ、ええと・・はい・・」
「そうか・・」
「あの、マ、マリさんは?」
「ん?・・ああ、眠れたよ」
「そ・・そうですか」

(あなたを想って一睡も出来なかったなんて、言えない)

「・・・・・・・」
「・・・・・・」
「ミランダ・・」
「は、はいっ」
「・・その・・」

マリは迷うように言葉を詰まらせて、

「ち、朝食は食べたのか?」
「え?・・あ、いいえ。まだ、です」

そう答えると、マリはホッとしたように微笑みを見せたので、ミランダは 鼓動が速くなる。

「よければ、一緒に食べないか?」
「・・!」
「どうだろう?」
「は・・はいっ」

ミランダはコク、と頷いてマリを見る。
マリは嬉しそうに微笑んでいて、その顔は昨夜見たあの表情と同じだった。

「では、行こうか」
「はい」

マリの手が背中に触れるか触れないかの所で、エスコートするように添えられる。

(わ・・・)

恋人同士のような仕種に、ドキドキした。見上げると昨夜よりも赤い顔を、隠すようにミランダから顔を背けるマリがいて。

(マリさん)

自然に頬が緩んでしまう。

(まだ、夢みたい・・)

ミランダは半歩だけマリに近づいて、並んで歩き出した。






がやがやと、食堂の喧騒のなか。
リナリーがべーグルサンドを両手に持って口を大きく開けた時、その光景に気がついた。

(まぁ・・)

目を見開いて、べーグルサンドを皿に戻す。視線の先には、マリとミランダがぎこちなくも幸せそうに、向かい合いながら席についていた。

(とうとう、そういう事になったのねっ)

二人は固い動きのまま、パンを食べたりスープを口にしていて、それでも意識しあっているのは傍目に見ても充分分かる。
ミランダが緊張からかスプーンを落とし、カチャンと床に跳ねる音がした。マリが新しいスプーンを持ってこようと立ち上がると、ミランダが慌ててそれを引き止めている。

会話は聞こえないものの、見ていてむず痒いような、こそばゆいような光景だ。

二人は互いに頬を染めながら、結局は二人でスプーンを取りに行くことにしたらしい。
ミランダは申し訳なさそうに、でも幸せそうに微笑んでいる。

(ふ、二人で行くの?)

なんとなく、見ているこちらが気恥ずかしい。

ふと、視線をずらすと。
神田もその光景を見ていたのだろう、眉間の皺をさらに深めながら二人を背にして蕎麦を食べている。

リナリーはクスと笑いながら、再びべーグルサンドを手にして。

(それにしても・・・)

醸し出す二人の空気はなんて甘いのだろう、恋人のいない自分には目の毒だ。見ていてどうしようもなく、羨ましい。

(あーあ、私も恋人欲しいなぁ・・)

その前に相手がいないんだけど。リナリーは甘い二人を見ながら、べーグルサンドに噛り付くと、いつもはたっぷり入れるミルクティーの砂糖を、今日は入れずに口をつけるのだった。



時刻は7時半。


一日の始まりである。





End

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