D.gray-man T
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(いったい、どうしたんだ?)
ミランダの様子に首を傾げつつ、マリは修練場へと足を急いだ。
修練場からは神田の苛立った呼吸が聞こえて、マリはため息をつきながら苦笑する。やはりガス抜きは必要なようだ。
修練場の扉を開けると、神田の視線がマリに向けられたのに気付く。
「・・なんだよ」
「夕食前に、少し腹を空かせておこうと思ってな」
「あ?」
マリは軽くストレッチをしながら、
「そういえば、チャオジーの件だが」
「その話は済んだろ、ぐだぐたとうるせぇんだよ」
舌打ちしながら、手に持った竹刀をマリに向ける。
「おまえはやり過ぎるからな。チャオジーの為にも、わたしがサポートでつかせてもらうぞ」
「・・ふん・・」
「いいだろ?」
「勝手にすりゃいいだろ」
竹刀で肩を叩きながら、
「・・んな事より、早く来やがれ」
「ああ、わかっているさ・・っと」
アキレス腱を伸ばしていると、脇に抱えていた茶封筒に気付く。
「神田」
そのまま投げる。
「忘れないうちに、渡しておくぞ。師匠からだ」
神田は空中でパシッと受け取ると、嫌そうに茶封筒を見た。
「なんだよ、これ」
「さあ・・恐らくチャオジーのトレーニングに関するものだろう、神田の役に・・と言っていたから」
「役に・・だと?」
胡散臭そうに、封筒を見る。
マリはストレッチを終えて、竹刀を取りながら
「師匠はああ見えて、やはり神田を心配しているんだな」
「・・気色ワリィ事、言うんじゃねぇよ」
神田はげんなりしながら、ガサゴソと封筒の中に手を入れた。出てきたのは、蛍光色で書かれたタイトルの一冊の本。
『無修正!イクイク女教師☆ドキドキ隣の奥さん』
表紙に貼られているメモ紙が、目に入る。
『大事につかってね。 パパより』
「神田、どうした?」
神田の心音と体温が急速に上昇していくのを感じて、マリは驚いて竹刀を取りそびれる。
プルプルと、拳が震えていて尋常な様子ではない。手に持った本をグシャリと握りしめ、
「ぶっ殺す・・」
「おい、神田!」
六幻を取りに行こうとするのを咄嗟に体で止めて。
「・・っ!離せ!あのジジィは二度殺す!」
「ど、どうしたんだ・・いったい何があった」
「何がじゃねぇ!あのクソジジィッ!」
手に持った本を壁に投げ付けると、ビシィッとひびが入った。
「エロ本じゃねぇかっ!」
マリはぴく、と眉間に皺を寄せる。
「・・なに?」
「毎度毎度コケにしやがって・・ふざけんなあの野郎」
バキバキと指を鳴らして、投げ付けた本を睨み、
「あんな下らねぇもん・・くそっ!ふざけんな!ああ腹立つ!腹立つっ!!」
拳を壁にガッガッと何度も打ち付けて、ぐりぐりと擦り付けた。
「・・・・・ちょっと、待て」
「あん?文句あんのかテメェ・・!」
神田が渾身の眼力で睨み付けると、なぜかマリはひどく動揺した様子で、片手を壁につけ、もう片方の手で頭を押さえている。
「・・・その本は、そういった・・本なのか?」
「あ?」
「答えてくれ・・何かの資料とかでは・・ないのか?」
いつにないマリの様子に、神田の眉間に刻まれた皺も若干薄らぐ。
「・・おい、どうした」
「いいから、答えてくれ神田・・」
「・・・・」
あのマリがここまで動揺している事に驚きながらも、神田は苛立たしげに、
「・・フン・・くそ下らねぇ、エロ本だ」
「・・・・そうか」
マリは先刻、ミランダの様子がおかしかった事に、ようやく納得した。
(そういう事か・・・)
落ち着く為に、深呼吸を一つして。
(やはり・・妙な誤解をされたのだろうか)
目の見えない自分がそういった本を読めるわけはないのだが。あのミランダの様子からすれば、間違いなく誤解された気がする。
「・・・・・」
額を手で覆いながら、ため息をついた。
(とにかく・・誤解を解かねば)
しかし、どうやって?
何を言っても言い訳じみて聞こえそうで、怖い。
「・・弱ったな・・」
「なにブツブツ言ってんだ」
自身の怒りよりも、マリの様子が気になるのか、神田が訝しげに聞いてきた。
「・・・神田」
「なんだよ」
「悪いが、今日は付き合えそうにない」
「あ?」
片眉を上げて兄弟子を見ると、マリはとにかく困ったような、焦っているような複雑な表情をしている。
「すまん」
立ち去り際に呟くと、マリは駆けるようにして、修練場から出て行った。
「・・・?」
(なんだ・・あいつ)
神田は、マリが出て行った扉を訝しげに見ていたが、基本、他人事に興味を持たない彼はフン、と鼻を鳴らすと再び剣術稽古に戻った。
持て余す感情を掃う為、「立ち木打ち」をやろうと竹刀を構える。感情のリミッターを外して打ちまくる、この稽古は、むしゃくしゃとした気持ちの時にやる事が多かった。
(・・・・)
ふと。
何かに呼ばれるように、それに目をやる。握られ投げられした、ボロボロのその本。
「ちょっと待て」
当然だが、この場には神田だけしかいない訳で。
「おい・・これじゃあ・・」
(俺が持ってきたみたいじゃねぇか・・!)
もし、今誰かが修練場に入ってきたら誤解される可能性が大だ。
「・・くそっ」
頭を掻きむしり、茶封筒を拾うと今度は本を拾いに、ひび割れた壁まで行く。
(あのジジィ・・二度、いや三度殺す・・)
なんで自分がこんな思いをしなければならないのだ。だいたいあの男(師匠)の家族ごっこに付き合わされるのも、我慢ならないのに。
(・・だいたい何の嫌がらせだよ)
全く理解できない。一体全体、どこの次元で生きているんだ。
神田はむんずと本を掴んで封筒に入れようとしたが、一度形を崩してしまったせいか、なかなか入れづらい。
(チッ・・面倒臭ぇ)
本当はこの場に捨てて行きたいが、口の軽いラビあたりに見つかり、巡り巡ってあの師匠から、真相が語られる可能性もある。想像するだけで、ぐったりと疲労感が襲った。
(とっとと、焼却炉にぶち込んでやる・・)
そうしたら、何も考えられなくなるまで体を動かし、最後に食堂で蕎麦を食べよう。
そうだそうしよう、と呟きながら、神田は静かに修練場の扉を開けた。
様々な雑念のせいか、そこに人がいる事に、神田は気付けなかった。
《ドン!》
「!」
扉を開けた直後、ちょうど入って来ようとした誰かとぶつかってしまう。
「ああっ!神田先輩っ・・すみません」
チャオジーだった。
舌打ちしながら、ぎろりと睨み付けて。素通りしようとすると、チャオジーの嬉しそうな声が響いた。
「神田先輩っ!俺のトレーニングに付き合ってくれるって、本当っすか?」
「あ?」
「さっき、師匠から聞いたんすよ!」
興奮気味に拳を握りながら、キラキラした瞳で神田を見ている。
「邪魔だ、どけ」
神田はこの弟弟子が苦手だった。
なぜか自分に懐いていて、まるで犬のように尻尾を振ってくる様は不愉快以外の何ものでもない。
どんなに無視しようが、笑顔で寄り付いてくるから、神田は苦手というよりも、あの師匠に通じる末恐ろしさすら感じていた。
「あっ、どこ行くんすか?俺お供します!」
「うるせぇ、ついて来んな!」
目を剥いて睨み付けるものの、
「待ってくださいよ、神田先輩っ」
全くこたえた様子はない。
それどころか、会話できていると思い込んでいるのか、なぜか嬉しそうについて来る。
このままでは焼却炉にまでついてきそうな雰囲気だ。
「おい」
「なんすか!」
「トレーニングみてやるから、修練場で待ってろ」
「えええっ!ほ、ほんとっすかぁっ!」
やったぁ!と喜ぶ姿を尻目に、神田は急ぎ足でその場を立ち去ろうとするが。
「あ、もしかして何か届け物っすか?」
「あ?」
チャオジーの視線が、あろうことか茶封筒を捉えていて。
「よかったら、俺行きましょうか?」
「!?」
「任せて下さい、ビュッと行ってくるっす!」
バッと封筒に手をのばされて、神田は咄嗟にそれを背中に回した。
「テッ・・テメッ!余計な事すんじゃねぇっ」
「へ?」
「い、いいからここで待っていやがれ!!」
後退りしながら、怒鳴り付ける姿はあきらかに怪しい。
「神田先輩・・?」
チャオジーは首を傾げたが、何かを思いついたらしく、パッと顔を輝かせた。
「遠慮するなんて、水臭いじゃないすか!」
「遠慮なんてしてねぇ!」
「大丈夫、俺に任せて下さいっ」
チャオジーは満面の笑顔で、神田の手から封筒を取ろうと手を伸ばしてくる。
ただでさえ動揺している神田は、後ろ手に持ったそれをガードするあまり、後ずさる足元の注意が、疎かになっているのに気付かなかった。
神田の背後には、切り抜いたように丸く窪んだ、穴にも似た組み手用の設備。砂が敷かれているので、修練での激しい衝撃を軽減してくれる。
じりじりと後退りしていたせいで、さっき扉近くにいたのに、いつの間にか修練場中央へ戻っていたのだ。
「ああっ!神田先輩っ」
「!?」
チャオジーの声に反応する間もなく、踵を踏み外すようにして、神田はガクンと後ろへ倒れて行った。
(!・・しまった)
この一瞬の隙に、封筒を持つ指の力が弱まり、それはまさにスローモーションの如く、封筒から例の本が飛び出る様が神田の眼に映る。
動揺が動きに出たのか持ち前のスピードは鈍り、のばした手は虚しく空を切った。
そうして、
その本を、チャオジーが空中で掴んだのを、自身の鍛え上げた動態視力で確認すると。
(ーーーー!!)
この場にはいない、モジャモジャ頭の師匠へ、怨みの叫びを心で上げたのだった。
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