D.gray-man T







「・・まったく」


独り言のように、ぽつり呟き、顎に伸びた髭を確認するように摩った。

ティエドールのアトリエに呼び出されたマリと神田は、黄昏れるように窓の外を眺める彼らの師匠に、双方違う感想を抱いていた。

「どうかしましたか?」

マリが、いつもと様子の違うティエドールに問う。

「うーん・・」

腕を組んで、難しい表情でマリと神田を見ながら

「君達・・今日は何の日か知ってるのかい?」
「は・・今日ですか?」
「・・・・・」

師の言わんとしている事を察知すると、神田の眉間の皺が深くなり、苛立ちぎみに舌打ちをしたのが聞こえた。

今日は2月14日、バレンタインデーだ。

「・・そう、バレンタインだ」

うん、と頷いて。

「今年は、マーくんは大丈夫だろう・・ミランダがいるからね」
「は・・はあ」
「問題は・・・」

ちら、と神田を見る。

「・・なんですか」

ピキ、と音がしそうな程血管を浮き立たせて。

「ユーくんは・・」

ティエドールは、そわそわとしながら。

「その・・気になる子とかいないのかい?」
「あ?」
「コラ、神田」
「ユーくんぐらいの年頃なら、なかなか素直になれないもんさ」

わかってるよ、と頷く。

「だから心配なんだよ」

はあ、とため息をついて神田を見た。

「まさかそんなくだらねぇ理由で呼び出したとか・・ないですよね」

青筋を走らせつつ、神田は努めて冷静を装う。この師匠に己の感情を吐露しても、逆効果になることは長年の戦いで骨身に染みていた。

「僕はね、ユーくんぐらいの年頃にはモテてねぇ・・パンツを履く暇もないくらいだった」

遠い目をして、昔を懐かしむように言うと、

「ユーくんも年頃なんだから、恥ずかしがらずに積極的になってはどうかな?」

ねぇ?と同意を求めるように、マリを見た。

そのマリは苦笑いをして、この後の神田をどうやって静めるかを思案している。
ティエドールはふざけている訳でも、からかっている訳でもない。純粋に息子(?)の青春を心配しているだけなのだが、それ故に始末に負えないのだ。

「マーくんからも、恋の素晴らしさを教えてあげてくれないかい?」
「は?・・あ、はあ・・」
「それはそうと、ミランダからチョコレートはもう貰ったのかな?」
「い、いいえ・・まだですが」
「何だって?もう夕飯に近いよ・・まさかミランダ忘れていたりしないよね?」

矛先が、神田からズレてきているのを感じる。
神田はこういった話題が続く事が耐えられないようで、ギリ、と歯軋りをして、なんとかしろとマリを睨んでくる。

(・・・・)

気付かれぬような、小さくため息をついて。

「その、ミランダとは後ほど会う約束をしていますので・・」

約束はしていないのだが。

「ところで師匠、わたしたちに何か用事があったのではありませんか?」
「ん?ああ・・そうそうチャオジーの事でね」

思い出したように、手を叩いた。
ティエドールは眼鏡を外し、ハンカチで拭きながら、

「そろそろ・・あの子の初任務も近いようだから」
「そうですね」
「うん・・で、二人に実戦用のトレーニングを教えてやってもらいたいんだよ」

眼鏡をかけ直し、書類のような紙を見ながら、

「まあ・・任務もあるだろうから、空いている時間でいいんだけど」

神田は関係も興味もないというように、視線をずらしていたが、ティエドールがずいっと、手元の書類を神田の前に差し出した。

「頼むよ、ユーくん」
「・・あ?」
「今回はユーくんがメインでチャオジーを教えてやってくれるかな?」

はいコレ、と書類を手に乗せられる。

「何で、俺なんですか?」

その顔は、明らかに嫌そうだ。

「だって、ユーくん恋人いないから」
「なに?」
「マーくんは、ミランダとの愛を育んでいるんだから・・邪魔しちゃ悪いだろ?」

ぽん、とマリの肩を叩く。

「師匠、わたしなら神田の時の経験もありますし・・」
「あー、ダメダメ!そういうのが1番のトラブルなんだから」

手を振りながら、顔をしかめた。

「いいかい?仕事ばかり優先していると恋の女神は逃げちゃうんだよ」
「は・・はあ」

なんだか気恥ずかしい。

「ユーくんもマーくんの恋を応援する気持ちで、頑張れるよね?」

その子供を諭すかのような言い方は、神田の勘に障った。
差し出した書類には、トレーニングメニューが書かれている。一刻も早くこの場を去りたくて、神田はそれを奪い取るようにわしづかみすると、

「・・やりゃあいいんでしょ」

苛立ちぎみに舌打ちして、そのまま踵を返すようにドアへと向かう。

「神田、どこへ行くんだ」
「うるせぇな、用は済んだんだろ?」
「ユーくん、一緒に晩御飯たべないか?」
「・・・・・」

朗らかな声で問いかけるティエドールを、宇宙人を見るかのような視線を向けると、

「・・けっこうです!」

神田は、力任せにドアを閉めて出て行った。
マリは頭を掻きながら、

「師匠・・やはりチャオジーの件はわたしが・・」
「聞いたかい?マーくん・・」
「はい?」
「・・『けっこうです』だって。ユーくんがそんな言葉知ってるんだねぇ・・」

しみじみと、嬉しそうに口髭を撫でた。

「は、はあ」
「あっと!」

ティエドールは何かを思い出すように額を叩く。

「悪いけどあとでコレ、ユーくんに渡しといてくれるかな?・・忘れてたよ」

がさごそと、袋から茶封筒を取り出した。
茶封筒を腕に抱えると、書類にしてはズシン、と重たい。

「ああいう性格だから・・きっと他人には聞けないだろうからね」

肩を竦めるように笑うと、ティエドールは独り言を言うように

「ユーくんの役に立ってくれるといいんだが・・」
「・・師匠」

一風変わっているが、やはり神田を心配なのだ。チャオジーのトレーニングに向けての、参考資料を集めてくれたのだろう。

マリも苦笑しながら「早速追いかけます」と
一礼して、ティエドールのアトリエを後にした。


ティエドールのアトリエから出て、階段を上る。
神田の心音は、やはり思ったとおり修練場から聞こえていて。苛々したり、むしゃくしゃした後は決まって体を動かすのは、子供時代から変わりはないようだ。

(・・やれやれ・・)

さて今回はどうやって、あいつの苛立ちを静めるか。疲れたようにため息をもらす。
階段を上りながら、窓から夕日が沈んでいくのが、頬に感じた。

(そろそろ夕飯時か)

ふと、ミランダを思い出す。
付き合って、ようやく恋人という言葉に慣れ始めた彼女とは、特別な用事が無い限り、夕飯を共にするのがいつの間にか約束になっていた。

おそらく、神田の元へ行けば鍛練に付き合わされるだろう。
断ってもいいのだが、不機嫌な弟弟子は何かとトラブルの種でもある。ここはやはり、自分がガス抜きをしてやらねばなるまい。

(ミランダに・・言っておかねば)

今日は、朝から忙しくてまともに彼女と会話できなかったせいか、そうは思っても、マリの気持ちはなんとなく沈んでしまった。


その時。

カツン、カツン、カツン・・

聞き覚えのある足音をマリの耳が捉える。その存在を確かめると、頬が緩んだ。
下りてくる足音が、ちょうど一つ上の階に止まるのを聞いて、マリはたまらず声をかける。

「どこへ行くんだい?ミランダ」
「!・・マ、マリさん・・」

跳びはねる心音を聞いて、マリは微笑む。ミランダが嬉しげに、駆け下りてくるのを感じて、

「ミランダ、ゆっくりでいいから」
「あっ、は、はいっ・・」

キュッと、足を止めたがかえってバランスを崩したようで、ミランダはよろめいてしまう。

「きゃっ・・!」

足首が、くにゃと曲がり、倒れ込むように前傾するとミランダはそのまま伸ばされたマリの腕に、すっぽりと収まった。

「大丈夫か?」
「あ・・す、すいませんっ」

まるで、抱きしめられているようで。ミランダは耳まで赤く染まる。

フワフワしたくせっ毛がマリの鼻をくすぐり、ミランダ特有の優しい香りがして。マリは、突然の役得にそっと目を閉じた。

そうして、抱きしめる腕の力を強めながら、沈んだ声で呟く。

「ミランダ、すまない・・」
「え・・・」
「今日は、夕食を取るのは無理そうだ」

ミランダの呼吸は、落胆しているのがはっきり感じられた。

「そ・・うですか」
「なんだか色々と予定が狂ってしまってな・・」

腕に引き止めた、彼女をゆっくりと離す。ミランダはしょんぼりと俯いていたが、やがて何かを思い切るように、

「あのっ・・・後で、お部屋に伺っても、いいですか?」
「ミランダ?」

ドキリ、とした。

「あ・・あの、渡したいものが・・」

その、あの、とモジモジしながらチラとマリを窺う。
その様子に、今日がバレンタインである事を急に意識してしまい、マリは自身の頬が熱くなるのを感じた。

照れ隠しのように、咳ばらいをして。

「それなら・・わたしがミランダの部屋へ行くよ」
「そ、そんなっ・・ダメです」
「いや、用事がいつ済むか分からないんだ・・それに、夜は冷えるから」

ミランダは首を振りながら、

「ダ、ダメですっ・・今日だけは・・私が行きたいんですっ」

顔を赤くしながら小さく叫んだ彼女に、マリは少しだけ驚きながら

「わかった・・では、夜9時頃には部屋にいるようにするよ」

微笑んで、ミランダの頭をそっと撫でた。
彼女は、少し恥ずかしそうに身を縮めて。それから、赤い顔を隠すように頬に手をやると、小さく頷いた。

「・・では、早く用事を済ませてくるかな」

肩を竦めて笑って見せると、ミランダもつられるように笑う。

「あら?マリさん、封筒・・落としました?」
「ん・・?」

そういえば、師匠から預かった茶封筒がない。さっきミランダを抱き留めた拍子に、滑り落ちたのか。

「あそこに・・落ちてますよ」

ミランダは階段を下りて、踊場に落ちている茶封筒を拾い上げる。

「え?」

ミランダが不思議な声を発したので、マリは訝しげに振り返った。

「どうかしたのか?」
「・・・・・」
「ミランダ?」
「え!あ、いいえっ・・な、なんでもっ」

バタバタと慌てるように、茶封筒をマリの手に押し付けて。

「じ、じゃあ・・そのっ、失礼しますっ・・」
「どうかしたのか?」
「いいえ、いいえっ・・」
「ミランダいったいどうし・・」

マリが次の言葉をかける暇も与えず、ミランダは危うい足取りで、一目散に階段を駆け下りてしまった。



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