D.gray-man T






ミランダは基本的に、我が儘を言ったり何かをねだったりする事はない。

もし、言ったとしたらマリは喜んで彼女の願いを叶えようとするだろう。
欲しい物があるなら買ってあげたいし、連れて行って欲しい所があるなら、たいていの都合をキャンセルをしてもミランダの事を優先させる気持ちはある。

正直言えば・・。恋人としてはもう少し、自分に甘えてきて欲しいと常から考えていた訳だから、そう言った可愛い我が儘を、口に出してくれただけでも喜ぶべきなのだろう。

(・・・しかし・・)

これだけは、駄目だ。
マリはミランダが口に出した『お願い』に、冷や汗が出た。

「耳掃除を、させてもらえませんか・・?」

彼女の声は、緊張からか上擦って。その様子からほんのり頬が染まっているのを、感じた。

(なんてことだ)

視覚を持たない自分にとって、耳は第二の心臓と言っても過言ではない。
定期的に、耳鼻科で主治医にピンセットと吸い取り機で耳垢を取ってもらい、音の聞こえが悪くならないよう、細心の注意を払っている。

「い・・いきなり、どうしたんだ」
「・・だ、駄目でしょうか?」
「駄目・・というか・・」

商売道具でもあり、見えない目の代わりになる唯一のものだ。

やはり・・・

(・・怖い・・)

ゴク、と生唾を飲む。

リボンを結べば縦結び、食事中にスプーンやフォークを手から滑らせるのは日常茶飯事。
趣味の裁縫でも、布の代わりに指を刺してしまう彼女に、自分の耳を預けるのが。

(・・・・・)

マリは苦しそうに、眉を寄せると

「その・・ミランダ・・」
「は、はい」

何と言えば、彼女を傷つけずに断れるのか。

「耳かきは・・ついこの間したばかりなんだ」
「そ・・うですか」
「すまない・・」
「い、いえっ・・ごめんなさい・・変な事、言って」

ミランダは慌てて首を振って、笑顔を作った。

「あの、気になさらないでくださいね・・また、今度・・機会があれば」
「あ、ああ。そうだな」

彼女の声音に明らかな落胆を感じて、マリの意志は崩れそうになる。
揺れ動く、己の気持ちに蓋をするようマリは強いて笑顔を作り、

「では、師匠からの用事があるから・・ここで失礼するよ」
「はい・・」

ミランダが頷いたのを感じると、マリはその場から立ち去った。





アイスティーの氷をストローでカラカラと動かしながら、ぼんやりと、その溶けかかった氷を眺めていた。
ふう、とため息をついてミランダはアイスティーを一口飲む。

(・・・・・・)

脳裏に浮かんだのは、数日前の食堂での事。

科学班で刻盤のメンテナンスを終えて、ミランダが昼食をとりに食堂へ来たのは、14時を過ぎていた。

人もまばらで、同じように遅い昼食を取っている、探索班や医療班の団員が数人いるぐらいである。

ミランダが一人サンドイッチを食べていると、背後から医療班らしい女性達の声が、聞くという訳ではないが耳に入ってきた。

『そういえば・・そろそろよね』
『え?何が・・?』
『ほら、エクソシストのノイズ・マリさん・・耳掃除に来る頃よね』

突然、恋人の名前が出て、ミランダはカフェオレをこぼしそうになる。

『準備しておかないと・・ライトの電球切れていたから』
『あら、それならこないだ取り替えたわよ』
『ほんと?ありがと。あの先生、新しい電球じゃないと文句言うのよね』
『それより、今回は誰が仕上げのクリーニングするの?』
『ふふふ、あたしよ』
『ええっ・・いいなぁ、あたし暫く回ってこないのよね』

ミランダは知らずに聞き入っていた。
マリの耳掃除が、いったい何だというのだろうか・・?

『あの気持ち良さそうな表情が、いいのよねぇ・・』
『わかるわかる、なんていうの?大きな熊を手なずけてるみたいな感じ』
『そうそう!』
『ほんとは仕上げだけじゃなくて、最初からやらせて欲しいくらいよ』
『そうよね、なんかあの姿見てると癒されるわよねぇ』

クスクスと聞こえる笑い声を背にしながら、ミランダの顔はどんどん沈んでいき、サンドイッチも喉を通らず、手に持ったカフェオレはぬるくなって。

結局手をつけることなく、彼女達が食堂から出るまで動けずにいた。



氷を回し過ぎたのか。アイスティーはずいぶんと薄くなってしまった。

(何をやっているのかしら・・・マリさんにとって耳がどれだけ大切かなんて、分かるじゃない)

断られて、当たり前だというのに。
ミランダはストローをくわえたまま、そっと目を伏せる。

(・・それほど気にしているわけじゃないけど)

彼女達は、単なる仕事の一環でマリの耳に触れているだけ。特別なものではない。

(でも)

ちゅう、と薄くなったアイスティーを飲む。
自分の知らない彼を、他人が知っているという事が面白くなくて。
単なる嫉妬だと、思い至ると情けない気持ちになる。

また一つ、小さなため息をもらすと、ミランダはアイスティーを飲み干した。

「ミランダ、どうしたの?」

聞き慣れた声がして、ミランダは顔を上げる。

「あ・・リナリーちゃん」
「どうしたの?ぼうっとして。何かあった?」

リナリーは昼食のパスタをテーブルに置いて、ミランダの向かいに座る。リナリーの後ろには、ラビとアレンがそれぞれの食事を手に持って歩いてきた。

「ミランダさん、お食事は終わったんですか?」
「ん?つーか、まさかそのアイスティーだけとか言うなよ」

ラビは箸をくわえて、カツ丼を手に持ったままリナリーの横に座る。

「え・・・そ、その」
「そうなの?ミランダ」
「よかったら、僕のオムライス食べますか?」
「い、いいえっ・・その、大丈夫よ。ごめんなさい心配かけて・・」

ラビはカツ丼にソースをかけながら、軽い口調で

「なんか浮かねぇ顔してっけど、何、マリとケンカでもしたんさ?」
「ちょっと!ラビったらソースかけすぎよ」
「オレはソースに溺れたカツ丼が好きなんさ」
「それじゃあカツ丼じゃないですよ、ソース丼じゃないですか」
「だいたいカツにソースの味がしない事のほうが、オレに言わせりゃ邪道だね」

ハッと鼻で笑うラビを見て、呆れ気味にリナリーとアレンは顔を見合わせた。

「・・そんなことより」

ミランダの頭上から声がして、つられるように振り返る。

そこには、トレーをデザートでいっぱいにした、リンクが立っていた。
リンクはミランダを見ると、顔の赤みを隠すように咳ばらいをして。

「こ、こんにちは・・ミス・ミランダ」
「こんにちは、ハワードさん」

ちょうど右横の席が空いていたので、体を左側に詰める。リンクは戸惑うような様子を一瞬見せたが、ミランダの右横へ腰を下ろした。
その様子にラビがニヤニヤと意味ありげに笑いつつ、

「で?何が『そんなことより』なワケ?」

リンクはイラッとした様に、片眉を上げると

「君が言ったのでしょう?『マリとケンカでもしたか』・・と」
「ん?・・ああ、そうだったっけ」
「そうなの?ミランダ」
「喧嘩したんですか?」

ミランダはいきなり話題がこちらに向けられたので、困ったように眉を寄せた。

「け、喧嘩なんかしてないわ」
「本当?でも・・なんだか元気ないわね」
「あ、いえ・・ちょっと考え事をしていたから」

ラビはカツ丼をかきこみながら

「悩み?なんの?」
「そ・・それは」

言いづらそうに口ごもる。リンクはラビを睨み付けると、

「まったく、君はどうしてそうもデリカシーがないんですか」
「へ?なんで」
「人には言いたくない事だってあるんです。その辺をもう少し弁えて、口にしたらどうですか」
「ていうか、リンクからこの話題振ったんですよ」
「そうよねぇ」

アレンとリナリーがぽつりと呟く。

「っ・・そ、それは」
「い、いいのよ・・あの、たいした事じゃないの。ほんとに」

ミランダが慌てて手を振った。

「その・・無理なお願いをしちゃった・・というか」
「お願い?ミランダさんから?」
「あら、いいじゃない!マリ喜んだでしょ?」

ミランダはふるふると首を振り、曖昧に笑うと。

「それが・・どうも断られちゃったみたいで」
「マジで!?・・マリが?」
「い・・いったい、何のお願いしたの?」

ミランダはもじもじと、スカートを弄りながら。
「・・・・じ」
「え?何?」
「ワリ、よく聞こえなかった」



「み・・耳掃除・・」



聞こえないくらいの声で、呟いた。




「・・・・・・」
「み・・耳」
「耳掃除・・ですか」

三人は、なんとなく顔を見合わせる。

((・・それは・・))

ミランダは強いて笑顔を作りながら。

「い、いいのよ・・その、分かってるし。私みたいなのがマリさんの大事な耳を掃除なんて・・」
「・・い、いやほらマリの耳は特別だしさ、なんかあるんじゃね?」
「そ、そうですよ・・なんか凄い技が必要だとか?ね、ねぇリナリー」
「きっと、私たち一般人の耳掃除とはひと味もふた味も違うんじゃない?」

ミランダは何かを考えるように、口元に指をあてた。

「凄い・・技・・?」
「いや、そりゃ物の例えさ。きっとかなり練習が必要なんじゃね?マリの耳掃除するには」
「そう言われたら・・そうかもしれないわね」

納得したように、ミランダが深く頷いたので、三人は顔には出さずも安堵した。

「じゃあ・・」

しかし、次のミランダの言葉に三人は凍り付く。

「あの・・誰か練習させてくれない?」

手を胸の前で組んで、潤んだ瞳でそっと上目使いで見つめられると、そのいじらしい仕草に断りづらくなる。しかし心を鬼にして三人は目を逸らす。

(ごめん・・ミランダ!オレまだ、聴きたいものがあるんさ・・)
(ミランダさん・・ごめんなさいっ!あなたの事信頼してないわけじゃないんです・・でも)
(違うのよっ・・私、あなたの事大好きなのよ・・でも、でもっ・・)

「ごめん、オレ昨日掃除したばっかなんさ」
「えっ!ラビもですか?実は僕もなんですよ」
「私もなのよ、なんだか偶然ね〜・・」

三人の言葉に、落胆した顔をミランダは一瞬浮かべたが、

「そ、そうなの・・ごめんなさいね、あの気にしないでね」

笑顔を見せた。

その時。

「・・あの・・」

今まで沈黙していた男が、声を発して。全員がその男に視線を向ける。

「よろしければ・・・わ、わたしが」

リンクだった。

「リ、リンク・・?」
「ちょっ・・おまっ・・」
「無茶よ・・!」

三人は小声で叫んだ。

「いいんですか・・?ハワードさん」

嬉しそうにほんのりと頬を染めるミランダに、リンクの鼓動は速まる。小さく頷いて、咳ばらいをすると、

「その・・お願いします」
「こちらこそ・・!」

ミランダはリンクの手をぎゅう、と握った。
リンクの顔はさらに赤く染まったが、ミランダはそのまま彼の手を握り絞めていた。

「その・・それで、いつ練習させていただけますか・・?」
「わ、わたしならいつでも・・!」

アレンが苦笑いしながら

「・・ねぇ、僕の監視、忘れてません?」
「バッカ、今いいとこなんだから見てろよアレン・・」

ミランダがハッとして

「そ、そうよね・・アレンくんの都合もあるのよね」

ごめんなさい、とリンクの手を離した。

「ウ、ウォーカー・・」
「・・・」

リンクから殺気のこもった眼差しを感じて、アレンの顔は引き攣る。

「い・・いえ、僕もミランダさんにお付き合いしますよ」
「ほ、ほんとう?」
「ええ」

リンクはミランダの瞳を見つめて、

「そ、それに・・いざとなれば他の監視役を派遣します」

(それは・・マズイんじゃないの?)

周囲の顔は引き攣ったが、ミランダは嬉しそうに頷いた。

「場所は、どうしましょうか?・・その、人目が無いところがいいですよね?」

リンクは落ち着きを取り戻すように、コーヒーを一口飲んで、

「わたしは、どこでも気にしませんが」
「そうですか・・?」

ミランダは少し考えて、

「あの、ハワードさんがお嫌じゃなければ・・私の部屋では?」
「ブッ!!」

リンクは咄嗟にコーヒーを吹き出す。リナリーが慌てて、

「そ、それはやめた方がいいわ・・その、変な誤解されないように」
「談話室じゃだめなんさ?」
「あの・・でも談話室は人目がありすぎて、ハワードさん嫌じゃないですか?」

おずおずと聞くと、リンクは吹き出したコーヒーを拭いながら、

「そ・・その、談話室で大丈夫です」
「じゃあ・・お茶の時間が始まる前に、させてもらってもいいでしょうか」

ミランダの瞳はやる気にあふれて、キラキラと輝いている。そんな彼女に見とれながら、

「わ・・わかりました、伺います。」

リンクが頷いたのを確認すると、ペコッと頭を下げて、彼女にしてはめずらしく軽やかな足取りで食堂を後にしたのだった。


「・・やったじゃん、リンク」

ミランダの姿が見えなくなり、ラビは呟いた。

「・・何がですか」
片眉を上げて、ちらと見る。

「っていうか、リンクまだ諦めてなかったんですね」
「ほんとよね、マリと恋人同士になったって聞いた時、あんなに落ち込んでたのに」

アレンが思い出し笑いしながら

「あの時は大変だったなぁ・・夜も歯軋りが凄かったし」

リンクはくいっとコーヒーを飲み干すと、カップを静かにテーブルへ置く。

「何を、下らない事を」

フン、と鼻を鳴らしナフキンで口元を拭った。その姿は最近の傷心の彼ではなく、勝ち誇ったように不遜な態度である。



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