D.gray-man T
4
食堂を出て。神田はフランスパンで肩を叩きながら、廊下を歩いていた。
(あいつ・・呑めんじゃねぇか)
以前聞いた話と随分違う。
(・・ま、関係ねぇけどよ)
自室へと足を進めていると、背後から急ぐ足音が聞こえて神田は足を止めた。
「神田・・!」
振り返ると、マリがこちらへ駆けて来る。
(?)
なぜかその姿に奇妙な違和感を感じ、神田は片眉を上げた。
「帰っていたのか」
「あ?・・ああ」
目の前のマリに変わった所はないが、その違和感は消えない。
(・・何だ?)
「遅かったな、お疲れ様」
神田の肩に、手を置いた。
「!?」
「お前は頑張りすぎるから、何かと心配なんだぞ」
頭を撫でられ、
「き、気色悪い事すんじゃねぇ!」
神田はその手を叩き落とした。
「なんだテメェ、何のつもりだ」
「何のつもりも、可愛い弟弟子の無事を喜んでいるんだぞ」
マリの顔が嬉しそうに笑う。
「おい、どうした?なにジジィみてぇな事言ってやがる」
「そう言うな、師匠もお前を可愛いから言ってるんだぞ」
また頭を撫でようとするので、咄嗟にフランスパンでその手を叩き落とした。
(なんだコイツ・・)
顔を引き攣らせ、後退りする。マリはそんな神田の様子は全く気にしていないのか、
「ハハハ、まったくお前はヤンチャだなぁ」
(ヤンチャ!?)
全身に鳥肌が立つのを感じた。
「お、おい・・マリ」
一見しても、分からないが。まさか・・・
「・・酔っ払ってんのか?」
マリは先程叩かれた拍子に落とした、フランスパンを拾った。
「酔っ払う?・・さあ、どうだろう確かに気分は悪くないが」
「酔ってんだろ、間違いなく」
「ハハハ、そうかもしれないな」
笑顔でフランスパンを神田に渡すと、
「今夜は寒いから腹を出して寝るなよ、風邪をひくからな」
神田の背中を軽く叩いて、再び走り出した。
「・・・・・・」
走り去るマリの背中を見ながら、
神田は言いようのない気色の悪さに奇妙なデジャヴュを感じた。
まるで、かの師匠がそこにいるような・・
自分の足音だけが、響き渡る。何の音もしない空間で、ミランダはうずくまり、泣き出した。
焦ってクラウドを捜しに出たものの、冷静さに欠けたミランダは、ものの10分で迷子になってしまった。
それからほぼ1時間、なぜかどんどん暗い方へと進んで行き、マリを助けるどころか、自分のピンチを招いてしまったのである。
(マリさん、ごめんなさい・・)
膝を抱えて、鼻水を啜った。
(大丈夫かしら・・マリさん)
具合が悪くなったり、倒れたりしていないだろうか。暗いなかミランダの吐く息が白くて、マリが今夜は冷えると、教えてくれたのを思い出した。
(どうしよう)
体が震えてくるのを感じる。外は雪でも降っているのだろうか・・。
(朝になったら・・誰か通るかしら・・でも、その前に凍死したらどうしよう)
はあ、と手に息を吐きかけて擦り合わせる。
けれどもマリが心配で、暗さも寒さもそれほど、辛くはなかった。
「?」
足音が聞こえた気がして、ミランダはその方向を見る。階段を降りる、タンタンタンという音が聞こえた時、ミランダは確信して立ち上がった。
「・・あっあのぅっ・・」
震える声を、何とか搾り出す。
「ミランダ、大丈夫か?」
暗がりから聞こえた声に、ミランダの心臓は跳びはねた。
「マ、マリさん!?」
「一体どうして、こんな所に?」
乱れた息に紛れて、アルコールの匂いがして。マリがテキーラを呑んできたのが分かる。
「マリさん、大丈夫でしたか?あの・・あんな強いお酒」
「ああ、大丈夫だ。クラウド元帥が助けてくれた」
「そ、そうですか・・よかった」
ホッとため息をつく。
「それより、ミランダ・・」
マリの手が伸ばされて、ミランダの頬を包んだ。
「!」
「ずいぶん冷たいな・・寒かったろ?」
「え・・えと、その」
顔が熱くなるのを感じる。
「もう、大丈夫だ」
包んだ頬を優しく撫でると、
「さあ、行こう」
「!」
背中に手を回し、ひょいと軽くミランダを持ち上げた。
「えっ・・ええっ」
「ほら、体も冷えてるじゃないか」
耳元でそっと囁き、歩き出す。
「あ、あのっ、その・・」
「どうした?まだ寒いか?」
ぎゅう、とまるで抱きしめるように腕の力を強められて、ミランダは密着感にますます顔が熱くなった。
普段のマリは、こんな急にミランダに密着したりしない。
(ど、どうしたのかしら・・マリさん)
そっと窺うも、暗くて表情がよく分からなかった。
ミランダがいた場所は、普段あまり使われない会議室がある一角で、マリが来なければ、明日になってもミランダは迷ったままだったろう。
階段を抱かれながら上ってると、
「ミランダは、軽いな・・」
「そ、そうでしょうか・・」
「ああ、抱いていないみたいだ」
そっと笑って、その場でクルリと一回転してみせる。
「きゃっ!マ、マリさん?」
「階段でやることじゃなかったな」
「・・・・」
マリは悪戯っぽく笑って、突然ミランダの額にキスをした。
「!?」
「こうやって・・ミランダをこの手に抱いているのは、幸せだな」
「あ、あの・・マリさん?」
「どうかしたか?」
階段を上りきって、どこかのフロアに出たらしく、マリの歩みが速くなる。
「・・い、いいえ・・」
軽く首を振った。
(マリさん・・もしかして・・少し・・酔ってる・・?)
見たところまったく変化はないが。
「あの、マリさん・・酔ってらっしゃいます?」
おずおずと聞いてみると、マリの歩みが止まった。
「ミランダ・・・」
「えっ?あ、ごめんなさい・・ち、違いますよねっ・・」
訂正するように、手を振ると、パッとその手を取られる。
「マリ、さん?」
「・・敬語はやめてくれないのかな?」
手の甲に、唇を寄せた。
「!・・」
「ミランダ・・」
「は、はい・・」
マリの見えない瞳が、ミランダを映していて。まるで火を燈したように、切なげに揺らめいて見える。
「・・愛しているよ、心から」
「マリさん・・」
キュウン、と胸の奥が締め付けられて。マリの指がミランダの唇をそっと、なぞった。
その逞しい腕に抱かれ、ミランダは身を任せるように目を閉じる。彼は酔っているかもしれないが、そんな事はどうでもよかった。
「わ、私も・・愛して・・ます」
窓を揺らす風の音が聞こえ、微かに空気が揺れるのを感じた時、柔らかな感触に、唇が包まれるのを感じた。
(あ・・・)
触れるだけの口づけは、感触を愉しむようにゆっくりと動き、啄むようにチュ、と鳴らして、そっと離れた。
熱に浮されるように、ぼんやりとマリを見つめる。マリは、抱き上げている腕の力を強めて、
「・・行こう」
ミランダの耳に囁いた。
唇に、そっと指で触れて。さっきの口づけの感触を思い出す。まるで夢のような、不思議な心地。
(キス・・しちゃった・・)
目を閉じて余韻を感じていると、どこかの扉が閉じられる音がして、ミランダは驚いて目を開けた。
「・・?」
(あら・・?)
暗いが、見覚えがある部屋。
(!ここって・・)
数える程しか入っていないが、間違いない。
「こ、ここって・・その、マリさんのお部屋ですよ、ね」
「ミランダ・・」
そのままマリはベッドへ腰掛けると、ミランダを膝に座らせる。
包むように優しく抱きしめられるが、ミランダは緊張から身を硬くした。
「あ・・あの、マリさん・・ええと・・」
(どどどういう事なのかしらっ、ここれって・・ままさか・・)
マリは、ミランダの頬にキスをして
「まだ、離れたくないんだ・・」
「えっ・・で、でも・・」
「駄目だ・・今日は、離したくない」
抱きしめられて、ミランダはそのままベッドへ倒された。
「ミランダ・・・愛しているよ、本当だ・・」
「マリさん・・」
見上げる彼の顔は暗くてよく分からないが、その声は優しい。
ミランダの首筋に顔を埋めて、マリは強く抱きしめる。まるで自分でミランダを覆い隠すようだ。
(ち、ちょっと・・ま、待って・・マ、マリさん)
さすがにキスより先は心構えが出来ていない。今日初めて唇のキスをしたばかりなのに、それ以上の関係になるのは、まだもう少し時間が欲しいのだ。
「ま、ま、待って・・」
勇気を振り絞り、両手に力を込めてマリの胸を押した。
「わ、私たち・・まだ、そういうのは早いと思いますっ・・」
マリの体の重みを両手で支えながら
「その、もう少し時間が欲しいというか・・も、もう少しだけ・・あ、あの・・けして嫌だとかじゃないんですけどっ・・私も、その、いつかはそういう関係に・・って・・で、でもまだ早いと思うんですっ・・」
「グゥ」
「・・?」
埋めた首筋から聞こえる寝息に、ミランダの動きが止まる。
「マ、マリさん・・?」
恐る恐る、頭をぽんと叩いてみると。
「グゥ・・スゥ・・」
安らかな、寝息が続いていた。
(寝ちゃった・・?)
ホッとしつつも、ちょっとだけガッカリしてしまう自分もいて。
(・・やっぱり、酔ってたのかしらマリさん)
ミランダはゆっくりと態勢をずらして、マリの腕を取る。
『ギュッ』
(え?)
逃さないという風に、マリの腕はミランダの腰を捕まえていた。
・・・じゃあ、今夜はこのまま?
(・・そ、それは)
マリの息が首筋に感じる。抱きしめられて、彼の胸に顔が近い・・。
(ど、ど、どうしましょうっ・・・!)
心臓が早鐘のように鳴り響き、ミランダは胸を押さえる。
「・・・・マ、マリさん?マリさん・・あの、マリさん・・?」
もう一度、声をかけるが反応はない。規則的な寝息が首筋に感じられるだけ。
ミランダは、小さくため息をついた。
「・・・マリさん?あの・・マリ、さん・・その・・・あの・・・」
「・・・・・・・」
そっと目を閉じて。
「おやすみなさい・・」
ミランダは諦めるように小さくため息をついた。
鈍い痛みで、目を覚ます。今まで感じた事のない、奇妙な痛みだ。
フワフワとした、何かに鼻をくすぐられるようにして、目が覚める。
(・・・・)
しかし、腕の中の柔らかな感触が気持ちよくて。なんだか目を覚まさずに、このまま寝ていたくなる。
意識がぼんやりするなか、聞き覚えのある声がした。
「ぅぅ・・ん・・」
声の主は寝返りをうって、マリの胸へ潜る。
(なに?)
「!?」
咄嗟に起き上がりそうになったが、なんとかそれを留めた。起き上がれば、胸の中の彼女も目覚めてしまうから。
(ミ、ミランダ?)
どうしてここに?
(・・たしか、ソカロ元帥と呑んでいて・・ああクラウド元帥が途中から現れたんだった・・・)
眉間を指で押さえる。
(・・それから・・・・・・・)
それから、全く記憶にない。
まるで糸が切れたように、ぷっつりと記憶が途切れているのだ。
恐らく、ソカロ元帥と呑んでいる時は緊張から意識を保てたが、開放された後は安堵から、一気に酔いが回ってしまったらしい。
(そ、そんな事より)
なぜ、ミランダがここに?
マリはハッとして、ミランダの服を確認する。
(だ・・大丈夫だ・・)
ホッとしつつ、自分の服も確認したが脱いだ形跡はない。
(では・・なぜ・・)
マリが眉間に皺を寄せて考えていると、ミランダがもぞもぞと動いて、あくびを一つした。
「うぅ・・ん?」
瞬きをぱちぱちとして、むくりと頭を起こす。マリに気付いたのか、視線をこちらへ向けた。
「・・あ・・」
「その・・ミ、ミランダ・・」
青ざめながらマリは体を起こし、
「あの・・」
「お・・おはようございます」
ミランダが恥ずかしそうに、呟いた。
「・・・・おはよう」
「マリさん、体・・大丈夫ですか?」
「か、体?・・」
「今日は・・あんまり無理しないで下さいね?」
心配そうな口調に、マリは混乱してしまう。
(体って・・二日酔いの事で、いいんだよな?それ以外ないよな・・?)
「その、ミランダ・・さ、昨夜の事だが・・」
言いかけて、ハッとする。
(もし、何かあったらどうする)
記憶がないとミランダに知られたら、謝っても済まされない。
「・・い、いや。なんでもない」
「?・・そ、そうですか」
不思議そうに首を傾げた。
「・・・・・・」
(恐らく何もない筈だ・・何かあれば、ミランダの様子がこんなに普通な筈ない)
「あっ・・大変、こんな時間!」
時刻は5時を指していて。
「私・・戻りますね」
慌てて靴を履きだした。
「では、送ろう。」
「い、いいえ!大丈夫ですよっ・・」
「いいから、一人で帰す訳にはいかないだろ?」
マリも起き上がり、靴を履く。
「ついでに、鍛練もあるしな」
「そ、そうですか・・大丈夫なんですか?」
「ん?・・あ、ああ平気だよ」
曖昧に応えながら、ミランダに笑いかけた。ミランダはポッと顔を染めて、恥ずかしそうに俯くと。
「あ・・あの、マリさん・・」
「ん?どうした」
ミランダはもじもじとスカートを弄りながら、
「さ、昨夜のこと・・覚えて、ます・・よね?」
「!?」
(な、な、なに・・・!?)
全身の血の気が引いていく音が聞こえて。マリは、今まさに絶体絶命のピンチを迎えている。
「・・・・・」
様々な脳内の葛藤の末、マリが口に出した言葉は・・
「も、もちろんだ・・」
「よかった」
ミランダが頬を染めて微笑んだのを感じ、マリもまた、複雑な思いにかられつつ、微笑んだのだった。
その後。
なぜか彼を避ける弟弟子に、己の酔った様子を聞きだしたマリは、二度とアルコールを口にすることはなかったという・・。
end
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