D.gray-man T






ずっとひそかに想っていた彼に。彼も同じ気持ちだったと、告げられたあの日。

一生分の幸せを使ってしまった気がするほど、嬉しかった。

けれど・・・・。






ミランダは息を切らせながら駆けていた。

何度か躓きながらも一度も転ばなかったのは、ひとえに目的の相手への深い執着のおかげかもしれない。

目的地は科学班。
ミランダが何度目かの角を曲がった時、目当ての人は扉から出て来た。

「ミランダ、出迎えに来てくれたのか」

優しく微笑む彼に、乱れた呼吸のままミランダも微笑んだ。

「お・・お帰りなさい、マリさん・・」

無事を確認して、安堵から力が抜けてしまう。

「ただいま」

マリが小さく頷くと、背後の扉から神田も出て来た。

「あ・・か、神田くんお帰りなさい」
「・・・・」

ちら、とミランダを見たがそれだけで。神田は何も応える事なく、ミランダを素通りして行った。

「気にするな、ミランダ」
「・・あ、は、はい」

マリは慰めるようにミランダの肩をポン、と叩くと

「では、ここで失礼するぞ」
「え・・ど、どこかに行くんですか?」
「ああ、修練場にな。どうも神田が今回の任務で嫌な癖が出たらしくて、修正したいらしい」
「そ、そうなんですか・・」
「夕食は一緒にとろう、いいかな?」
「はい・・」
「すまんな、ミランダ・・せっかく出迎えに来てくれたのに」

申し訳なさそうに、言った。

「いっ、いいえっ!わ、私なら全然大丈夫ですっ」

首を振って慌てて答えると、マリは小さく、ありがとうと笑って、そのまま神田の後を追うように歩き出した。



(・・・やっぱり)

互いの気持ちを伝え合ったのは、一ヶ月も前。晴れて恋人同士となったはずなのに、ミランダの気持ちは浮かなかった。

(あれは夢だったのかしら)

そっとため息をついて。さっき別れた恋人であるマリを思う。

(・・だって・・何も変わらないんだもの)

これと言って甘い囁きもなければ、目に見えたスキンシップもない。マリの優しさは以前と変わらないものの、自分が特別という訳でもない。

最初は、特に気にも留めていなかった。恋愛にずっと奥手だったミランダは、こういうものかと、二人の距離感を受け入れていたし、
いきなり恋人同士の雰囲気になるというのも気恥ずかしいものがあるから。

とはいえ・・あんまり変化が無さ過ぎるのも
心配になってしまう。
いまだに手を繋ぐこともないし、おやすみのキスすらない。ひそかに夢見る恋人同士の抱擁など、夢のまた夢である。

(・・あれは夢、だったのかしら)


冬の始まりを告げる、初雪が降った日。
二人っきりの談話室で、暖炉に薪を焼べながら彼が突然、話があるんだと言った。

『実は・・言いたい事があってな』

言いよどみながら、迷うように。

『ミランダが・・気になってしかたないんだ』
『・・・』
『色々・・考えたんだが、やはりそうじゃないかと・・思ってな』

照れるような、彼の表情に胸がときめいてしまう。

『ミランダが・・好きだ』

暖炉の炎が映ったからか、彼の瞳は熱っぽくて。その熱に熔かされるように、ミランダの意識は跳ぶように、ぼんやりとしてしまった。

『わ、私も・・です』

なんとかそれだけ絞るように答えると、そのまま力が抜けたように座り込んでしまった。

その後は、あまりよく覚えていない。嬉しくて、本当に嬉しくて・・。フワフワと夢心地で、ただマリがずっと側に居てくれたのを覚えている。




「じ、じゃあ・・おやすみなさい」
「おやすみ」

夕食後、談話室で温かいお茶を皆で飲んだ後、マリはアレン達に誘われて大浴場へ行った。

案の定、夕食も二人っきりにはなれなくて。
修練場から一緒に神田やアレン、ラビ達もマリと共に現れたのだ。皆でワイワイ食べる夕食は、ミランダも楽しくて大好きなのだが、マリに誘われた時、もしかして・・と期待しただけに少し落胆してしまった。


大浴場へと繰り出したマリ達がいなくなると、途端に談話室はしん、と静まりかえってミランダがついたため息が響く。

(・・・・・・)

何が不満、という訳ではないのだけれど。なんだか漠然とした不安が、胸に広がってしまうのだ。

ならば、と自分から行動に移せる程、ミランダは積極派でもない。思い切ってマリに聞いてみたい気がするが、そんな勇気もなければ、もしあの告白が自分の勘違いだったら・・と思うと、とてもじゃないが立ち直れない。
まさに八方塞がりである。

そもそも恋人がいたことのない、自分の思い描く恋人像が、世間一般のそれと一致しているかも分からない。

(普通・・みんな、どうなのかしら)

途方に暮れたように、一人ぽつんとソファーに腰掛けていると。

「ミランダ、ちょうど良かった」

突然、凛とした声が入口から聞こえて、振り向くと女性元帥のクラウドが酒瓶片手に談話室に入ってきた。

「元帥・・ど、どうかなさったんですか?」

クラウドはミランダの向かいのソファーへ腰掛けると、婉然と笑う。

「女だけの新年会だ、付き合え」
「?・・えっ」

キョトン、としてるともう一人、柔らかな声音が入口から聞こえた。

「お待たせしました・・あら?これからですの」

室長補佐役のフェイが、顔を覗かせる。手には大皿にチーズやピスタチオ、生ハムにスモークサーモンなどの盛り合わせを持って。

「ああ、早かったな。コムイは大丈夫なのか?」
「ええ、昨夜頑張っていただきました」

にっこりと微笑む。

「ジェリー料理長は残念ながら不参加です。風邪気味らしくて悔しがってましたわ」
「そうか、まぁ三人で呑むとするか・・いいだろう?ミランダ」
「え・・ええ、は、はい」

何となく面食らいながらも、三人で呑む事はたまにあるので、ミランダはそれほど抵抗なく頷いた。
ラウ・シーミンが器用に戸棚からグラスを持ってきて、ミランダの前に置く。

「ありがとう」

小さな猿に礼を言って。
ふとさっきまでの悶々とした考えが消えた気がして、ミランダは微笑んだ。





女三人・・というが、この三人も寄ればそれなりに姦しい。酒が進むと、話題は日常の雑事から色恋へと流れるのは、女同士の世の常だろう。

「まったく・・どうにかならないのかしら。あのシスコン!」

フェイがワインを飲み干した。

「まぁ・・あれは病気だからな」
「妹がリップつけただけで、異常に反応するくせに、私が髪型変えても無反応なんて・・」
「そ、そうなんですか?」
「おまけに、妹に彼氏がいるかどうかの調査まで依頼してきたんですよ・・!」

グラスにワインを手酌で注ぐ。

「で、どうしてやったんだ?」
「・・・・」

フェイは苛立ち気味にワインを呑んで。

「しっかりキッチリ調べて差し上げましたよ」
「・・ふふ、何だかんだと優しいじゃないか」

クラウドが笑った。

「それは・・心配で仕事が手につかないなんて、おっしゃるんですもの・・」

言い訳するようにぶつぶつと言って、またワインを一口含むと、

「そういえば・・ミランダさんはどうなんですか?」

ミランダに目を向けた。ピスタチオの皮と格闘していたミランダは、突然の問いにピスタチオをこぼしてしまった。

「あっ・・え、なにがでしょう?」
「何がって・・マリに決まっているだろう」
「そうですよ、何か進展ありました?」
「・・・そ、それが・・」

ワイングラスを持って、俯く。

「まさか・・あれから何も・・?」
「え?・・だって、告白されたって、おっしゃってませんでした?」
「・・・・・・」

ミランダは、逃げるようにグラスのワインを一気に飲み干し、空にした。

「な、何もないんです・・」
「何も・・とは?」
「その、キスくらいは?」

フェイの問いに、ミランダは首を振る。

「・・何にも・・全く・・ありません」

消えるように、呟いて。

「・・・・・・」
「・・・・」

クラウドとフェイが顔を見合わせるなか、
ミランダの瞳からうるうると涙が溢れてきた。

「や、やっぱり、な、何かの間違いだったの・・かしら」

我慢出来なくて、ハンカチをポケットから出して、目を覆った。

「あれは・・きっと、ゆ、夢か何かで・・わ、私の勘違い・・だったんです・・」
「で、でも好きだって言われたのでしょう?」
「あ、あれはきっと人類愛的なもので・・きっと深い意味はなかったんです」

そうよ、そうなのよとミランダは頷きながら

「さ、最初から私の妄想だったんです・・き、きっとマリさんだって・・迷惑して・・」
「ま、待てミランダ。私の知るかぎりマリという男は・・」
「ち、ちょっと、元帥!」

クラウドを遮ってフェイは目で合図する。その視線の先には、ワインの瓶が3、4本転がっていて・・。

「・・・・・・」
「・・・・・」

いつの間に、こんなに呑んでいたのか。呂律も回っているし、様子も普段とそう変わらなかったので、全く気付かなかった。

「ミランダ、大丈夫か?」
「・・何がですか?」

グスグスと鼻を鳴らしてクラウドを見る。

「いや、大丈夫ならいいんだが」
「大丈夫です・・わ、私・・まだ頑張れますっ」

鼻をチーンとかんで、テーブルの上にあったワインをガシッと掴むと、

「えっ・・ミランダさん?」

フェイの顔が青ざめるなか。

「ま、待てミランダっ!」
「まだ・・諦めませんっ!」

手を腰にあて、そのままグイイッと、ワインのラッパ飲みを始めたのだった。





深夜2時。

訪問者は、猿だった。

「キキッ」

クラウド元帥のラウ・シーミンに案内されて、マリが談話室へと入っていくとまず強烈なアルコール臭に度肝を抜いた。

(これは・・かなりの量を空けたな・・)

驚きは顔には出さず、クラウドに挨拶しようとした時、

「・・!」

その部屋に、マリの耳によく馴染んだ人物がいるのに驚いた。


(な・・ミ、ミランダ?)

「来たか、マリ」
「!」

クラウドの声にハッとして、慌てて平静を装いながら

「な・・なんでしょう、元帥」
「いや、おまえに聞きたい事が・・あってな」

若干、呂律の回らない言い方。カラン、とグラスの氷が溶ける音がして、ウィスキーを呑んでいるのが分かった。

「あーら、ようやくいらしたの?遅いですわよぉ」

室長補佐のフェイが絡むように、マリに近づいてくる。こちらもかなり呑んでいるようだ。

「は・・その、何でしょうか」

どうも二人はマリに絡む気満々の様子で、じっとりと粘着質な視線に、マリの背中は冷たいものが走る。ミランダは、といえばテーブルに額を付けるように眠っていて、こちらも心配だ。

クラウドはグラスを傾けながら、射抜くようにじぃ、とマリを見る。

「マリ」
「な、なんでしょうか」
「おまえ・・性欲ないのか?」

「・・・・・は?」

時が止まる。

「だから性欲だ、ほら、ミランダ見てヤル気はおこらんのか?」
「げ・・元帥?」

動揺のせいか、マリは毛穴から汗が滲んできた。

「ああもうっ、元帥ったら・・そうじゃないですわ、いい?ノイズ・マリさん」

フェイが、ずいっとマリの胸倉を掴む。

「あそこにいる、ミランダ・ロットーさんのことですけど」
「ミ、ミランダが・・何か?」

フェイはその美しい片眉を上げて。

「とっとと、ヤッておしまいなさいっ・・」
「ヤッ・・は?・・な、何をっ・・」

マリの顔が赤くなる。

「そうすれば、うまくいきますっ・・」

据わった目でひと睨みすると、掴んだ手をパッと放し、やや千鳥足でミランダの肩をガクガク揺さぶり

「ミランダさーん、お迎えですよぉっ!」

耳元で大きく叫んだ。
ミランダはビクウッ!と体を反応させ、額をテーブルに擦りつけるように、ウニウニと動かしている。

「・・・・・・」
「ミ、ミランダ・・?」

恐る恐る、声をかけると。くるり、マリを見て。

「・・・・マリ・・さぁん?」

にへらー、と笑った。

「ほら、ミランダ・・マリが来たぞ、起きろ」

クラウドがサキイカでミランダの頭を突く。

「ぅぅ・・ううん・・っ・・」
「ミランダ、大丈夫か?」

マリがミランダの背中を摩ると、突然ミランダが振り返りマリに向かって手を出した。

「・・抱っこ・・」



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