D.gray-man T
2
(ああ・・こんな事ならフェイさんから頂いたコートを着てくればよかった・・)
先日、補佐役のフェイが買ったはいいがやはり気に入らないからと、上質なキャメルのコートを貰ったのだが、あまりに素敵すぎて、着るのが勿体なくて、結局まだ袖を通していなかった。
「ミランダ、何か食べるか?」
「へっ?」
突然、声を掛けられたので奇妙な声を出してしまい、慌てる。
「え、い、いいえっ・・」
「?・・どうかしたのか?」
マリが不思議そうに首を捻った時、給仕が注文を取りに来た。
「いらっしゃいませ、お決まりですか?」
「わたしはコーヒーを・・ミランダは?」
「えっ!」
(な、何にも決めていなかったわっ!)
焦るミランダに気がついたのか、マリは給仕に
「何かセットはあるのか?」
「はい。本日お勧めのケーキを使った、紅茶のセットがございます」
マリはミランダを見て、
「それで、いいかな?」
「は、はいっ・・」
「かしこまりました」
給仕は一礼して戻った。
「勝手に決めて、悪かったかな」
「い、いいえっ・・!と、とんでもないですっ」
元はぼんやりしていた自分が悪いのだから。
「わ、私は、その、優柔不断なので・・よかったです」
「・・そうか」
マリは、ふ、と嬉しそうに笑った。
マリはコートを脱いで、椅子に軽く掛ける。
白いシャツの上に、濃灰色のジャケットを着ていて、なんとも素敵だ。見とれるように、見てしまう自分をはしたなく感じて、目を逸らすように俯いてしまう。
「そういえば、ミランダはどうして街まで来ていたんだ?」
「あ、それは買い物に・・」
「目当ての物は買えたのか?」
「は、はい。買えました」
靴下、というのは恥ずかしいので黙っておく。
「あ・・そういえば、マリさんも買い物ですか・・?」
「いや、わたしはこの先にある教会に用があってな・・」
「教会・・?」
キョトンとするとマリは少し照れたように、
「・・たまに、頼まれてオルガンを弾きに行っているんだ」
「まぁ・・」
(教会で、オルガン・・)
教会でオルガンを弾くマリを想像し、
ミランダは頬を緩ませる。
「なんだか・・すごく、素敵ですね」
「そうかな」
「はいっ・・あの、聴いてみたいです・・」
うっとりと呟いた。
「じゃあ、今度一緒に行ってみるか?」
「えっ!・・い、いいんですかっ?」
「ミランダさえ、よければ」
微笑む。
ミランダは、こくこくと、何度も頷きながら
「い、行きたいですっ・・!」
興奮気味に言った。
(ハッ!・・わ、私ったら図々しいかしらっ・・)
恐る恐るマリを窺うが、気を悪くしたそぶりは見えない。それでも、食いつくように願った自分が恥ずかしくて、ミランダの頬は染まった。
「お待たせいたしました」
給仕の声がして、テーブルに青い花模様のティーポットに、同じ柄のカップが並ぶ。生クリームが添えられたザッハトルテがミランダの前に置かれると、緩む頬を止められない。
「本日の茶葉はセイロンになります」
砂時計が置かれ、
「こちらの砂が全て落ちてからお飲み下さい」
「は、はい」
給仕が立ち去り、ミランダは砂時計を興味深げに見て、それから、さっきから気になって仕方ないザッハトルテに目をやる。
「い、いただきます・・」
マリは応えるように微笑んで、コーヒーを一口飲んだ。フォークを刺し、生クリームを付けて、口に入れる。
(・・!)
洋酒が効いて、ほろ苦く、高級なチョコレートの風味が鼻から抜けた。
「うまいか?」
「はい・・すごく、美味しいです」
うっとり、呟いて。
「よかったら、マリさんも食べてみませんか?」
いつもリナリーにするみたいに、ついお皿を差し出してしまった。
(!!)
「すすすすいませんっ!食べかけなんてっ・・!」
慌ててお皿を戻そうとしたが、
「いや、いただこう」
す、とマリが皿を引き寄せてしまった。
「で、でも、食べかけなんて・・その、ごめんなさいっ」
マリが軽く首を振って、フォークを取る。
その仕草を見て、ミランダはあることに気がついた。
(・・ち、ちょっと待って)
マリが、ケーキにフォークを刺した。
(こ、これって・・)
かっ・・間接、キスっ・・!?
今更ながら、自分の失態に気が付く。こんな自分と間接でもキスをしてしまうマリに申し訳ない。
「あっ・・あのっ!」
「ん?・・」
パク、と口に入れてしまったのを見て、青ざめた。
「・・確かに、うまいな」
そのままフォークを皿に戻して、ミランダに差し出す。
(こっ・・これはっ・・!)
さっき青ざめた顔が途端に真っ赤に染まった。
(私が使ったフォークをマリさんが使って、マリさんが使ったフォークを私が・・だからつまり、私のフォークがマリさんのフォークで、あ、いや、そうじゃなくて)
軽いパニックに陥る。
「・・・・・・」
ごくり、生唾を飲んだ。
(い、いいのかしら・・こ、こんな事)
恐る恐るフォークを手にしようとした時、
「ミランダ」
「はいいっ!」
ビクッと体が揺れて。
咄嗟に大きな声を出してしまったので、周囲の注目を浴びている事に気付く。
「す、すみませんっ」
「いや、それより、砂時計が全部落ちたぞ」
「は・・・」
確かに落ちている。
「あ、ありがとうございますっ・・」
動揺しながら、ティーポットを持とうとした。
そっと、手を抑えられて。
「わたしが入れよう」
「えっ・・」
「いいから」
可笑しそうに笑いながら、ポットを持つ
マリはその大きな手にポットを持って、流れるような仕草で、カップに紅茶を注いだ。
あまりにも自然な動きに、つい彼が盲目であることを忘れてしまう。
(今更だけど・・マリさんて、すごいわ)
「どうぞ」
ミランダの前にカップが置かれ、ふんわりと紅茶の優しい香りがした。カップを取り一口飲むと、温かくて笑みがこぼれる。
「おいしいです・・」
「そうか」
紅茶を飲んで、いくぶん落ち着いたミランダは、ちらとマリを窺って。
そっと、ケーキのフォークに手をのばすと、
「・・・・」
なんとなく頬を染めながら、一口取って
口に入れた。
時刻は午後4時を回って、すっかり薄暗くなっている。風が強くなったせいでミランダの髪を揺らしていた。
「寒いな」
「そうですね・・」
体を縮こませて応えた。
カフェを出て、二人は教団本部へと向かう。
街灯が燈されているのを見て、あらためて、今日マリに出会えてよかったと思った。
(こんな暗い中、一人だと心細いもの・・)
「・・ミランダ」
突然マリの手が、す、と出される。
「はい?」
キョトンと、それを見て。
「はぐれると、いけないから」
包むように、ミランダの手を握った。いつもと変わらない顔でそんな事をするから、ミランダは驚く事も忘れてしまう。
(・・・え・・?)
じわじわと、ミランダの脳に事の重大さが伝達されて行き。理解する頃には、繋がれた手はマリのポケットの中にいた。
(手・・手っ・・)
手を繋いで歩いている。
(な、なんだか・・これじゃあ・・)
熱い顔で、そっとマリを見て。
(恋人、みたいです)
暗いから、マリの顔は見えないけれど。なんとなくマリの頬も赤らんでいる気がして、ミランダは微笑んだ。
大通りに出ると、
「あれ?さっきのお嬢さんじゃないかい?」
「・・あ!さっきの・・」
露店商のおじさんが、店じまいをしながら声をかけてきた。おじさんは、マリを見て、何か納得したように頷いて、
「ああ、探していたのは旦那さんだったのかい?すまないね、奥方には見えなかったから・・」
「ええっ?そ、そういう訳ではっ・・」
慌てて訂正しようとするが、おじさんは聞いてないようで、
「いやぁ、さっき見てたこの髪留め、あんまりじっくり見てたから、もっとまけてあげりゃ良かったと思ってたんだよ」
「あ、あの・・」
「旦那さんも、見てみるかい?確かに値は張るが、物はしっかりしてるよ」
声を掛けられたマリは、近付いて髪留めを手に取った。
「あの、マリさん・・そのっ・・」
マリはミランダに、ふ、と微笑みかけると、
「いただこう」
懐から財布を取り出す。
「だだだだめですっ!い、いけませんっ!」
慌ててマリの腕に抱き着いた。
「奥さん、せっかく旦那がプレゼントしてくれるんだ、有り難く貰ってやんないと」
「で、ですから、奥さんじゃなくて・・」
半泣きになりながら首を振っていると、宥めるように頭を撫でられて、
「いいじゃないか、ミランダ」
この状況を楽しむように、マリが笑って言った。
「さすが旦那、じゃあ、もうちょとまけてあげるよ」
マリは財布から金を出すと、髪留め受け取った。
「まいどあり」
「マ、マリさん」
申し訳なくて、泣きそうだ。
(うう・・なんて事・・)
あの時無理をしてでも自分が買っておけば・・いや、そもそも手に取ったりしなければ・・。
どんよりと後悔の波に飲み込まれていると、
髪の毛をふわりと持ち上げられて驚く。
パチン、と何かを弾くような音がして、ミランダの髪が何かによって纏められたのを感じた。
(えっ?)
「いやぁ、旦那、上手いもんだね、こんな暗いのによくそんなに出来るもんだ」
露店のおじさんが感心したように声を上げる。
ミランダがそっと触れると、その髪留めが、言うことの聞かないくせ毛をすっきり纏めていた。
「ああ、素敵だねぇ、似合うよ奥さん」
「そ・・そんな」
顔が赤くなる。
マリは嬉しそうに、ミランダを見ていた。
「あの・・す、すみませんでした」
「ん?」
露店商のおじさんにお別れをして、二人は再び大通りを歩き始めた。
「わ、私のせいで・・余計なお金使わせちゃって・・それに、ふ、夫婦だと・・思われたみたいで・・」
マリは首を振って、
「いいんだ、楽しかったしな・・」
小さく笑って、それから再びミランダの手を取ると、自身のポケットに収める。
「それに・・」
ぴたり、歩みを止めて。そっと屈むように、ミランダの耳元へ口を寄せると、
「ミランダが、奥さんというのも・・悪くない」
「!・・」
骨髄にまで響き渡る、低音の声に囁かれて、ミランダは本気で失神するかと思った。
ミランダは、とろけそうになっていた意識を慌てて引き戻す。
「あ、あのっ・・」
「ん?」
「な、何か、お返しさせて下さい・・」
マリは首を振って、
「・・必要ない」
「で、でもっ・・」
さすがに貰いっぱなしは、気にかかる。ミランダが困ったようにオロオロしていると、マリは優しい眼差しを向けて、
「そうだな・・・」
少し考える。
「そうやって、わたしの事を考えてくれる、気持ちで充分だ」
悪戯っ子のように笑った。
「マ、マリさん・・たらっ」
困りながら、ミランダは首まで赤く染まる。
(・・・・・)
けれど困った。
そこまで言われては、何かあげたくても、逆にこちらが意地になっているみたいだ。
(気持ち・・・)
ふと、閃いて。キョロキョロと辺りを見回す。
一軒の、小さな雑貨屋に目を留める。明かりがついているのを確認して、安堵のため息をもらした。
「・・どうかしたのか?」
「あ、あのっ!ちょっと待っていてもらえますか?」
「ミランダ?・・」
ミランダは、その店へ一目散に走り出す。
店の前までたどり着き、少し乱れた息を整えながら、街灯の下に立つマリを見た。
(これなら・・ずっと、あなたの事・・考えていられますから)
カウンターに積まれた毛糸。
ひと針、ひと針、あなたを想いながら編ませて下さいね。
そんなことを、思いながら、ミランダは店の扉を開けたのだった。
End
- 40 -
[*前] | [次#]
戻る