D.gray-man T
スウィーツな彼女
(・・だめだわ)
ため息をついて、ミランダは、むくりと起きる。
時計は深夜1時。
(眠れない)
元来、不眠症ぎみの彼女は、任務の前は必ずこうなる。
明日は、久しぶりの任務なのだ。緊張もあり、いつもにまして頭が冴えてしまう。
(・・そうだわ)
食堂で、温かいお茶でも飲めば、少しはリラックスできるかもしれない。
ミランダは、ショールを羽織り、靴を履いた。
素早い動きで、生クリームを泡立てる。
シャカシャカシャカ、と規則的な音がして、バニラの甘い香りが漂った。
(やはり、この時間は癒される)
リンクは、ストレスが溜まると時折深夜の厨房を貸りて菓子を作る。
オーブンから、ふんわりと甘い香りが漂って、そろそろパイが焼き上がるのを感じた。
(もう、そろそろか。では、こちらも・・)
クリームを泡立てる力を強めた。
リンクが、菓子作りを好むのは、敬愛するルベリエの影響もあるが、それよりも、通常の料理と違い、菓子作りには「適当」ない事にある。
砂糖や小麦粉、バターも決められた適量で作らねば、出来上がりが全く違うのだ。そういった、いい加減さが無い点が、リンクの性分に合う。
リンクはクリームを八分立てに泡立てた時、
ふと人の気配がして手を止めた。
「・・・?」
足音が、食堂の前で止まり、厨房へと近づいてくる。
「・・ハワードさん?」
その声に、反応して振り返ると。入口から、窺うようにミランダが顔を出していた。
「ミス・ミランダ・・」
胸の鼓動が速まるのを感じる。泡立て器を握る手の力が、強まった。
「どう・・したのですか?こんな夜更けに」
努めて、冷静さを装う。
「あの・・眠れなくて・・それでお茶を・・」
ミランダは、オーブンをちらりと見て、
「ハワードさんは、お菓子作りですか?」
「ええ。・・そうですが・・」
ミランダが、興味深げにこちらを見てくるので、リンクは耐え切れず目を反らした。
ミランダ・ロットーは、時を操るエクソシスト。
様々な個性が織り成す、この教団でも彼女は少し変わっている。
(・・・・・)
彼女をちら、と窺うと。
目が合ったことが嬉しいのか、ホッとしたように笑った。
「あの・・ハワードさん」
「なんですか?」
「ここで・・見ていても、いいかしら?」
ミランダの瞳が、キラキラとして眩しい。
リンクは、軽く咳ばらいして聞く。
「興味が、おありなんですか?」
「・・私、不器用で。お菓子作りって成功したことないんです。ハワードさんの、お菓子はどれも美味しいので、どんなふうに作っているのかしら・・って」
恥ずかしそうに、笑う。
リンクは、そんな彼女に胸の高鳴りを感じていた。
「・・では、一緒にやってみますか?」
「えっ!い、いいんですか?」
ミランダの頬に、嬉しそうに赤みがさす。
「と、言っても。ほとんど終わりに近いですが・・」
泡立て器を、差し出す。
「よろしければ」
ミランダは、嬉しそうに小さく頷くと、泡立て器を取った。リンクは、クリームの入ったボウルをミランダの前へ置く。
「ツノが立つまで、掻き交ぜて下さい」
ミランダは、片手でボウルをそっと押さえて、ぐい、と掻き交ぜはじめた。
「ボウルを、もっとしっかり押さえてください」
「は・・はいっ」
リンクは、ミランダの斜め後ろから指示を出す。
彼女の手つきは、危なっかしいが、一生懸命さに好感がもてた。
(しかし・・)
力いっぱい、泡立て器を回すので、飛び散りかたが半端でない。
「あっ・・きゃっ・・!」
泡立て器が滑って、盛大な量のクリームがリンクを襲う。
「!!」
咄嗟に、体を反らして避けるが、一部は頬についてしまった。
「ヒイィィ!・・ご、ごめんなさいっ・・!」
ミランダは思わず泡立て器を離し、リンクの方へ振り返る。
「ああっ!いけませんっ・・ミス・・!」
ミランダが離した泡立て器が、ガチャン!と音を立ててボウルへ落ち、その衝撃でグラリとボウルが揺れた。
(まずい!!)
今、まさに床に落ちんとしているボウルを見て、咄嗟に目の前のミランダを引き寄せ、掬い上げるようにボウルを受ける。
ボウルの中のクリームが無事なのを確認して、リンクは安堵した。
ふと、感じる、柔らかい感触。
「!?」
左腕が、ミランダを守るように抱き抱えていた。
「失礼・・しましたっ!」
慌てて、離す。
彼女は、夜着を一枚纏っているだけなのだろう、あまりの直接的な感触にリンクは顔が熱くなる。
ミランダは、そんなリンクの動揺には全く気付かないようで、ただもう申し訳ないという様に身を縮こませていた。
「ご・・ごめんなさい、わ、私って・・本当に・・」
瞳がウルウルと、今にも涙がこぼれそう。
「いえ、あまり気になさらずに・・」
リンクは、ボウルの中を確認した。
(・・少し、時間が経ってしまったな)
生クリームは、冷えていないと固まりづらい。
「ミス・ミランダ、そこの大きなボウルに氷を入れてくれますか?」
「え・・あ、は、はいっ!」
突然の指令に、涙は引っ込んだようで、慌てて冷凍室へ向かい、ボウルに氷を山盛り入れてきた。
「あの・・足りますか・・?」
恐る恐る、聞く。
「ありがとうございます」
リンクは、クリームの入ったボウルを氷に乗せると素早い動きで、一気に掻き交ぜた。
ミランダは、見とれてしまう。
目の前のリンクは、背筋をピンと延ばし、なにか厳粛な作業をしているかのようだ。
(すごい)
みるみるクリームが固まるのを見て、なんだか感動してしまう。
(あら)
『それ』を見つけて、ミランダは口を押さえた。
頬につけてしまった生クリーム。きっと、当人は忘れているのだろう。
(ハンカチは・・ないし)
キョロキョロと、見回すが、使えそうなものは無い。
(どうしようかしら)
泡立て器を軽く持ち上げ、ツノが立つのを確認する。
(よし、あとはパイが焼き上がるのを・・)
クリームの入ったボウルを、冷蔵室へ入れる。ふと、視線を感じて振り返るとミランダが、すぐ側まで来ていた。
「?どうしました」
「ハワードさん・・ちょっと・・失礼します」
そのまま彼女の指が伸びてきて、リンクの頬を撫でた。
「は・・・!?」
突然の行動に、目を瞠る。その指には、生クリームがついていた。
頬を押さえて、そういえばついていたか、と思い
「あ・・これは失礼・・」
ポケットから、ハンカチを出そうとした時。
ミランダが、指についたクリームをぺろりと舐めた。
「!?」
「・・わぁ、美味しいですね」
にっこり、笑う。
リンクは、思わず後ずさった。
(な・・・今・・何を・・)
「ハワードさん?」
不思議そうに、顔を覗きこまれて焦る。
いつもはぴっちりと首を隠しているが、今は夜着の為、白い首筋や綺麗な鎖骨が見えた。
なんとなく、いたたまれない気持ちになり、
リンクはミランダから視線をずらす。
「ミス・ミランダその・・」
顔が熱くなっていくのを感じていた。
・・実は、ひそかにあなたを想っていたんです・・・
敵意や疑いの無い、純粋なあなたに憧れていました。
儚かなげで、慎ましく、可憐な・・・ 。
そっと、見ると。ミランダもまたリンクを見ていた。
(・・・・・)
可能性は、あるのだろうか?
夜の空気に呑まれるように、リンクはミランダに触れようと手を延ばす。
「・・ミランダ・・」
その時。
『チーン!』
「・・・・・・・」
オーブンが、終了の音を告げて、
リンクは、延ばした手を下ろした。
テーブルの上には、焼き上がったばかりのアップルパイ。付け合わせに特製バニラアイス、 クリームチーズが混ぜられた生クリーム。
ミランダは、紅茶をカップに注ぎ、その光景にため息をついた。
「本当に・・素晴らしいです」
「・・・ありがとうございます」
少しだけ複雑な面持ちで答える。
ミランダが席につくと、リンクはアイスにメイプルシロップをかける。
「どうぞ」
「いただきます」
目をキラキラさせながら、アップルパイにフォークを入れた。サク、と気持ち良い感触。
アイスをパイに乗せ、溶け始めるのを確認して口に入れる。
「!・・」
ミランダの頬が緩み、幸せそうな吐息が洩れたのをリンクは確認した。
「・・やっぱり、すごいわ・・ハワードさん」
頬を押さえて、うっとりと言う。
「恐縮です」
リンクもまた、頬の緩みが押さえられない。
「・・眠れなくて、よかった・・」
「眠れないことは・・よくあるのですか?」
「え・・そうね・・。教団に来てからは大分良くなったのよ。でも任務の前はやっぱり緊張して・・」
だめね、やっぱりと肩を落とす。リンクは、少し考えて、
「もし宜しければ・・」
「?」
「任務の前でも・・・眠れない夜があるなら」
少し、口ごもる。
「また・・今日のように、厨房へ来て下さい」
「え?」
首を傾げる。
「また・・手伝っていただければ、助かります」
リンクらしくない、ボソリとした呟き。照れ隠しのように、紅茶を口に含んだ。
「・・いいの?」
ほわわわん、と周りの空気が柔らかくなってきて、
「・・ありがとう」
ふんわり彼女は微笑む。
リンクは赤らんだ顔を隠すように、咳ばらいして、もう一度、ミランダを見た。
チョコレート色のフワフワとしたくせ毛に、
生クリームのような肌・・・。
まるで、砂糖菓子のように、甘そうで。
ひそかに、喉が鳴るのだった。
end
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