D.gray-man T




「何を言ってるんですか、君達は自分の仕事に戻りなさい」

ピタ、と蓋をした。

「なんですか、ケチ」
「ホントさいいじゃん一口くらい」

ブーブー文句を言う二人に構わず、リンクは1番最初に食べて欲しいミランダを目で捜すと、突然肩を誰かにグッと掴まれて、リンクはムッとしつつ振り返った。

「なんですか、いった・・」

いったい、と言い切る前に言葉が途切れたのは、肩を掴んでいるクラウドの瞳がどこか同情とも言える憐憫を含んでいたから。

「そのカレー・・悪いが引き取らせてもらうぞ」
「は?」
「すまん。おまえの気持ちは痛いほど解るつもりだ」
「元帥、どうかされたの・・」

リンクはクラウドのもう一方の手に握られている物に目を剥いた。

「そ、それは・・まさかっ」

クラウドの手には、なみなみと水の入ったピッチャーが握られていて。

「あと100名分をなんとか捻出しなければならんのだ・・」

ドン、とリンクがたった今作り終えたカレーの横にピッチャーを置く。

「残り少ない時間で人数分増やす為には・・これしか、ない」

つまり、薄めろと?

この汗と涙と情熱の結晶を?

リンクはあまりの衝撃に目を剥いたまま何も言えず、ただ呆然と水の入ったピッチャーを見つめていた。

「リ、リンク・・」
「おい、大丈夫か」

アレンとラビが恐る恐る声をかけるものの、リンクはぴくりとも動かなかい。
無理もない、リンクのこのカレーへの情熱はミランダへの情熱と言っても過言ではなかった。クラウドは時計をちらと見て、

「すまん、時間がないんだ」

時刻は11時45分、食堂が開くまであと15分。

「いいな?解ってくれるな?」

やや焦るようにピッチャーを掴み、リンクを見る。

「・・・・・・」

リンクは相変わらず微動だにせず、放心状態のままで。クラウドは軽く頭を振り、スマンと呟き水をリンクのカレーに注ごうと持ち上げた。

その時。

「嫌ですっ」
「!?」

リンクが両手でピッチャーを掴み、カレーをガードする。

((お、おいおいっ・・))

気持ちは解るものの、アレンとラビはその行動に顔を引き攣らせた。

「嫌ですって・・子供かおまえはっ」
「なんと言われようが、嫌なものは嫌ですっ」

力の引き合いにピッチャーはぶるぶると震えて、今にも零れそうである。

「元帥もご存知のはず・・あのカレーを手直しするのがどれだけ大変だったか」
「何をっ。貴様は途中からではないか、私がイチから携わったシーフードの事を思えばっ」

クラウドは自ら手を下したシーフードカレーの哀しい末路を思い、唇を噛み締めた。クラウドが感傷に一瞬の隙を見せたのを見逃さず、リンクは力を込めて引っ張る。

「元帥、わたしのカレーはイチからではなくマイナスからです!」
「・・貴様っ」

互いに一歩も譲らず、睨み合いは続く。

「いいから手を離せ、さっきも言ったが時間がないんだ」
「ですから納得いきませんっ」
「いい加減しつこい!これは命令だっ」
「わたしの直属の上司はルベリエ長官です!」
「貴様、許さんぞ!」
「失礼は承知の上ですっ!」

はなせ、いやです、と青筋を立て真剣にピッチャーを奪い合う姿は、本人達は大真面目なのだろうが、端から見ればかなり間抜けだ。
さらに原因がカレーなだけに、教皇の威信や品位もヘッタクレもない。

「まあ二人とも、ちょっと落ち着いて・・」

見兼ねたキャッシュが仲裁に入ろうと近づいた時、

《ツルッ》

「!?」

さっきからのピッチャーの奪い合いで床に零していた水に、キャッシュの足が滑った。

傍目から見れば、それはスローモーションのようで。
華奢とは言い難いキャッシュの巨体が前のめりに倒れていくのが見えた。

「「!?」」

次の瞬間。

《ドスーンッ!!!》

鈍い音とともにかなりの衝撃がクラウドとリンクの背中を襲う。
同時に緩んだ二人の手から、まるで何かのコントのように、水の入ったピッチャーが空に美しい弧を描くのが見えた。

(−−!!)

リンクはキャッシュの下敷きになる直前、そのピッチャーがまるで吸い寄せられるように、ある人物の頭上へと飛んでいったのを視認する。

「危ないっ、ミランダさんっ!」
「逃げるさ!ミランダッ」
「えっ?」

アレン達の叫びも、当人は気付かない。またも不幸の女神に微笑まれた彼女がびしょ濡れになるまで、0,8秒。
相変わらずの間の悪さに、リンクの恋が哀しい結果に終わるまで、0,7秒。

もうだめだ!

誰もがあきらめ、目を閉じた瞬間。

《ドン!》

「きゃっ!?」

何者かによってミランダは突き飛ばされる。

《ガシャーン!》

水の入ったピッチャーが勢いよく割れる音がして、代わりに水を被った人物がガラスの破片から身を守る為、腕を使ってガードしていた。

「間に合った・・である」

それはクロウリー。

「え・・?」
「うそ・・」

正義のヒーローのような彼の登場に、全員が目を丸くしたが。

「ク、クロちゃんナイス!」
「格好イイです!クロウリー」
「そ、そうであるか?」

照れ臭そうに笑い、濡れた前髪を軽く絞る。

「・・・・・・」

リンクはキャッシュに押し潰されながら、クロウリーに心の底から感謝した。いい年して世間知らずな奴だと、ちょっと馬鹿にして申し訳なかった。これからはもっと敬意を払おう。
そうリンクが即席の一人反省会をしていると、

「え・・」
「あ・・」
「これは・・」

なんだか間の抜けた声がして。リンクは怪訝な顔で視線をずらす。

「!!!!」

そこには、心臓が止まるかという衝撃な光景。

マリを押し倒すように抱き着いている、ミランダがいた。

突き飛ばされたミランダが、ちょうど助けようとしたマリに衝突したのだろう。
マリも受け止める体勢ではいたが、その勢いの強さに彼の足がめずらしくよろけてしまい、なんとか衝撃を吸収しようとミランダを守るように、自らを背にして倒れたのだった。

マリの上に乗り掛かり、しな垂れかかっている(ように見える)ミランダ。まるで今から桃色な事に及びそうな雰囲気で、周囲はなんとなく顔を赤らめた。

「・・ヒッ・・」

偶然とはいえ己のハレンチな体勢に気がつくと、ミランダはがばと身を起こし、

「ヒギィィッ・・」

潰れた蛙のような奇妙な声を上げ、赤くも青くも染まった顔を両手で隠すと、脱兎のごとき速さで調理場から逃げ出した。

「ミ、ミランダ・・!」

茹でタコのようなマリも、追いかけるように後に続き。
バタバタという足音と共に、待ってくれ、とマリの声が遠くなっていく。
残された面々はなんとなく気まずい空気に顔を俯かせた。

(・・・偶然なんだろうけど)
(・・なに、このタイミング・・)

やがてクロウリーがクシャミをして、

「す、すまないが・・着替えに行ってもいいであるか?」
「ん?あ・・ああ。そうだな、風邪ひかないうちに着替えてこい」

クラウドがハッとしたように頷くと、クロウリーはまた一つクシャミをしながら、調理場から出て行いった。


「・・・・あの・・」

キャッシュが顔を引き攣らせながら。

「えと・・大丈夫なのかな」
「なにがだ?」

クラウドの眉がピク、と動きキャッシュを見た。

「その・・アタシらだけなんすけど」
「・・・・」

はた、と気付く。

もう10分を切ったこの状況で。ここにきて3人が調理場から消えていた事に気がついた。
フェイは仕入れもあり、まだ戻らない。クロウリーも行ったばかり。マリとミランダに関してはいつ戻ってくるか、いや戻るかすら不明である。

「あ、あの・・すいません元帥」

アレンが恐る恐る手を上げて。

「もう一人、リタイア・・です」

屍のように床に倒れるリンクを指差した。

「・・・・・」

魂の抜けた亡きがらのようなリンクに、僅かに同情の視線を向けると、クラウドはハア、とため息をつき頭を押さえる。

(弱ったな・・)

ここで白旗を掲げるのは悔しい。眉間に皺を寄せ何かいい手はないかと考えた時、ふと脳裏にある事が浮かんでクラウドは口の端を上げた。

「おい、とりあえずカレーを予定通り薄めておけ」
「あの、でも手直ししてないカレーはどうするんですか?」
「時間も人もいないんだ。しかたあるまい」

バッサリと切り捨てる。

「え・・・マジ?」
「大丈夫だ、空腹は最高の調味料と言うだろ」

クラウドは言い放ち、調理場に備え付けられた無線でどこかを呼び出しているようだ。
アレンは放心状態のリンクをズズッと引きずり椅子に座らせながら、

「元帥・・なんかいつもと違いますね」
「だ、だな」

ラビは頷き、リンクのカレーに水を入れようとピッチャーを持ったが、ふと思い立ち、スプーンを持って一口味見をしてみた。

「!」

その短時間で作り上げたとは思えない豊潤な味わいに、リンクの熱い恋のパッションを感じ、ラビはちょっぴりほろ苦い気持ちになりながら、カレーにそっと手を合わせた。


クラウドが無線を使って、何かを呼び出してから5分。食堂の入口が騒がしくなってきたのを感じながら、アレンは薄められたコーヒーカレーを一口食べる。

「どうさ、アレン」
「・・どうって、単なる薄苦い液体ですよコレ」
「・・吐き出さないだけ、まだいいだろう」

クラウドが頷く。

「そ、それでいいのかよ」

ラビが引き攣った顔で鍋を掻き混ぜた。

「それより、結局誰もまだ戻ってないんだけど・・」

キャッシュが入口の喧騒を耳にしながら、ため息まじりに呟くと。

「大丈夫だ。助っ人をさっき頼んだから、そろそろ来るはずだ」

クラウドが、フッと笑ったその時。
調理場の入口に黒い影がさして室内が暗く陰ると、

「おい」
「!?」

低い声に驚き、振り返るとそこに立っていたのは・・

「「「ソカロ・・元帥」」」

クラウド以外の全員の血の気が引いた。

ソカロの肩にはラウ・シーミンが乗っていて。数時間ぶりに主人に会えた喜びから、ソカロの広い肩を右から左へと興奮気味に走り回る。
クラウドはそんなラウ・シーミンに優しげな視線を向けたが、ソカロには打って変わり厳しい顔で、

「遅いではないか」
「あん?なんだとコラ、てめぇんトコの猿が飯食いてぇって言うからだろうが」
「貴様、ラウ・シーミンは毎日きっかり11時だと伝えたはずだぞ」
「しかたねぇだろ、渡された缶詰コイツが隠しやがったんだからよ」

ソカロの肩でキキッと声を出し、ジャンプしている。

「まったく・・まあ、それはいい。

クラウドは腕を組んで、ソカロを睨み付けると、

「おまえ、今からカレーの注文を取れ」

(((は!?)))

その言葉に、残された三人は凍り付いた。

「あん?・・おちょくってんのか、この野郎」

(((こっ、恐ぇえ・・)))


仮面を被ってはいるが、あきらかに不機嫌な声色。凍り付いた空気にブリザード並の寒気が吹き荒れる。
クラウドはフン、と鼻を鳴らし、

「むろん、タダとは言わない・・」
「・・『アレ』をつけよう」
挑戦的に微笑んだ。

(アレ・・?)
(アレってなんです?)
(し、知るかよ)

ソカロはやや動揺したように暫く黙り、考えるようにマスクの口元に手をあてて。

「くそ・・足下に付け込みやがって・・」
苦々しく呟く。

クラウドはロッカーからエプロンを渡すと、

「なに、簡単な仕事だ。チキンかシーフードかビーフ、どれかを聞くだけだからな」

ただ最後に、と続けて。

「・・『残すな』と一言付け加えてくれればいい」

(((!!!)))

な、なんという策士。
これで皿洗いがずいぶんと楽になる。ただ、チキンを頼んだ人間には高確率である意味拷問だが。

「・・・・・」
「・・・・」

三名は、掌がうっすらと汗ばむのを感じながら、生唾を飲み込んだ。

ソカロが面倒そうにカウンターの前へ立つと、それまで騒がしかった食堂が、水を打ったように静まり返る。

(((さすが・・)))

その様子に、調理場では申し訳なくもホッとした空気になったのだった。


そして。
食堂に集まった団員達はいまさら引き返す事も出来ず、一列に注文に列びながらソカロの元へ、一歩また一歩と近づく様は処刑台への階段を上る気分。

「テメェはどうすんだぁ?」
の問いには、殆どの団員が、

「げ・・げげ元帥に、お任せいたし、しますっ」

と震えながら答えるのだった。


皆、どのカレーが出ても一言も文句を言わず無言で平らげていたのだが、残した後の恐怖を思えば、何を食べても味なんて解らないだろう、そういう精神状態だ。
アレンとラビはそれを知りつつも、己可愛さに黙々と薄苦いカレーをよそい続けたのだった。

その後。

着替えに戻って来たクロウリーと、コムイを司令室に拘束してきたフェイ。
そして何があったのか、仲良く二人で戻って来たマリとミランダ。
そんな二人にショックを受けつつも、再び対抗心に火がつき生還を果たしたリンク。

なんとか全員が戻り、メニューを代わりに決めてあげるなど意外に親切?な受付(ソカロ)の活躍もあって、混乱もなく無事に戦いを終える事ができたのだった。



再び食堂を閉鎖して。水っぽいビーフカレーを昼食に摂りながら、キャッシュが呟く。

「つーか・・夕飯もカレーなんだよね?」
「・・・・・」

全員の手がピタ、と止まった。
クラウドは哀しい状態のシーフードカレーを見ながら、決意に満ちた顔で一口食べる。

「次は・・ポークカレーで行こうと思う」

((・・・!))

より完璧な勝利を目指そうとする、リベンジ。その姿は若年でありながら元帥にまで上った、彼女の生き様が垣間見れるようで。

そうして。

教団中にカレーの臭いが染み込む頃、ジェリー達が復帰して教団中の歓喜の涙で迎えられたのだが、さすがにジェリー特製カレーの注文はしばらく無かったという・・。




ちなみに。

後日、管理班にクラウドから『アレ』とメモの張り付けられた一冊の本が注文されたのだが、


『世界の子猫大図鑑・改訂版』

というタイトルであったらしい。





End

- 2 -


[*前] | [次#]








戻る


×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -