S ayonakidori


side- H




求めていたのは、殻の中。


めんどうなことは嫌いだ。やらなくていいことはしたくない。誰かがやってくれるならそれが一番で。
世渡りはけして上手いほうではない。人間関係はじつにめんどうくさいものだから、できうるなら会わなくていい人間には会わずに済ませたい。
もちろん暴力なんてものは二次元と同じくらい遠い存在であってほしい。

だと、いうのに。



◆◇◆


タオルで髪を拭いながら、高級感溢れるバスルームを出る。
広い洗面台に手をつき、なぜか大きなため息をもらした平丸は、思わず己の顔をじっと見つめた。

(腫れてる)

頬骨のあたりが赤紫色に色づき、盛り上がっている。顎と額には擦り傷。いい年した男がこんな顔になることは、そうはない。
指先で軽く撫でながら、これはしばらく痕が消えないなと思った。

「まあ、今は・・外に出ないか」

会社勤めしていた昔なら大変だったろう。営業職でこんな顔していたら仕事にならなかった。もっともあの頃はこんな真似をしようとなんて、思いもしなかったろうけど。

愛する人のために拳で戦う、とか。

まるで漫画のようなシチュエーション。蒼樹のピンチに颯爽と現れた自分。キメの台詞を言った時は姫を助ける騎士気分であったが、そううまく事は運ばなかった。
ヒーローというのは一朝一夕になれるものではないと思い知らされ、それでも戦意が衰えなかったのはもちろん蒼樹のためだった。いや、完全に言いきれないところもあるが。

平丸は、洗面台に置かれている時計を見る。短い針がもうすぐ昼時だと知らせていた。
下着をはいてバスローブに腕を通しながらリビングへと向かう。携帯がテーブルに置きっぱなしになっていたはず。この時間なら蒼樹に電話しても問題ないだろう。
途中、寝室から大きな鼾が聞こえて顔が引き攣る。中井だ。さっき一度起きたはずだがまた寝たらしい、昨夜あんな騒ぎを起こしておいて図々しいものだ。とはいえその場のノリで引き取るだなんて言ってしまった己の責任もあり、平丸は忌々しげにリビングのドアを開けた。

「うわ・・」

そこらに散乱するピザの箱やビールの空き缶、食べ残し飲み残しの残骸。カッシーナで揃えたソファーやラウンドテーブルには柿の種が散らばり、飲み残しのワインがこぼれている。
脱力感に襲われながらも、とりあえずごみ袋を持って片端からつめていくと、テーブルに置いてあった携帯電話の着信ランプがチカチカと点滅しているのに気づいた。
確認すると蒼樹から着信が一件、メールも一通届いている。
『おはようございます』と礼儀正しく始まる彼女からのメールは、昨夜の心配とお礼だったが、最後の『連絡下さいね』の一文に平丸はほっと息をついた。

(怒っていないみたいだ)

昨夜の件を蒼樹がどう感じているのか、朝起きてからずっと気になっていたのだ。
中井を引き取ると言ってしまったり、加勢に来てくれた福田らを牽制するような真似をしたり・・。

「・・・・・」

平丸は携帯の着信履歴から蒼樹の番号を開く。すぐに折り返そうと発信ボタンを押そうとしたが、一瞬指が止まる。けれどなにかを割り切るように一度目を閉じて、それから息を深く吸い込むとボタンを押した。
胸がざわめくのはときめきではない。忘れかけていた澱んだ感情が目を覚ましそうで、嫌だった。

『はい』

発信音を5回数えて、声が聞こえた。努めて明るい声を出す。

「平丸です、おはようございます。いや、こんにちはかな・・はは」
『今、起きられたんですか?』
「いいえ、そういうわけではないんですけど。あ、ユリタンはちゃんと眠れましたか?」
『・・はい』

返事に僅かな間があったことを、平丸は気付かぬふりをした。

『平丸さんは怪我・・大丈夫ですか?』
「え?ああもう全然、全く、問題ないです。擦り傷程度ですから」
『でも病院とか行かれたほうがいいのでは?あの、よければ私も付き合います・・』
「いやいや病院なんて大げさな・・あ、じゃあユリタンが消毒してください。それが一番効きそうなんで!」
『・・もう、冗談じゃなくて本気で心配しているんですよ?』

軽く憤りつつも、ほっとしたのか安堵の色が見える。そんな彼女の優しさに保険をかけてしまいそうだ。

(聞いてみようか)

どうしてなんですか。

(どうして、あそこに福田くんがいたんですか)

聞いても仕方がないことは分かっている。昨夜のような急場に、咄嗟に福田に連絡を取ってしまう蒼樹を平丸は容易に想像できた。
彼女はいつだって無自覚に福田という男を頼っている。自分と付き合いはじめてからも、それは変わらない。

「・・・・・」
『平丸さん?どうかしました?』
「え?あ、いえ、ああそうだ。昨日電話で話したスィーツサロン、よければ今日行きませんか?病院じゃなくてそっちに付き合ってもらえると嬉しいです」
『麻布のですか?でも・・平丸さん本当にお体は平気なんですか?あまり無理しないほうがいいのでは?』

心配する彼女の声に、ふと頬骨の腫れを思い出して触れる。お洒落なカフェでこれは少し目立つかもしれない。
家に誘おうかと思ったが今は中井がいる。それにこの部屋の惨状を見せたくない。普段なら諦めてまた後日会いましょうとなるところだが、今日はそうしたくなかった。会いたかった、無性に。

「・・ユリタンの家に行ってはダメですか?」

思わず出た言葉に、抑えがたい感情が込められているのを蒼樹は気付いたのだろうか。電話口で戸惑っている。けれど優しい彼女のことだから、次に発せられる言葉も想像できた。

『それは・・』
「ダメですか?」
『いえ、ダメではありませんが・・今日は夜にネームをする予定でしたし』
「じゃあ、行ってもいいんですか?」
『そうですね・・ええ、どうぞ』
「やった!じゃあすぐ行きます!待っててください!」
『あっ!でも用意もありますから、せめて1時間は空けてからにして下さいね』
「で、ですよねっ・・!わかりました!」

蒼樹は苦笑ぎみに『では、お待ちしてます』と言って、最後にこちらの体を気づかい電話を切った。
平丸は閉じた携帯をテーブルに置き、ほっと息をついてソファーに座る。まだ散らかったままの部屋を見ながら、こぼれるように呟いた。

「・・・めんどう、だな」

部屋の片づけも、思っていることを押し殺すのも。

手に入るはずがないと思っていた。欲しい欲しいと言いながら、どうせ無理だと心の奥では思っていた。
彼女は日常を忘れるささやかな夢で、その夢を現実にしたくて告白したが、受け入れてくれる想像はしていなかった。まさに夢のようなことが自分の身におきたのだ。

けれど夢はしだいに現実へと変わっていく。
姿を見るだけで声を聞くだけでよかったことが、もっと会いたいと触れたいと思う。好きだと告白するだけでよかったはずなのに、相手からも同じ気持ちをを望んでしまう。
欲しかったものは手に入ったはずなのに、さらに求めてしまいたくなる。わかっている、安心したいのだ自分は。

(手を出すな、か)

福田に向けて咄嗟に出た言葉は、違う意味も含まれていたのかもしれない。
バイクの音をさせて現れた彼に既視感があった。以前、しつこい男から彼女を救った時のことを思い出す。「パンチラの描き方を教えてやる」と言う福田は、台詞はさておき平丸から見てもヒーローだった。
本当は、自分もああなりたいと思っていた。彼女のヒーローになりたかった。結局なりそこねてしまったけれど・・。

あの歩道橋の告白から半年以上経ち、気づかなかったことに気づきはじめる。違和感を覚えていく。どんどん深みに嵌まって、もう抜け出せない。

「結婚・・したいなぁ」

心から、こぼれる。
結婚すれば、このいいようのない不安が解消される・・そんなことを考える自分はどうかしているのだろうか。今までめんどうごとが嫌いで、責任から逃げ出してばかりだった自分が結婚なんて考えるのだから。

平丸はごみ袋を持ってソファーから立ちあがる。残っていたビールの缶をいくつか片づけて、キッチンへと向かった。
冷蔵庫を開けて牛乳を取り出すと、そのまま口をつけて飲む。冷たさが喉を通って落ちていき、親指で唇を拭うと息をついた。ぼんやりと室内を見ながら、蒼樹がこの場にいたらと想像する。毎日いっしょにいられれば、もっと純粋に彼女を想っていられる気がした。

もっと、ずっと、もっと、求めるものは際限がない。そんな自分に軽く辟易しながら、寝室へと向かう。

中井を叩き起してこの部屋から出て行ってもらうため。




END

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