B akuman








重い扉を開けて、靴をスリッパに履き替えた2人は、室内へ入る。
間接照明だけの薄暗い部屋、写真で見た時はシックなイメージだったが、実際は普通のホテルとあまり変わらない。ただ違うのは、普通のホテルならこんな狭い部屋にダブルベッドを置かないということだ。

ここはラブホテル。福田と蒼樹は双方合意の上、こんな場所にいる。



(・・・・・ちょっと、暑すぎないか?)

室内はエアコンがフル稼働だ。少し弱めようかと思った福田だったが、この後に裸になることを思い、そのままにしておく。
とりあえずマフラーを外しジャケットを脱ぐと、それを見た蒼樹も自身のコートを脱ぎ始めた。

「ハンガーとか、ないんでしょうか・・」
「あー・・どうだろう、ああ、そこの棚にあるんじゃね?」
「ありました、福田さんもかけますか?」
「や、オレはシワになるような服じゃねぇし」

蒼樹はソファーの横に荷物を置いて、白いウールのコートをハンガーにかけると、ついでなのでと福田のも一緒にかけておく。棚をパタンと閉じて振り向いた彼女と、ふいに目が合った。

「・・・・・・」
「・・・・」

気まずいわけではないが、こういう特殊な場所では互いになんと声をかけていいものか、少し戸惑う。
福田が帽子を脱ぎながらソファーに座る。平常心を装いつつも『あの言葉』を口にするタイミングを窺った。しかしこのまま沈黙が続くのに耐え切れず、結局唐突ともいえるタイミングでそれを口にしてしまう。

「先・・・シャワー、行ったら?」

言われた蒼樹の表情が一瞬戸惑いを見せる。けれどすぐに恥じらうように目を逸らし「あ、そう・・ですね」と小さく肯いた。
普段あまり見ない顔をされると胸が高鳴るが、ここで動揺を見せるわけにはいかない。ひそかに口の中の唾を飲みつつ、何気ない顔でやり過ごす。

「では、お先に失礼します」

そそくさとポーチを持ってバスルームへ向かう蒼樹に、福田はベッド横にある冷蔵庫を開けるふりをして「おう」と返事をした。





◆◇◆



だいたい物事というのは、こういうはずではなかった、となるケースが多々ある。

小説や漫画といった架空の話であれば、主人公が混乱し右往左往する様子は、読み手を楽しませる面白いエピソードになるのだろう。
しかし現実となると少し違う。その状況に立った本人は右往左往する前になす術がなくなる。
というか、混乱してることを悟られまいと必死になる。

とくに今回のようなケースは、なおさら。


福田と蒼樹の関係は、友達以上恋人未満。けれど周囲は2人を既に恋人同士と認定している。
件のパンチラ指導から急速に2人の仲は親密になったが、それはまだ友人としての域を越えてはいない。実際2人でいても会話も殆どが漫画のことばかり、色っぽい雰囲気になったことはない。
だからアシスタントの安岡や担当の雄二郎に蒼樹のことで何か言われた時も、福田はいつものように「ねーよ」と素っ気なく言うだけだった。

「えー・・蒼樹センセイもそうなんすかね」
「たりめーだろうが」
「でもさ、福田くんがそう思ってるだけで、あっちは違うかもしれないよ?」

なに言ってやがる、んなわけねーだろ。いちいち口に出して訂正するのも面倒で、福田は片眉を吊り上げペンを動かす。
蒼樹が自分に恋愛感情を持っているとは思ってもいない。もともと世界が違う人間で、今はたまたま漫画という接点があるだけの話だ。ちょっと親しくなったからといって、それが変わったわけではない。

だから、映画に誘ったのも深い意味はない。軽口のようなもの。
蒼樹との電話で、アニメ化や映画化の話をしていた時。先日雄二郎が観たアクション映画が面白かったらしい、という話になった。
彼女は基本的にアクション物は観ないようだったが、福田がああいうのは男が好むから少年誌で描くんなら勉強として観てもいいんじゃないか、と勧めた。なんなら一緒に行くか?と付け足したのは洒落の一つ。即答で「行きませんよ」と返ってくると思っていた。

『はい、お願いします』

「・・・・・・」
『あの、福田さん?』
「お?おう・・いや、わかった」

まさかの返答に福田は動揺する。自分で誘っておいてOKをもらう想像をしていなかった。
脳裏に雄二郎の『あっちは違うかもしれないよ?』が浮かんでうろたえるが、いやいやそんな訳はないと頭を振った。単に友人と映画に行くくらいの気分でいるのかもしれない、それなら納得だ。
しかし・・もし、万が一にも蒼樹が自分のことを特別な相手だと思っていたのなら・・。
福田は冷や汗を拭い、それ以上は考えないようにした。考えなくてもその日が来たら分かるのだから。


そして今日。

午後3時の待ち合わせに現れた彼女は、ファーのついた白いコートにベージュの靴を履き、きれいに化粧している。マニキュアまで塗って、どう見ても「デートに来ました」という格好だ。
かたやこっちはいつものスカジャンにマフラー、代わり映えのないジーンズにニット帽。
苦笑いしたくなるほどつり合わない。

・・・もしかしなくても、これはデートなのか?そうなのか?

この段階で福田の鼓動が激しくなった。2人の関係が進展することを自分でも期待しているのか。
並んで歩き映画館に入る。パンフレットやグッズを2人で見ていると、なんだかこそばゆい。映画を観ながらも隣の蒼樹の様子がひそかに気になってしまう。いつもならエンドロールの途中で立ち上がってしまうのに、今日はライトが点くまで座っていた。

その後、飯でも食うかと近くの居酒屋に入る。ビールを頼んだ段階で、福田は店内の雰囲気が明らかにデート向きではないのに気づいた。
普段はラーメン屋とか焼肉しか行かないので、あまり洒落た店に行くことを思いつかなかったのだ。なにげなく蒼樹を見ると、とくに気にしている素振りはない。それに少しホッとしながらも、煙草くさい店に連れてきたことを内心詫びた。

今日の映画の感想や、いつものような漫画の話をして2人は店を出る。
もう夜の10時近く、金曜のせいか人が多い。明日休みのサラリーマンやOLたち、どっかの学生のコンパなのか集団で移動する奴ら。繁華街のネオンが、吐く息の白さに揺れて見える。

「さみーな」
「・・ですね」
「なにで来たの。バス?電車?」
「あ、バスです。福田さんは?」
「オレは電車・・」

信号二つ向こうに見えるバス停に向かって歩きながら、福田は俯きマフラーに鼻を埋めた。ちらと隣にいる蒼樹を見て視線をバス停へ向ける。
妙な気分だった。うまく言葉に表せられない複雑な気分、それは寂しいとか名残惜しいといった感情に近い。

正直言うと、自分は蒼樹に惹かれている。それは福田自身前から気づいていた。
しかし実際に行動に移そうとは考えたことはない、彼女とはこのままの関係でいいと思っていたから。お互いにいい距離感のまま刺激しあえる今の関係が、ベストだと考えていた。
それが今日、違う距離を知って戸惑っている。いつもならもっとさっぱり言える「じゃあな」が出てこない、というかまだ言いたくない。頭の中で理由を探しているのだ、もう少し一緒にいられる方法を。

腹も減ってないしカラオケに行くタイプでもない、まだ飲み足りないほど酒が好きというわけでもない。夏場なら酔いが醒めるまでと、散歩に誘うことが出来ても今は冬だ。
信号を渡りもう一つの信号まで歩きながら、福田は視線を周囲に向ける。繁華街ならではのどぎつい看板で目を慣らしてしまったせいか、酒に酔っているのか、それともとにかく理由をつけたかったのか。思わず目に飛び込んできた場所を口にした。


「ホテル、行かないか?」


蒼樹の目が見開くより早く、福田はたった今自分が口にした言葉に目眩がした。
バス停より奥の裏通りにある大きな看板。ひときわ目立つそこはラブホテル。たまたまそこに目が行っただけだ、本当に他意はない・・多分。
潔癖な彼女だ、中井さんの件ではビンタを1発ぶちかましたのも聞いている。こんなダイレクトな発言なら3発はかたくない、福田は内心で左頬を差し出す準備をした。

けれど蒼樹はその手をバックから放さず、ラブホテルの看板を見つめている。信号はすでに青だったが歩く気配はない、彼女が吐く白い息が揺れて、ためらうように福田へと視線を向けた。

「・・行きます」

その瞳はアルコールのせいか潤んでおり、福田の胸が激しく鳴った。




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BAKUMAN


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