B akuman




ウーロン茶の中の氷が溶けてカランと音がなる。グラスの水滴を親指で拭いながら、福田は意識的に明るい声を出す。

「平丸さんとはどうなんだ?」
「え?」
「和やかにできんだろ?オレと違って」
「それは・・そうですね。平丸さんとは落ち着いてお話ができますね・・」

空になったワイングラスの脚をいじりながら蒼樹はうつむいて微笑んだ。
その横顔が少し寂しげに見えて福田は戸惑う。どうかしたのか、と聞いていいか分からなくて「そりゃよかったな」と流す言葉しか出なかった。

何かを求められているのは薄くだが感じている。けれどそれを口にするには福田の気持ちが消極的だった。
ずっと秘めていた想いはあるが、それは既に自分の中でケリをつけたもの。納得して終わらせたものを掘り起こすのは躊躇われた。たとえその相手が望んでいたとしても。

「・・・そういやさ、蒼樹嬢は平丸さんの前で酔ったことあんの?あ、でもどっちかってーと介抱する側になりそうだよな?平丸さん相手だと」
「あ、いえ。平丸さんは二人の時はお酒飲まれないんですよ、帰り車で送って下さるんで」
「マジで?すげえな、大事にされてんじゃん」

そう茶化す福田に蒼樹は何も言わず口の端を上げる。アルコールで朱に染まった目元が迷うように一度伏せて、それからゆっくりと福田を見た。

「私の背中を押したのは、福田さんですけどね」

何を言われたのか分からず僅かに眉を寄せる。蒼樹は少しの沈黙の後、酔いにまかせるように口を開いた。

「私・・たぶん、福田さんが笑ってたから平丸さんと付き合ったんだと思うんです」
「笑って?なんの話・・ああ、あの歩道橋の告白か」
「はい。あの時福田さんが笑っていて・・それで納得したというか、腑に落ちたというか・・」

目と目が合って、胸がざわめく。蒼樹は細い指でグラスの淵をつうとなぞり一周すると、ふふと笑った。

「がっかりしたんですよ?・・・私ね、少しだけ期待してたんです。福田さんがなにか言ってくれるかなぁって」
「なにかって・・なんだよ」
「さあ、それは私にも分からないんです。でも結局なにもなかったから、私は平丸さんとお付き合いしてるんですけど」
「・・・蒼樹嬢、かなり酔ってるだろ」
「さっきから言ってるじゃないですか、酔ってませんよ。酔おうと思っても頭の芯が冴えてしまって・・無理なんです」
「そうは見えねぇな、酔ってるんじゃなきゃ・・・・・平丸さんとうまくいってないのか?」

福田の問いに蒼樹は目を僅かに見開く。けれどすぐに頭を振って「逆ですよ」と遠くを見るように笑った。

「本気になってきたから、困っているんです」

そのひと言に福田の胸は痛みを覚える。納得できなかった傷が疼きだす。

「なにも、困ることなんかねぇだろ」
「そうですよね、そう・・なんですけどね」

どうしてでしょうか、と呟いて蒼樹はまたうつむいた。
その顔を見ながら福田はあの歩道橋での告白を振り返る。自分もまた彼女に期待していたことを思い出す。

平丸が告白すると聞いても、福田はどこかで高を括っていたのだ。蒼樹はイエスと答えないと。
はっきりと言葉にしてないが、お互い相手が自分に淡い想いを抱いているのに気づいていた。ただ曖昧な関係が心地よくて一歩踏み込む切っ掛けがなかった。

だからあの時、断らなかった蒼樹に驚いた。
「はい」と平丸に答えたのを見て、福田は心のどこかで裏切られたような気持ちだった。
勝手だとわかっている。福田はなにも行動しなかった。
それどころか蒼樹に告白する平丸の必死さに心の中で白旗を上げていた。なのに虫がいいことに蒼樹に期待していたのだ。断ってくれると。


蒼樹は思い出したように時計を見て「もう、無理ですかね」と呟く。時刻はもうすぐ日付が変わる頃だった。

「・・どっちにしろもう帰ろうぜ。もし平丸さんが来たとしても『もう少しです』から2時間も待ったんだ。充分だろ」
「・・・・いえ、まあ・・そうなんですけど」
「?蒼樹嬢」

どこか歯切れの悪い彼女を怪訝に思いながら、福田は残っていたウーロン茶を飲み干した。
蒼樹は携帯を開いて何やら操作しはじめる。メールでも打っているのかと思いきや、おもむろに画面を福田に差し出した。

「なんだよ」
「ごめんなさい、嘘なんです。平丸さん『もう少しです』だなんて書いてないんです・・私の嘘です」

画面に表示された文字は、泣いてる絵文字つきでひと言。

『間に合わないと思います』

福田は眉間にしわを寄せ画面と蒼樹を見る。どういうことだと問いかける声は出てこなかった。
閉じられた携帯は再びテーブルに置かれ、沈黙のなか蒼樹のため息だけが聞こえた。福田はひそかに唾を飲む。

「じゃあ、平丸さんを待つって言ってたのは?」
「・・・ごめんなさい」
「いや謝られても・・しかたねぇんだけど」
「ああ言えば・・・・きっと福田さんが残ってくれるかなって・・打算ですよね」

消えるようにこぼした言葉は福田の胸を締め付ける。普段そんなことを言う女じゃないのを知っているだけに、なおさらで。
そんな蒼樹の気持ちに応えたいと思う。けれどその言葉は出てこない。頭のどこかで消極的な自分がそれを抑える。この期に及んでまだ踏み出せないでいる自分が情けなかった。

「もう・・無理なのかもしれませんね。間に合わなかったのかも」

その自嘲めいた呟きは福田の胸に重く落ちた。
湧き上がるたびに「今さら」と蓋をしていた感情がまた主張し始める。いいのだろうか、それを望んでも。ふたたび蒼樹の瞳がこちらを向いた時、福田はもう逸らさなかった。

「あの、さ」

けれど口を開いても何を言えばいいか分からなくて、言葉はそこで途切れた。蒼樹の瞳は探るように見ていたが、やがて何かを理解したのか静かに目を伏せる。
その時、テーブルに置いてあった蒼樹の携帯が突然鳴った。ディスプレイの『平丸さん』の文字に空気が一気に冷える。福田は見ないふりをして顔を背けた。
蒼樹は躊躇うように携帯を取ったが、発信ボタンは押さずにディスプレイを見つめていた。

「福田さん、いいですか?」
「・・・なにが」
「いいですか?電話に出ても」

蒼樹はこちらを見ず静かに問いかける。その横顔に、これが最後の機会だと予感がした。

鼓動が速まるのを感じる。福田は蒼樹の気持ちを受け入れたかった。けれど明確な答えを返すは躊躇した。それはずっと福田の中にあった平丸の存在だった。
自分は蒼樹のために無茶はできない。想いの強さを比べるわけではないが、平丸の存在が二の足を踏ませた。

「出ないと・・後悔すると思うぞ」

出るなと言いたい気持ちはあったが言えなかった。
蒼樹はそんな福田に「そうですか」と小さな声で言うと、困ったように笑った。潤んだ目元はアルコールのせいか、それとも本当に泣いているのか。鋭い痛みが胸に走り、福田は初めて衝動を知った。


我知らず伸びた手が、発信ボタンを押そうとする蒼樹の指に触れる。

見開く大きな瞳に映った己の姿に奇妙な解放感を覚えて、福田はひそかに満足した。





END

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BAKUMAN


(bakuman....)





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